神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

安楽死したい人は橋田寿賀子さんだけじゃない

2018年03月06日 06時42分48秒 | わたしのこと
わたしもそうかもしれない。

もう既に人生の修羅場は潜り抜けてきたと思うから、
耳が聞こえにくい辛さは、昔ほどではないが、
しかし、安楽死が許されるのなら、私もしたい。

今はまだ家事もできるが、これから衰えてくることを考えたら、
橋田さんの言われる通り、動けなくなった段階で安楽死を希望する。

私の母は、心臓を悪くしていたが、
最後まで自力で歩けたし、耄碌してはいたが認知症ではなかった。

それでも、最後は見ているのが痛々しかった。

ことに若い頃は、見た目も能力も人より秀でていただけに、
年取って老いさらばえた姿は本当に痛々しかった。

それより惨めだったのは、人から尊敬されなくなって、
話も聞いてもらえなくなっていたことだった。

それは母にも原因があった。

もともと自分ひとりでしゃべる傾向のある人であったが、
年取ってからは、その傾向が顕著になって、
その上、何をしゃべっているか理解しがたい話し方になってきていたから。

脳梗塞で倒れてから、半身不随になった後遺症として、滑舌が悪くなっていたこともある。

人に相手にされないことは、いくら老いさらばえても感じるだろうから母は辛かったと思う。

人から称賛を受けることを当たり前と思っていた人に、これほど残酷な仕打ちはなかった、
と思う。

娘の私でも、ときどき「なに言ってるのかわからん」と、つい言ったりしたのだから。

それでも人一倍人好きだった母は、あちこち出かけては、あちこちでしゃべっていた。

家で話を聞いてくれる人がいなかったから余計だった。

それで、ますます昔の栄光を失っていった。

娘の私からすれば、
いつまでも生きていてほしい反面、
あそこまでして生きなければならないかと思うこともあった。

ひるがえって自分自身のことを考えてみるに、
私は、今でも生きていると、自分が耳が悪いことの不便があるだけでなく、
人と付き合う上で、人に多大の負担を強いてしまう。

大きな声で言ってもらわないといけないし、
それでも聞き取れない場合は、同じことをまた言ってもらわないといけない。

さらに、聞こえない場合は、紙に書いてもらわなければならない。

たいがいの人は、こんな私を敬遠する。

それは逆の立場におかれたら私もそうなるかもしれないから、責めることはできない。

これが、もっと年取ってきたら、もっと悪化することは確かなことだ。

それなら老いさらばえる前に自分で自裁したいと思うのだが、
根が臆病なので、できないと思うから、安楽死を望むのだ。

私の存在を生きがいにしていた母が亡くなった現在、
もう生きている意味はないのではないかと思うときもある。

*

・難聴の辛さは緩和されにしが長々生きてゐたくはあらず

・わたくしを生きがいとして生きてゐし母死にたればわれも死にたし

・早く死に子らの幸福あの世から見守りたしと思ふ親われ

・父死にて兄死に母死にわれのみが残りし此の世未練はあらず

・おしやれする気も消え失せて料理することにも疲れただ眠りたし

・安楽死したきは橋田寿賀子さんのみにあらぬをここに記せる

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
親戚と家族合わせて耳の遠い人が3人いてた時 (こ子)
2018-03-06 11:02:56
私は、いつも「紙とペン」を持って熱心に聞いて来る人が1番好きでした。
補聴器では雑音が入ったりして嫌がり、止めたりしたのも見て来ました。
聞こえたふりをして終わってしまうのは私もあります。内耳炎の時、入院してから耳の検査をしても「OK」が出ているのですが、家族の中では1番聞こえてない事が多いです。聞こえたふりをすると、何か後味が悪いもんです。特に、近所の奥さんが庭から話しかけて来られると、ちょっと聞きづらいです。
なので、テレビの字幕は、有難くて感謝しています。
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こ子さんへ (biko)
2018-03-06 11:58:03
亡くなった私の母は前向きの人でしたから、
耳の悪い人は、目の悪い人が眼鏡をかけると同じように、
補聴器をすればいいだけのことと言っていました。

母は人に迷惑をかけることを恐れなかった人でしたから、
そういうふうに考えたのだと思いますが、
私はそうは思えないのです。

実際、私を可愛がってくれていた叔母(母の妹)でも、
陰では
「bikoと話をすると大きな声で話してやらないといけないから疲れる」
と言っていたらしいですから。

まして紙に書いてもらうなど、私は申し訳なくて言いにくいです。

実際お願いしても書いてくださる方はまれです。

たぶん面倒くさいんだろうと思います。

現在かかっている主治医の先生などもそうです。

「先生、聞き間違いがあるといけないので、
大事なところだけこれに書いていただけますか?」
とお願いすると、声を一段と張り上げるだけです

医療に携わっている人ですら、この程度の理解ですから、
一般の人は、推して知るべしです。

こ子さんは、いい人だから書いてあげるのでしょうが、
世の中面倒がる人が多いのも事実です。

私が中途半端に聞こえるのがよくないのかもしれませんが、
聴力はもう4級くらいになっていますが、
口の形を見ながら、話しの流れから憶測しながら、自分の力を振り絞って聞いているので、
実際の聴力より聞こえているように思われてしまうことが多いのです。

長いコメント返しになってしまいました。

コメントくれたのが、こ子さんだったから、
理解してほしいと長々と書いてしまったかもしれません。

コメントありがとうございました。
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春夏秋冬 (ハイジ)
2018-03-06 12:38:57
寒い冬の後は春が来ます。
生きる意味は凡人のハイジにはわかりません。
小さな楽しみを見つけて過ごす毎日です。

4日は彦根も暖かい一日でした。
bikoさんほどではありませんが歩きました。
四番町スクエアや花しょうぶ通り。
観光客気分で。
今日は彦根城の梅林と博物館を散策します。
博物館の中で抹茶と和菓子で休憩。

bikoさん親友のご主人の本は図書館にありませんでした。
残念。
あれば読んでみようと思っていましたが。
「短歌」2月号の追憶20首。
馬場あき子さんの別れは「なるほど」
感心しますがレベル違い過ぎて参考にはなりません。
「寂しさが歌の源だから」角川書店は読みました。
冬眠生活で本は乱読できました。

bikoさんも春。
小さな楽しみを見つけてください。


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ハイジさんへ (biko)
2018-03-06 14:53:20
友人の連れ合いの本はネットで中古本で出ていました。https://www.amazon.co.jp/いとしきカモたち-武中-宏/dp/4286055248です。

でも、本は買うと場所をとるので、図書館にあれば、それを借りるのが一番ですね。

実は、私も、角川「短歌」2月号、図書館で読み切れなかったから予約してあったのを、日曜日に宝塚に行く前に受け取ってきました。

自分の備忘のために、馬場さんの連作「別れ」を今からタイピングしてアップしようと思います。

著作権に触れるかどうかしりませんが、ノートに書いておくよりブログに書いておいたほうが探しやすいから、そうします。

よい作品は、こうして多くの人に読んでもらったほうが、歌も喜ぶかもしれません。

馬場さんの『寂しさが歌の源だから』も、読んでみたいです。

私は、こうして本を読むのとブログ書くのを生きがいにして生きているのかもしれません。

でも気候がよくなってきたから、これからは晴耕雨読で、晴の日は外歩きもしないとね。

コメントありがとうございました。
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先週、病院に行きまして‥ (こ子)
2018-03-07 17:21:06
私は文章も話し方も下手なので、又、主人が症状の下書きを書いてくれました。
しかし、今回も診察室に入ると、いつもの様に慌てて上がってしまい、下書きの紙を出せませんでした。
(あーあ、又か)と思いながら診察室を出て、休憩室に座り、手提げ袋に手を入れたら直ぐにメモ書きが出て来ました。(苦笑)
私の場合、この様な「ドジ」が毎日なんですが、どのお医者さんとも話す時間は、10〜20秒位だと思います。
(例えば、私が女優の‥さんみたいに超美人なら、何分位の話しを聞いてくれはるやろか)と思いながら病院の食堂へ行きました。

携帯メールは、最近、主人のみがほとんどです。「姉達・友達・知人」は、電話の方を喜びますが、「メールは、あまり好きでない」と言われます。なので、色々と作戦を考えた結果、此方も電話を減らしています。そうしたら、かなり楽になりました。

ついでに、ちょっと御質問をしたいのですが、
①読者登録をする ②たまにコメントをする ③団塊の世代or日記の所を押す
この中で一番良いのは、何番でしょうか?
因みに、私はブログというものは、「3回×7日」程、挑戦して終わりました。
そして、又、全部、消してしまいました。
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こ子さんへ (biko)
2018-03-08 02:06:32
メールボックスにコメントが入ったというお知らせのメールが入らないので、このコメントを見落としておりました。

病院の先生は本当に話を聞いてくださらないですね。

が、以前聞いてくださるやさしい先生がいたのでしたが、その先生は一人一人の話を聞くために、診察していただく時間が、いつも予約時刻より大きく遅れて困ったという事態に。

そういう意味では患者の話を聞きすぎるのも考え物かなと思ったこともありました。

ケイタイメールは、友人でも嫌う人が大半です。理由は面倒だと。

私も電話が使えたら、たぶんそう思うと思います。

最後のご質問ですが、ご質問の趣旨がイマイチ理解できないのですが、私からは、これは、こ子さんのお好きなようにとお応えさせていただきますね。

コメントはいつも有難く読ませていただいています。

ありがとうございます。
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