神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

馬場あき子さんの追悼連作「別れ」のご紹介

2018年03月06日 15時46分57秒 | 短歌
著作権法に触れるかどうかわからないが、
いい作品だと思うので、多くの人に読んでいただきたく、また自分の備忘のため、
今から、図書館で借りてきた角川「短歌」2月号に掲載されていた
馬場あき子さんという大ベテラン歌人の追悼20首をタイピングしてアップさせていただく。

誰を追悼していられるかというと、馬場あき子さんのお連れ合いであった歌人、岩田正氏である。

「別れ」 馬場あき子

ふたりゐてその一人ふと死にたれば検視の現場となるわが部屋は

けはひさへなかりしきみの心不全あらはれてふいにきみを倒せり

一瞬にひとは死ぬもの浴室に倒れゐし裸形思へば泣かゆ

腰ぬけるほどに重たき死を抱へ引きずりしこのわが手うたがふ

きみ死にて検視を受くる夜半の部屋日常を暴くごとく撮(うつ)さる

大下一真に葬りの導師頼みたるのち安らぎて眠りに入りぬ

お逮夜の家に一燈ともすのみ心不全の死者たる岩田正よ

月桃餅すこし残るをあたためて分かち食うべぬ最後の昼餉

夫(つま)のきみ死にてゐし風呂に今宵入る六十年を越えて夫婦たりにし

深き皺ひとつ増えたり夫の死後三日の朝の鏡に見たり

夫のなき女の貌になりゆくかさびれゆく顔を朝々に見る

きみの死のみづみづとわれの手に蘇るまだ温かき胸や肩や手

母が縫ひてわれが贈りし大島紬着ましてきみは棺に寝ます

篝火草あるじなき部屋に燃え咲きて遺影の声の時にきこゆる

通夜の席の棺に近く座しくれし幸綱さんありがたう遺影ほほゑむ

瑞泉寺の白玉椿ふふめるを棺にいれよと賜ふ和上は

葬りはててみれば落葉の積もる庭燦燦と照る陽みつつわが坐す

三七日のひとりの夜を訪れて経読みましき福島泰樹

きみなくて視力おとろふる未亡人われ黒き眼鏡す

亡き人はまこと無きなり新しき年は来るともまこと亡きなり



(註)幸綱さんというのは歌人、佐佐木幸綱氏のことである。

大下一真氏と福島泰樹氏は、お二人とも、僧侶であり、歌人であられる方です。




私は、この連作を、母を亡くして数日後に初読したせいか、深く心に沁みた。

が、私の個人的な事情に関わらず、心に沁みる一連と思ったので、アップさせていただいた。


安楽死したい人は橋田寿賀子さんだけじゃない

2018年03月06日 06時42分48秒 | わたしのこと
わたしもそうかもしれない。

もう既に人生の修羅場は潜り抜けてきたと思うから、
耳が聞こえにくい辛さは、昔ほどではないが、
しかし、安楽死が許されるのなら、私もしたい。

今はまだ家事もできるが、これから衰えてくることを考えたら、
橋田さんの言われる通り、動けなくなった段階で安楽死を希望する。

私の母は、心臓を悪くしていたが、
最後まで自力で歩けたし、耄碌してはいたが認知症ではなかった。

それでも、最後は見ているのが痛々しかった。

ことに若い頃は、見た目も能力も人より秀でていただけに、
年取って老いさらばえた姿は本当に痛々しかった。

それより惨めだったのは、人から尊敬されなくなって、
話も聞いてもらえなくなっていたことだった。

それは母にも原因があった。

もともと自分ひとりでしゃべる傾向のある人であったが、
年取ってからは、その傾向が顕著になって、
その上、何をしゃべっているか理解しがたい話し方になってきていたから。

脳梗塞で倒れてから、半身不随になった後遺症として、滑舌が悪くなっていたこともある。

人に相手にされないことは、いくら老いさらばえても感じるだろうから母は辛かったと思う。

人から称賛を受けることを当たり前と思っていた人に、これほど残酷な仕打ちはなかった、
と思う。

娘の私でも、ときどき「なに言ってるのかわからん」と、つい言ったりしたのだから。

それでも人一倍人好きだった母は、あちこち出かけては、あちこちでしゃべっていた。

家で話を聞いてくれる人がいなかったから余計だった。

それで、ますます昔の栄光を失っていった。

娘の私からすれば、
いつまでも生きていてほしい反面、
あそこまでして生きなければならないかと思うこともあった。

ひるがえって自分自身のことを考えてみるに、
私は、今でも生きていると、自分が耳が悪いことの不便があるだけでなく、
人と付き合う上で、人に多大の負担を強いてしまう。

大きな声で言ってもらわないといけないし、
それでも聞き取れない場合は、同じことをまた言ってもらわないといけない。

さらに、聞こえない場合は、紙に書いてもらわなければならない。

たいがいの人は、こんな私を敬遠する。

それは逆の立場におかれたら私もそうなるかもしれないから、責めることはできない。

これが、もっと年取ってきたら、もっと悪化することは確かなことだ。

それなら老いさらばえる前に自分で自裁したいと思うのだが、
根が臆病なので、できないと思うから、安楽死を望むのだ。

私の存在を生きがいにしていた母が亡くなった現在、
もう生きている意味はないのではないかと思うときもある。

*

・難聴の辛さは緩和されにしが長々生きてゐたくはあらず

・わたくしを生きがいとして生きてゐし母死にたればわれも死にたし

・早く死に子らの幸福あの世から見守りたしと思ふ親われ

・父死にて兄死に母死にわれのみが残りし此の世未練はあらず

・おしやれする気も消え失せて料理することにも疲れただ眠りたし

・安楽死したきは橋田寿賀子さんのみにあらぬをここに記せる