静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

台湾:大学・学生会長選、  中国(国籍)人の立候補に賛否

2014-09-13 21:38:22 | 時評
 今日の毎日夕刊に興味深い記事があった。<議論が巻き起こっているのは台北郊外の私立淡江(たんこう)大学。17日から投票が始まる学生会選挙で、中国浙江省出身のマスメディア学科4年、蔡博芸(さいはくげい)さん(22)が会長に立候補した。台湾紙によると、中国人が学生会長選に立候補するのは初めて>。 賛否両論が渦巻いていることではなく、私が注目したのは次の下りである。
   <蔡さんは「学生の権利を守ろうと立候補しただけなのに、こんな騒ぎになるなんて」と困惑する。蔡さんは高校3年のとき、初めて訪れた台湾旅行で人々の温かさにひかれ、11年に同大日本語学科に入学。3年生で本来志望だったマスメディア学科に転科した。大学の友人らと社会問題に取り組むグループを結成。今春の中台サービス貿易協定に反対する学生運動にも参加した。昨秋には学費値上げに反対し、大学側に公聴会開催などを求めた。「台湾で自己の権利とは何かを学んだ。台湾社会が教えてくれた」と話す>。 
 この部分である。即ち「学生の権利を守ろうとしただけ」「大学の友人らと社会問題に取り組むグループを結成。今春の中台サービス貿易協定に反対する学生運動にも参加した。昨秋には学費値上げに反対し、大学側に公聴会開催などを求めた」という内容から、彼女はおよそ中国本土の治世下では経験できない権利意識に触れ、政治的活動さえ参画していたという点に私は注目した。

 台湾の学生や教員が問いたいのは、この立候補した学生が台湾で味わった権利意識と様々な自由を卒業後どう活かすのか、ではなかろうか。本土から出た多くの留学生が歩むように、何年間かはその国で働き口を探し、自由な生活を享受するのかも知れない。然し、この女学生が台湾国籍を取得することは残した家族・親族への弾圧を考慮すれば不可能に近いからいずれは帰国せざるをえまい。だが本土に帰ればこれらの体験を語ることも広げることも禁じられている統治体制だから、何の役にも立てられない。・・・・そんなことはどうでもいいじゃないか、彼女が学生会の会長を務める資質さえあれば、という議論も当然あろう。その場合、本土に帰った場合、彼女の秘かな青春エピソードがひとつ増えるだけ、である。
 
 「中国共産党の陰謀だ」と息巻いている連中が本気で阻止したいなら、一歩進めて、立候補キャンペーンの中で例えば「帰国後にあなたが台湾で経験し、学んだ個人の権利と自由をどう活かしますか?その観点から会長になることは貴女にとりどういう意味をもちますか?何の意味も関係もないなら会長になる目的は? 単なる経験のひとつ?」などと尋ねると好いだろう。そうすれば、炙り出される応答ぶりを通じ、大陸に居る人々に向かって絶好のアッピールになるかもしれない。・・そして、このことは、日本に来ている大量の中国留学生にも共通する潜在的問いかけであることを忘れまい。
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昭和天皇実録     < 読むときは、第三者ではない宮内庁が編集したことを忘れずに読もう! >

2014-09-13 14:54:34 | 時評
 来春の書籍化が予定されているとの報道もあり、注目が集まっているようだ。今朝の毎日では"占領継続希望の「沖縄メッセージ」 米側史料、無視できず" の見出しのもと≪米軍を中心とする連合国軍の統治下にあった1947(昭和22)年9月19日、天皇は沖縄の占領継続を希望する「天皇の沖縄メッセージ」を、側近を通じて米国に伝えたとされる≫としている。 http://mainichi.jp/shimen/news/m20140913ddm012040110000c.html

 このメッセージの内容を昭和天皇が本当に米側へ伝えようとし、確かに伝わったのか否か、宮内庁側には記録が無いものの、米国には資料として残っていたため、宮内庁はこの「実録」にも掲載したようだ。<天皇が沖縄占領継続を希望する衝撃的な内容だ。宮内庁は「天皇が寺崎氏に述べた内容や、米側に伝えるよう寺崎氏に指示したかを裏付ける資料はなく、天皇が軍事占領を希望したと話したとは事実認定していない」とするが、米側史料を無視できなかった形だ。「事実誤認ならば掲載しない」との編集方針だけに、靖国不参拝の経緯を示す「富田メモ」同様に、事実上の追認と受け止められるだろう>と毎日が捉えるわけである。
 端的に云うならば、米側に証拠となる文書が残っているから仕方なく宮内庁は無視できず掲載したという姿勢を示しており、恐らく、その姿勢は「沖縄メッセージ」「天皇の靖国不参拝をめぐる富田メモ」だけのことではあるまい、と敷衍する必要がある。何故なら、現行憲法の下で存立する天皇制度と政府の関係にあって、宮内庁が歴代及び時の政府の基本方向に著しく逆行するかに見える言動は、いくら亡くなった天皇のものといえども可能なら伏せておき、既に論争中の案件へ新たなネタ提供は避けたいと思うであろうからだ。

 上に出ている寺崎氏とは「昭和天皇独白録」をまとめた宮内庁側近5名のひとりである。因みに、半藤一利氏の編集で、寺崎氏のひとり娘;マリコ・テラサキ・ミラーによる「"遺産"の重み」と合わせた2部構成で1990年、文芸春秋誌に全文発表されている<1995年文庫化>。  数年前、NHKが「マリコ」のタイトルでドラマ化した番組をご記憶だろうか?
 「~独白録」は開戦前後から敗戦までの経緯を側近が聞き書きしたものなので「沖縄メッセージ」は出てこないのだが、手元にあるので読み返してみたら、天皇の口調が極めてざっくばらんであり、例え天皇自身の誤解や事実誤認が混じっているにせよ、聞き書き当時の天皇の認識がどのようなものだったのか、少なくとも脚色は少なかっただろうと映る。    その率直さが「~実録」にどこまで確保されるか?

 今回の<昭和天皇実録>の内容の当否、取り上げたこと/取り上げなかったこと等の見極めと解釈は学者がこれから進めてゆくだろうが、出版された同書に市民としてどう向かうか、くれぐれも上に述べた点に留意したい。
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第2回 政労使会議      <年功序列型賃金慣習を本気で変えるには?>

2014-09-13 09:04:10 | 時評
 政府は昨日、この集まりを招集し、非正規雇用契約労働者の低減などと一緒に、いわゆる年功序列型賃金制度の廃止にむけて労使が取り組むよう要請したと報道された。高度成長が終焉してこのかた、このテーマは幾度も繰り返し現れては実現しないまま消えてきた。バブルがはじけ、低成長・マイナス成長に苦しんだ時期、企業は派遣労働者関連法規の修正で非正規雇用者を増やし、生産変動の調整弁としたうえ、45歳前後からのリストラを組み合わせることでも総人件費の抑制に邁進してきたことは周知の事実である。
 これは一定の効果を発揮したが、人口減少に伴う国内消費市場の縮小で輸出ドライヴ型産業構造のミスマッチ状態はますます広がり、海外生産へのシフトは止まらない。そして、間接労働職種の生産性と賃金相場の相対的つり合いからみる国際競争力は依然として低いままだ。非正規労働者拡大と退職勧奨だけではこの手詰まり感はこれ以上変えられない、との危機感が成長戦略推進と呼応する格好で今回の呼びかけが出た、と私は解釈している。

 さて、国際的に跨る労務賃金設計と運用に携わった方、また海外(とりわけ欧米企業)で管理職となり外国人部下を採用/評価された人には常識だが、日本に年功序列型賃金体系が存立する前提条件は同一職種同一賃金でなく、男女差別が介在することだ。換言すれば、日本以外の諸国、特に非東洋世界はこの前提条件が成り立たない社会ゆえに年功序列型賃金体系は消滅している。では、同一職種同一賃金の実現を具体的に支える制度とは何か、おわかりだろうか? それはJob Description <以下;JDと略す>と呼ばれる書式の作成と運用、そして随時採用慣習である。JDについては、世界で最も非年功序列賃金が徹底しているのは米国であり、米国地場企業で管理職を勤めた私の体験を紹介するのが手っ取り早いだろう。

 JDは;其の職位に求められる基礎学歴、職歴・経験、「~をする/できる」式の具体的な職務責任記述、職務管掌の区分と時間比率、管理する部下の概略人数、職務連携の深い部門名、環境安全責任範囲、報告義務のある上司職位を記載する(無論、性別、生年月日の欄は無い)。JDは求人時の募集要項または求人斡旋会社への提示段階から使われ、応募者の面接時、面前で手交・確認させたうえで面接に入る。採用側は(新卒者でない場合)前職で担当した業務内容を具体的に語らせ質問したうえ、過去に勤務した企業に裏を取る承諾を本人から得たうえ、それら企業に電話で確認する<これをReferenceという>。仮に採用した場合も3ヶ月程度の試用期間中、JDに記述した内容を遂行できる能力の有無が常にJDに照らし合わせて評価される。また、個人別の目標管理指標もJDに則って策定する。定期的なパフォーマンスレヴュー時、若し達成度が甚だしく未達、或は管理監督職の場合、部下管理や他部門との協調性評価もJDに定められた記述が基礎にされる。万一、業績やパフォーマンスが期待外れな時は、JDが前提での雇用契約に反していることを理由に解雇できる。(時給で雇用される現場作業者でさえJDは使われる。但し、求められる責任と能力の要求が間接業務より低いことが多いため、不品行以外の解雇は容易でない。)管理職でランクが高いほどJDの果たす役割は重い。仮に裁判沙汰になった場合、JDが契約の基本文書になるのは言うまでもない。

 どうだろう? おわかりいただけただろうか。日本では昇給/昇格査定に「仕事ランク別達成度めやす」のようなマトリクスが使われるが、あれは職位に個別対応せず、採用から査定・解雇といった人事サイクル全体に一貫して用いられる文書でもない。上司の主観介入を温存させる元凶といって良いだろうし、同一職種労働・同一賃金の根拠とはされていない。よくいわれるように、雇用が提供する労働価値の約束に基づく個人と企業の契約である、との観念が日本社会に嘗て存在したのか? 戦前は在ったという人もいるが、今は無い。私が信じるには、このJDを基軸にした雇用契約の導入なくして年功序列型賃金の消滅は起こりえないし、男女差別が絶滅する日は来ない。もう少し云うなら、民間企業だけでなく、公務員の報酬体系にもこれを導入せぬ限り、民間企業だけの実現は無理だろうし、人材の官民交流など夢の夢に終わるだろう。
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