神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

服部満千子さん

2015年04月23日 13時41分45秒 | 短歌
                   (2012年初版『妹尾太郎兼安』)

夫の小学校時代の友人に服部満千子さんという歌人がいる。

歌人といっても、われわれのような現代短歌を詠む歌人ではなくて、冷泉家に伝わる由緒正しき和歌を詠まれる歌人であられる。        

和歌だけでなく、連歌もされておられ、「京都連歌の会」の会長もなさっておられる。

過去、国民文化祭京都2011の「連歌の祭典」では国文学者の島津忠夫先生と一緒に連歌の部の選者もされた。

さらに、その古典の素養を発揮された本も出されている。

上の写真は、その第2作目のご著書である。

第1作目のご著書は、『伊子(ただこ)と資盛(すけもり)』で、かなり話題になったと聞いている。

と、ご紹介させていただいたが、実は、いずれも夫の蔵書にあるので、いつでも読めると思い、まだ私は読ませていただいていない。

が、これらのご著書が絶版になる前に皆様にお読みいただけないかとアップした。

  連れ合ひの友の書きたる物語りお読みいただきたく紹介す  biko

(註)上の写真の『妹尾太郎兼安』の内容は、岡山県の高梁川・湛井堰を造った妹尾太郎兼安についてであるらしい。

ハナミズキ&加瀬邦彦さん自殺

2015年04月23日 11時07分24秒 | 近所
                  (右側の高架は阪急宝塚線で突き当たりが川西能勢口駅)

今日は、朝一番に、我が家の表通りの向こう側にある調剤薬局にお薬を受け取りに行ってきた。

病院に行ったのは一昨日だったが、私は、たくさん服むお薬を、朝、晩用に分苞してもらうので、調剤に時間がかかる。だから、いつも処方箋だけお預けして、薬は翌日か翌々日に受け取りに行く。

一昨日は我が家の表通りのハナミズキを撮影したが、今日は、この調剤薬局の裏側の階段を上がると別のハナミズキ通りが現れるので、撮影してきた。

川西能勢口駅から音楽堂に行くアプローチは三本あって、我が家の前の旧国道はJR川西池田駅からも川西能勢口駅からも行けるアプローチといえるだろうか。

上の写真は川西能勢口駅からのアプローチの一本である。

↓逆方向を撮影すると、こんな感じ


突き当たりに見えるのは阪神高速道路池田線で、写っていないが、突き当たり右側が音楽堂である。

↓阪急電車高架下をくぐると、もう一本の(三本目の)アプローチ。


この三本目のアプローチも、道の両側にハナミズキが植えられているから、我が家の近くは、計六本のハナミズキの列が連なっていることになる。



詞書 川西市発祥の源氏の始祖は源満仲

  みなもとのみつなかの名をいただける音楽堂は小花(おばな)にありて  biko

  駅前の三つある道いづれもがミツナカホールに至る道なり  biko

  はなみずき並木の並ぶ三つみち春はいづれも花の咲く道  biko

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話は変わるが、往年のグループサウンズ、ザ・ワイルドワンズのキャプテンだった加瀬邦彦氏が自殺されたとか。

私は、母が厳格だったので、こういうグループサウンズや流行歌手等に熱を上げることは許されなかったけれども、短大時代に下宿先の友人に誘われて、「京都労音」とかいう会に入会して、一度だけグループサウンズの演奏を聴きに行ったことがある。

その一度だけのグループサウンズ体験が、加瀬邦彦氏のザ・ワイルドワンズだった。

母の言いつけに背いて、そういう演奏を聴くことに後ろめたさは覚えながらも、演奏を聴くと、体のどこか一部分がしびれてしまった。

あれは何だったろう?

が、ほかの観客(すべて若い女性)達の黄色い声には辟易した。

涙を流して泣いている人たちもいた。

そういう人たちを見るのは初めてだったので、正直戸惑ってしまった。

が、今でも、そのときの光景が目裏(まなうら)に焼きついているのは、よほど印象的だったのだろう。

最近の加瀬氏の活動については何一つ知らないが、しかし、かつてあれほど熱狂された過去があれば、その後の現実は、全てが空しかったのではなかっただろうか?

謹んでご冥福をお祈りさせていただきたいと思う。

  遠見しはひとたびのみの人なるが自死せしと聞き惜しみてをりぬ  biko