静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ コロナ+ウクライナ ≫  2重苦に喘ぐ世界   夢はもてなくとも 希望だけは持とう!  

2022-03-30 08:41:49 | 時評
💛 毎日:「命綱」は切れていない=古賀攻 (専門編集委員)  全文転載
・国連総会の緊急特別会合は、安全保障理事会が大国の拒否権で機能しない場合、世界の平和にとって最後の「命綱」にもなる。特別会合招集第1号になったのは1956年秋のスエズ危機だ。
 スエズ運河を国有化したエジプトに英仏などが軍事侵攻。安保理の非難決議案は葬られたが、緊急特別会合で国連緊急軍の派遣を賛成57、反対0で決め、解決につなげた。

・一方、同じ時期のハンガリー動乱に国連は手も足も出なかった。民衆の蜂起を当時のソ連は残酷に鎮圧。安保理不調、緊急特別会合招集までは同じだったが、ソ連軍への恐怖が両者を分けた。
 日本の「ミスター国連」明石康さん(91)が57年2月に国連入りし、最初にやらされたのがハンガリー事件の報告書作りだった。「ソ連の実態を暴露はしたものの、第三次大戦を覚悟することなしに
 ソ連を実力で懲らしめることはできなかった」と振り返る。

・出口が見えないウクライナ侵攻も根底には同じ問題が横たわる。主権侵害はもちろん病院・学校・避難所への爆撃、原発攻撃、民間人の拉致など国際法違反の限りを尽くすロシアの行為は
 「もはや戦争とは呼べず、犯罪行為に等しい」(山添博史・防衛研究所主任研究官)のが実情だ。それでも首謀者のプーチン露大統領を止められない。戦争犯罪人として訴追する展望も開けない。

 世界には悲観論が広がる。「問題の本質は国連のみならず米国による戦争抑止も虚構だったということだ。米国は核を持っている国には手を出さないことがはっきりした。このままではNPT
(核拡散防止条約)体制も崩壊する」。穏健派に属する自民党の閣僚経験者までこう話す。もしも「プーチンの戦争」が核大国のやり得になってしまったら、世界の道義は際限なく後退し、
 核に頼ろうとする国が続出するだろう。最悪のシナリオだ。

★ しかし、人類がそこまで愚かとは思えない。ロシアの核は確かに厄介だが、国連の緊急特別会合はすでに今月2日と24日の2回、193カ国中141カ国と140カ国の賛成でロシア非難を決議している。
 7割超の圧倒的多数だ。可視化されたこの国際世論が、西側にも痛みを強いる経済制裁を支えている。最良のシナリオはプーチン失脚につなげること。「命綱」はまだ切れていない。
  明石さんは著書「国際連合」(岩波新書)で国連を「世界の鏡」と表現している。そこに映る世界像は時にゆがんでいるが、国連は「現在われわれが望みうる最良の鏡」であると。

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 毎日、ウクライナに関するニュース報道に接するたび、目も耳も覆いたくなるばかり。コロナウイルスで3年越しにどっぷり浸かってきた閉塞感を上塗りする”殺し合い”と”憎悪の応酬”。
国連が機能していないと言われるのは前からなので、希望をもてと言われてもシラケる。 然し、明石氏が言う通り、現在の国連に替わり得る仕組みは無いし、たぶん今後もできまい。
不完全でも「鏡」として大事に使うしかない。其の意味で≪命綱≫と信じるだけだ。

 コロナウイルス蔓延、そして突然な【1国内の反政府内戦ではない独立国家間の大規模戦争】の勃発。これは第二次大戦後から昨日まで世界中の誰もが予想しなかった巨大な非日常であり
『世の無常』を万人に思い知らせた。『世の無常』観は既に東洋世界の専売ではない。古賀氏は<最良のシナリオはプーチン失脚につなげること。「命綱」はまだ切れていない>と励ましている。

・・が、失脚せねば?  悪く想像すればキリは無い。死ねない年寄りが居る一方、若者はいっそう世をはかなみ、自殺が増えるのではないか? ・・と萎えそうになる気分を立て直し、前を向こう!
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 ≪ 老 い・・・認 知 障 害・・・家 族 の 献 身 ≫    人間としての尊厳ある「死」とは?

2022-03-29 15:18:45 | 時評
* 毎日「医療プレミア」 ◆ 自分の死後の評価を考えてみる~私が長生きしたくない理由~:石蔵文信・大阪大学招へい教授 要旨転載

 「蓋棺事定(がいかんじてい)」とは、「棺おけの蓋(ふた)が閉まってから人の評価が定まる」という故事です。その人への生前の評価はあてにならず、死後になってから評価が定まるという
  意味のようです。

◎ プーチン大統領への歴史の評価は?
・ たとえロシアがウクライナを占領しても、ここまで残虐な行為をしたら、プーチン大統領は第二次世界大戦後の世界では最悪の人物として歴史に名をとどめることになるでしょう。
  ドイツのヒトラーも最初は民衆から大きな支持を受けていましたが、結局は20世紀における極悪非道な人間として歴史に名を刻んでしまいました。今、独裁主義の国家で元首を務める人も、
  将来はその国の歴史の教科書で極悪非道な人間として記載される可能性があるでしょう。そんなことも理解できないのは、「死んだらすべてが終わる」と思っているからでしょう。

◎「小市民」にとって大切なこと
・ 私たちはそれほどの権力を持っていませんので、よくも悪くも歴史に名を残すことはないでしょう。しかし、やはり「死んだら全てが終わり」ということはありません。
  権力者は歴史が評価しますが、私たちのような「小市民」は家族の評価が大切になります。

・ 長寿社会になり、介護の果ての殺人事件や心中事件などの問題も尽きません。元気な高齢者であっても、年を取るとわがままや頑固さが強くなって、家族から疎まれることも多いでしょう。
  本人のせいとは言えないとしても、長寿になればなるほどこのような傾向は強くなり、家族とのあつれきが生じるでしょう。私があまり長生きはしたくないと思っている理由は、
  長寿によって自分の人格が悪く変化し、家族に大きな迷惑をかける可能性があるからです。


  私は長生きをした場合、自分の意思をコントロールすることができるかどうかとても不安です。現在、前立腺がんの全身転移と向き合っていますが、死ぬことに関しては、それほど恐ろしいと
  感じていません。長生きをして自分のことがコントロールできなくなる方がよっぽど恐ろしいと感じています。 

▲ 家族に疎まれない最期を
・ 高齢者がかかわる事件は、いろいろ耳に入りますが、がん患者の場合はどうなのでしょうか。私自身は、あまり悲惨な事件を聞いたことがありません。がんで死ぬことは残念なことかもしれませんが、
  考え方によっては家族との最後のお別れがうまくできるのではないでしょうか?
   人は、「蓋棺事定」の故事にあるように、死んだ後の評価を自分で知ることはできませんが、せめて、人生の終わりに家族から疎まれないようにしたいものです。
 そのときのお別れは悲しいものかもしれませんが、それは「家族が大事に思っていてくれたから」と考えて旅立ちたいものです。
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(私は家族に迷惑をかけ疎まれる最期になりたくない、それには自分をコントロールできなくなる認知症より不治の病で最期を迎える方が相対的にはマシだ)これが石蔵教授の云わんとするところ。

消極的安楽死である(尊厳死)すら日本では法制化をためらうため、身体は頗る元気なのに認知症が進行した老人でも施設に敢えて入れず、家庭で認知症の進む親を看取る覚悟の人が増えている。
★ 皮肉だが、末期癌患者にはターミナルケアとして苦痛を和らげ、家族と見つめ合う穏やかな時間が与えれられるが、我を失った重度の認知症患者と向き合う家族に其の配慮は最期まで与えられない。

在宅看取り;それは表向きの『麗しき家族愛』美談だけで赦免すべきものではない。看取る側ひとりひとりの時間は家庭での献身に割かれ、看取る側が高齢になればなるほど、其の人達の余生時間の
大部分が在宅介護に費やされてゆく。仮に介護する側が犠牲とも不運とも思わぬ高貴な精神で尽くしたにせよ、老いゆく当人がそういう現実の姿を元気なうちに意識する人であるほど、
「家族が大事に思っていてくれたから」と感じて旅立てる終わりが、せめて「自分の尊厳ある死だ」と思いたい。

 だが、ひとたび認知症の進行プロセスに入ると本人は、そのような思考過程も記憶も失い、家族とは遠い別世界へ行くので「尊厳」概念からも旅立つ。              < 了 >
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 今春もまた 愚かしい人間界をよそに 梅のあと 桜は咲く

2022-03-27 22:05:34 | トーク・ネットTalk Net
 ~  白じらと 咲く花びらの 儚なさを 知りて愛づるや こぞの春また ~           【放 閑】
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 今年もまた 素直に喜べない春が来た

2022-03-25 20:37:13 | トーク・ネットTalk Net
* 前代未聞のコロナ型ウイルスに世界が翻弄され、もう3年目に入った。依然、出口は見えない。これでは、ペストやコレラに打つ手が無かった何世紀も前の人類と大差ないのでは?

* 科学技術の恩恵を疑わず突っ走ってきた人類だが、対症療法が精一杯で、未だにウイルスを撲滅できない。人類がここまで脆いとは誰も思わなかった。この敗北感は、増え続ける人口を養うため
  際限なく使い続けた地球資源の消費がもたらすシッペ返し(=環境汚染&気候変動)とは本来別ものだが、人類の驕り/己惚れと見れば、似た敗北感かもしれない。

* そこへきて、コロナ3年目の今春、ウクライナでは人間同士の殺し合いが始まり、ウィルスが招いた世界全体の人間活動停滞に拍車がかかった。この停滞に無縁・無傷な国は無い。
  戦争の結末がどうなるにせよ、国際的な経済混乱と他地域での政情不安定も悪化する一方だろうから、今年の残り9ヶ月は混沌としたまま、考えたくもない事態が待っているかもしれない。
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 幸せを求め続け 老いても折れない・ブレない 小林一茶

2022-03-23 08:51:57 | トーク・ネットTalk Net
3月16日:<トーク・ネット>・・貴方は遺したいか?≪ 世を去るにあたっての言葉=辞世の句 ≫ vs  辞 世 を 詠 ま な か っ た 小 林 一 茶
* 先週16日に上記短文を呟いて以来、一茶の人物像に改めて目が行き、岩波文庫223-4「父の終焉日記・おらが春他」(矢羽勝幸校註)を読んでいる。
  辞世を詠まなかった背景に加え、一茶の苦しみについて、同書を読まれた方は上記短文と似た感想をお持ちでは?と勝手に想像している。
   一茶の生涯は(1763-1827年);世を去ったのは64歳だが、今の80歳に近いかもしれず、江戸末期では長命の方だろうか。自分が若き日には気づかなかった読み方・感じ方をするように
  なったのも、年齢が近くに感じられるから、ということであろう。

 * 振り返れば、若い頃に読んだ一茶の俳句は飽くまでも作品の一部でしかなく、芭蕉や蕪村・其角などが漂わせる高踏的匂いに比べれば、印象は淡いものでしかなかった。
  一茶に限らず、俳句をよく理解できなかったもうひとつの理由には、私が高校生の頃から魅力を覚えた短歌と比較して感じる「ブツ切れ感」「暗喩」「季語への拘り」などがあった、
  と今になって解る。俳句は世界に類をみない短詩型表現の極みであるが、少ない言葉の連想に込められた含蓄を深く掴むには、読む側の人生経験が相応しないうちは限界がある、今はそう思う。

* 「父の終焉日記」・・これは淡々と擬古文で綴られているが、内容は父の急死が招いた継母・異母弟との凄惨な遺産トラブル劇であり、一茶が僅か15歳で家を出されて以来苦しみぬいた
  人生悲劇のフィナーレそのものである。 生母と僅か3歳で生き分かれた一茶は継母に苛め抜かれ、見かねた父が江戸へ丁稚方向に出す。父の配慮が判らない幼い身では、どれだけ両親を恨んだ
  ことであろう?俳句仲間に認められだした30歳前までの10数年、何をして孤独で貧しい日々を生き抜いたのか? 一茶は死ぬまで語らなかった。

* 父が田畑の半分を一茶に分けよと遺言した事から醜い争いが始まる。臨終の床が近づいた父に継母は医者が止める酒や生水を平然と笑いながら与える。それを止めようとする一茶と争う場面などは
  目をそむけたくなる。無論、一茶の勧善懲悪的な脚色は否定できないが、架空の噺ではなく、庶民生活の愁嘆場を実録風文章にして残したのは一茶の前には誰もいない。 例え脚色部分が有るにせよ、
  明治近代小説の先駆けとまで言われる理由は肯ける。この「父の終焉日記」を映画或は劇やドラマ仕立てにすれば、いったいどういう悲しみとエゴを描き出す事になろうか? 
   過去、映画や劇作に創った人が居るのか、寡聞にして知らないが、おそらく涙だけでなく、反吐がでそうなモノとなろう。

* 父を荼毘に付した一茶は郷里をあとにする。だが顔を見たくもない冷たい継母が住む我が家を時折訪れるのは、近所の菩提寺に遺産相続争いの調停を頼み続ける目的に過ぎない。
  その争いに決着がついたのは死ぬ15年前の1812年であり、一茶は名声も江戸の生活も捨て、郷里に定住、初めての妻「きく」を迎え、娘「さと」も授かった。時に56歳。
  地元で生まれた新しい俳諧サークルも楽しむ、平穏だが長年求めてきた幸せな生活を描いた句集が「おらが春」。だが、幸せは続かず「さと」の病死で晩年の人生は暗転した。

★ 不遇な人生の最後に束の間味わった短い幸せがあったからこそ≪今一度、小さな幸せを手にしたい、それまでは死を想わない・思いたくもない≫。 だから一茶はこう詠んだのではないか。
   ” 花の影 寝まじ 未来が 恐ろしき "  
 ・・・この叫びは老いても諦めずに幸せを求めた強靭な意志であり、一茶は死の床にあっても「おさらば」を言わない稀有な人物であった。
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