↑墓地には満仲公の長男、源頼光公の主要な家来、四天王の筆頭だった
渡辺綱のお墓もあった。
↓傍には、渡辺綱以外の四天王の三人のお墓もあった。
右端は、金太郎の童話で有名な坂田金時の墓。
このお墓を見れば、坂田金時が実在の武士だったことがよく解る。
まさかりを担ぎて熊にまたがりて坂田きんとき四天王に biko
丹沢に生まれ育ちし金太郎こんなところに祀られてゐる biko
↓渡辺綱公がいかに位の高い武士であったがが、この廟でわかる。
↓石碑があったので撮影したが、苔むしていて何と書かれているのか読めない。
↓有名な武将のお墓なのに、訪れる人は多くなく、あたりはタンポポほか野草の花が咲き満ちていた。
↓近づいてタンポポを。
↓カラスノエンドウも。
↓この白い小花の名は?
↓墓地からは畦野の住宅地が広がっていた。
頼光の四天王らの眠る地ゆ見ゆる畦野といふ住宅地 biko
高速道路(かうそく)が奔れば夜も煌々と灯(ひ)が奔るらむ畦野の上を biko
本当は、一昨日はこれで帰宅するはずだったのだが、まだまだ外が明るかったので、もっとドライブすることにして、国道173号線をどんどん北上した。
そして昨日書いた記事でお分かりいただけるように、結局、日本海の天橋立まで行ってしまったのだが、途中、珍しいものを見つけたので、その写真もアップしておく。
↓土佐藩の城主、山内一豊公の、いつのころのものだろう。城址がこんなところに。
これは、また調べてみないといけない。
ーーーーーーーーーー
さっそく調べてみると、こんなサイトが見付かった。
京都府埋蔵文化財情報 第 116 号 - 京都府埋蔵文化財調査研究センター
これによると、この地の三ノ宮西城跡地は、一豊の祖父、久豊に関係したという地元の伝承が残されているらしい。
船井郡京丹波町三ノ宮東城址発掘調査 biko
↑これも短歌です。(^^)「城址」は「しろあと」と読ませます。
渡辺綱のお墓もあった。
↓傍には、渡辺綱以外の四天王の三人のお墓もあった。
右端は、金太郎の童話で有名な坂田金時の墓。
このお墓を見れば、坂田金時が実在の武士だったことがよく解る。
まさかりを担ぎて熊にまたがりて坂田きんとき四天王に biko
丹沢に生まれ育ちし金太郎こんなところに祀られてゐる biko
↓渡辺綱公がいかに位の高い武士であったがが、この廟でわかる。
↓石碑があったので撮影したが、苔むしていて何と書かれているのか読めない。
↓有名な武将のお墓なのに、訪れる人は多くなく、あたりはタンポポほか野草の花が咲き満ちていた。
↓近づいてタンポポを。
↓カラスノエンドウも。
↓この白い小花の名は?
↓墓地からは畦野の住宅地が広がっていた。
頼光の四天王らの眠る地ゆ見ゆる畦野といふ住宅地 biko
高速道路(かうそく)が奔れば夜も煌々と灯(ひ)が奔るらむ畦野の上を biko
本当は、一昨日はこれで帰宅するはずだったのだが、まだまだ外が明るかったので、もっとドライブすることにして、国道173号線をどんどん北上した。
そして昨日書いた記事でお分かりいただけるように、結局、日本海の天橋立まで行ってしまったのだが、途中、珍しいものを見つけたので、その写真もアップしておく。
↓土佐藩の城主、山内一豊公の、いつのころのものだろう。城址がこんなところに。
これは、また調べてみないといけない。
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さっそく調べてみると、こんなサイトが見付かった。
京都府埋蔵文化財情報 第 116 号 - 京都府埋蔵文化財調査研究センター
これによると、この地の三ノ宮西城跡地は、一豊の祖父、久豊に関係したという地元の伝承が残されているらしい。
船井郡京丹波町三ノ宮東城址発掘調査 biko
↑これも短歌です。(^^)「城址」は「しろあと」と読ませます。