静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

「皆の意見がいっしょで気持ちいい」は気味悪いことなのだ!  毎日 (専門編集委員)  与良正男

2014-09-17 20:46:39 | 時評
<<数年前の話だ。新聞の中で産経新聞を一番愛読しているという、ある大企業の社長に「なぜ?」と聞いたことがある。社長はこう答えた。「だって気持ちがいいんだ。毎日など他紙も目を通す。が、自分に近い保守的な主張でほぼ埋め尽くされた産経は読んでいてやはり心地よいのだと、この人は言った。・・・私は社長の率直な物言いに少し驚くと同時に、その頃からこの「気持ちいい」が時代のキーワードではないかと考えるようになった>。  そう、まさに劇場型社会はキーワードなしには何も振り向かない大衆に満ち満ちているから。
    <そこで、従軍慰安婦などをめぐる一連の朝日新聞問題である。訂正と謝罪が遅すぎたこと。謝罪をすすめたジャーナリスト、池上彰さんのコラム掲載を一時拒んだこと。私も罪は極めて大きいと思う>と与良氏は続ける。
   <しかし、月刊誌や週刊誌、そして一部新聞の朝日バッシングもまた異常ではないかと思う。そこには「朝日をたたけば売れる」という販売戦略もあるだろう。そして、これに加えて「朝日よザマアミロ!」と声高に叫ぶのが" 気持ちいい " という感情が底流にある気がする。それは「嫌韓憎中」(韓国を嫌い、中国を憎む)本が書店にあふれる状況の延長線上にある>。与良氏の指摘は、ゼロ戦展示の<○○平和記念館>に出かけ、日教組を叩くことで人気を博している某流行作家の言動が排他的民族感情の焚き付けに役立っている現状とも鮮やかに符合する。

 与良氏は云う。<集団的自衛権の行使容認に関する報道をはじめ、実は朝日も最近、自らの主張に沿う識者の談話やニュースばかりを掲載する傾向になかったか。それを以前「週刊文春」が「朝日の産経化」とやゆしたことがあったが、私も気になっていたのだ。同じ意見で塗りつぶした方が新聞として主張は確かに明確になる。
   でも新聞の役割とは何か。私たち毎日新聞は、例えば私も関わっている社説では憲法解釈変更に反対してきたが、賛成する記者のコラムも載せてきた。多様な意見を私たちは封じてはならないと考えるからだ>。   これこそ報道ビジネスに携わる人間として維持すべき健全な良識であり、新聞人に限らず雑誌・出版ビジネスで生計を立てている人すべてに求められていると私は信じる。 
   いまさら繰り返すまでもない鉄則だが、多数派でなくても最後まで少数の反論を封殺しないことにしか、デモクラシーの優位性は残らない。開発独裁を是認し、軍事警察の強権で、回りくどく時間とコストがかかる議会制デモクラシーを排除し、短期的には経済発展や国富の分配を一時的には遂げてきた国が、結局は長続きできない歴史。それを我々はソヴィエト連邦の失敗、中華人民共和国の圧政と停滞で目撃しているのに、である。・・・間違っても世帯が小さいシンガポールの成功に騙されぬよう。。  
   
  開発独裁が小気味よく効率的であるからといって、「皆な同じが気持ちいい!」を断じて肯定してはいけない。 皆が同じで気持いい!というのは全体主義国家を賛美しているに等しく、ソ連や中共を罵倒してきた筈の人達が最も嫌った国に日本がなることですぞ。  <或る大企業の社長>氏は、これに気が付いているのか???   何となく「皆の意見が一緒するほうが気持ちはいいな~(^^♪」とフィーリング的に漂っていた「あなた」 大丈夫?・・・・。
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札幌市議 「アイヌ民族なんて もういない」発言;   愚者の妄言と軽くみては危ない

2014-09-17 10:26:07 | 時評
 今朝の毎日・朝刊に掲題見出しで<「アイヌ民族はもういない」と金子快之(やすゆき)札幌市議(43)がインターネットの短文投稿サイト「ツイッター」に書き込んだ問題は、金子氏が所属する自民党を除名される事態に発展した。しかし、いまだに発言の撤回も謝罪もしていない>で始まる記事がある。<8月11日、金子氏は自らのツイッターに第三者の問いに返信する形で「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理」などと書き込んだ>らしい。
   「~系日本人」と呼ぶことが何のてらいも気まずさも無くできる社会とは、出身民族ゆえに人権差別されない仕組みと慣習が定着した移民融合社会にのみ可能なもので、今の日本は朝鮮半島出身者、台湾、中国本土いや如何なる外国籍定住者をも「~系日本人」とフツウに呼べる社会になりきれてない。・・・・ああ、またか、ここにもこういう人が議員に選ばれ、支持する一群の人々が居る風土がある! との驚きと憤りに私は身を震わせた。
  <市議会でアイヌは先住民族かが議論されたことに触れ、「西宮生まれ、千葉育ちの私は、どうでも良い話」ともツイートした金子氏。就業の都合で北海道に来たというが、アイヌが強いられてきた苦難の歴史を「わがこと」として考えたことがあるのだろうか>。  無知蒙昧に気づかず、理屈にさえならない幼稚さと開き直りに、私は開いた口が塞がらない。

 <今回の暴言は一市議だけの問題とは思えない。歴史的経緯に基づく少数派への施策を「特権」「利権」と呼び、尊厳を傷つけるような表現は、ヘイトスピーチで問題となった「在日特権を許さない市民の会」に通じるものを感じる。金子氏が断固として発言を撤回しない背景には、こうした主張に同調する向きが一定程度あるからではないか。自民会派が即座に処分に踏み切れなかったのも、会派内に擁護する勢力がいたからという。ツイッター上にも「事実を言う金子市議を守れ」などの書き込みが散見される>とする山下智恵記者(北海道報道部)の指摘は全く正しい。  ここが本記事の肝である。

 政府が今回のような先住民族蔑視ではなく、歩みはのろいながら保護・啓発活動に力を入れてきたことは事実であり、国政の大枠では誤っていないのだが、昨今の地方自治体議会議員にまつわる様々な暴言/不祥事/常識外れの失言などを考えると、ヘイトスピーチ、国家主義的言動を否定どころか・もてはやすかの如きマスメディアの軽佻浮薄さ、靖国神社国家護持など「失われた20年を取り戻そう!」的感情に乗っかった国粋的扇動潮流の一端と私には思える。   一笑に付してお終い、ではないような気がするのだ。
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札幌市議 「アイヌ民族なんて もういない」発言;   愚者の妄言と軽くみては危ない

2014-09-17 10:26:07 | 時評
 今朝の毎日・朝刊に掲題見出しで<「アイヌ民族はもういない」と金子快之(やすゆき)札幌市議(43)がインターネットの短文投稿サイト「ツイッター」に書き込んだ問題は、金子氏が所属する自民党を除名される事態に発展した。しかし、いまだに発言の撤回も謝罪もしていない>で始まる記事がある。<8月11日、金子氏は自らのツイッターに第三者の問いに返信する形で「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理」などと書き込んだ>らしい。
   「~系日本人」と呼ぶことが何のてらいも気まずさも無くできる社会とは、出身民族ゆえに人権差別されない仕組みと慣習が定着した移民融合社会にのみ可能なもので、今の日本は朝鮮半島出身者、台湾、中国本土いや如何なる外国籍定住者をも「~系日本人」とフツウに呼べる社会になりきれてない。・・・・ああ、またか、ここにもこういう人が議員に選ばれ、支持する一群の人々が居る風土がある! との驚きと憤りに私は身を震わせた。
  <市議会でアイヌは先住民族かが議論されたことに触れ、「西宮生まれ、千葉育ちの私は、どうでも良い話」ともツイートした金子氏。就業の都合で北海道に来たというが、アイヌが強いられてきた苦難の歴史を「わがこと」として考えたことがあるのだろうか>。  無知蒙昧に気づかず、理屈にさえならない幼稚さと開き直りに、私は開いた口が塞がらない。

 <今回の暴言は一市議だけの問題とは思えない。歴史的経緯に基づく少数派への施策を「特権」「利権」と呼び、尊厳を傷つけるような表現は、ヘイトスピーチで問題となった「在日特権を許さない市民の会」に通じるものを感じる。金子氏が断固として発言を撤回しない背景には、こうした主張に同調する向きが一定程度あるからではないか。自民会派が即座に処分に踏み切れなかったのも、会派内に擁護する勢力がいたからという。ツイッター上にも「事実を言う金子市議を守れ」などの書き込みが散見される>とする山下智恵記者(北海道報道部)の指摘は全く正しい。  ここが本記事の肝である。

 政府が今回のような先住民族蔑視ではなく、歩みはのろいながら保護・啓発活動に力を入れてきたことは事実であり、国政の大枠では誤っていないのだが、昨今の地方自治体議会議員にまつわる様々な暴言/不祥事/常識外れの失言などを考えると、ヘイトスピーチ、国家主義的言動を否定どころか・もてはやすかの如きマスメディアの軽佻浮薄さ、靖国神社国家護持など「失われた20年を取り戻そう!」的感情に乗っかった国粋的扇動潮流の一端と私には思える。   一笑に付してお終い、ではないような気がするのだ。
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IWC 国際捕鯨委員会総会   < 守るべきは沿岸捕鯨だ > というが、論拠は大丈夫か?

2014-09-17 09:54:50 | 時評
 昨日から報道され始めたが、南極海での調査捕鯨の存続にこだわる日本への反発が従来以上に強まりそうだとの観測が伝えられている。反発の理由は、精神論的あるいは動物愛護論的<高等知能をもつ鯨の捕食なんて!>という非論理的感情論を別にしても、これまで日本が捕鯨頭数として挙げた目標数にとても届かない数しか取らなかった事実が根拠にされている。無論、シーシェパードなどの妨害活動で捕鯨活動がままならなかったことはあるにせよ、日本国内での鯨肉需要が関係者の期待を大きく下回る現状が真の原因であることが白日の下に隠し切れなくなったのである。
  5月23日グルメ・カテゴリーで「鯨肉よ さらば」と題して投稿した中にも触れたが、たとえ沿岸捕鯨で生計を立てている人々が居るのは事実にせよ、需給原則を外れて如何なる産業も存続しえないことを指摘されてしまえば、<食文化の保護>だけでは皮肉にも余計ウソ臭く聞こえてしまうだろう。残念だが、もう嘘くさく聞こえ始めてるのではあるまいか?

 昨日、某TV局で、日本へ鯨肉を輸出してきたアイスランドが、IWCの趨勢やホエールウヲッチング・ビジネスの有望性拡大で対日輸出を再検討しはじめていると報じていた。既に鯨肉輸送を拒否する船会社まで出ているそうで、仕方なく高い料金でチャーター船を雇っているとこぼす地元の水産会社も映像に出ていた。鯨肉が高価なわけだ。仮にアイスランドからの輸入が途絶えたとき、鯨肉需要がどうなるか?
 起死回生の妙策はありそうに見えないが、一縷の望みは<鯨の過剰が魚類全体の食物連鎖に及ぼす影響を把握し、一定数の調節が不可欠であるとの証明>ができることかもしれない。然し、対費用効果の点、検証技術、魚類を蛋白源にしない多数派民族の説得、などなど現実性がどこまであるか?
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