静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

 オリパラで来日する人たちだけでなく 自国民にも犠牲を強いる政府よ  お前たちは何様のつもりだ?  国民は選挙の投票で 命まで託してないぞ!

2021-05-29 07:05:33 | 時評
▼ 【毎日・土記】五輪の上乗せリスク=青野由利 (専門編集委員) 抜粋転載  

<「五輪参加者を新型コロナから守るため、リスク管理が急務」。今週、こんなタイトルの論文が米国の権威ある医学専門誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」に掲載された。
著者は米ミネソタ大感染症研究政策センター長のオスターホルムさんら公衆衛生・疫学の専門家4人。参加者の感染防止策を定める五輪の「プレーブック」は「厳密な科学的リスク評価に基づいていない」と警告している。 パウンド、バッハ、コーツの3氏が弁護士であることを思えば、科学的根拠について公衆衛生の専門家よりわかっているとは思えない。

<リスクをレベル分けせず、体温測定やマスクの限界についても不明確。パラリンピック選手はリスクにさらされる恐れがあるし、トレーナー、ボランティア、ドライバーやホテルの従業員といった人々も
 十分に保護されていない。ワクチン接種が困難な国も100カ国以上ある、といった具合だ。追加リスクがないどころか、リスク評価自体に穴があるという話。>


<もうひとつ注目したいのは、今週、東大経済学部の仲田泰祐さんと藤井大輔さんのチームが公表した五輪開催が感染拡大に与える影響のシミュレーションだ。東京の感染者増加は、選手ら約10万人が
 入国して滞在することの直接的影響よりも、日本に住む人の人流増加の影響の方が大きい、というのが分析結果の肝だ。> 
  ← つまり、日本人観客を入れたら間違いなく感染拡大に影響するし、仮に全種目/競技を完全無観客にしても、約10万人が入国する影響が消える訳ではない、ということ。
    プラス、これは物理的に医療サポートが動員できるかどうかの設問以前に大事なポイントだ。
  ← また、参加選手全員が仮にワクチン接種できたとしても、(周囲の関係者+メディア+ボランティア+ホテル従業員;バス運転手)+観客も全員が接種完了せねば、理屈に合わない。
     現在の接種能力と遅れからして、全員接種は絵空ごとだ、というのは自明。。。
 ◆ <オリパラに拘わる人間全てに忍び寄る顕在リスク>のうえに<医療従事者/サポーターの動員可否>という現実的課題も乗っかっているのだ。 開催賛成の人も心の奥ではわかってるんでしょ?

★ 整理すると、IOC「プレーブック」の欠陥が示す来日参加者への<基本リスク>に加え、受け入れ側日本人に及ぶ<追加リスク>の両方とも、検討/評価/対策とにも不完全だ、という事になる。
  開催予定日まで50日余りで、これらのリスク回避策が出来ると考えるなら、よほどお目出度く、頭が狂っているというしかない。意地になり、己の生き甲斐の為に国民の犠牲を考えない政治家。
  誰が見ても危ないのに、突き進む意味はどこに? 中止したら冬季北京オリンピックと比較されるから、止められない? ・・メンツは命よりも大事か? まっぴら御免だ、そんな国は。
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 ”ニッポンの夢 1964よもう一度”   ”アスリートの人生の夢を叶えてあげよう!”  ・・お涙頂戴は沢山だ   若し円滑にできる年なら・・のハナシだ、それは!

2021-05-28 07:43:13 | 時評
☆★ 五輪開催契約、IOCに「全権」 中止なら日本が賠償も: 抜粋転載
【A】<中止する権限は日本になくIOCだけが持つ。「参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合」などに中止が可能で、
   日本側は「いかなる形態の補償、損害賠償またはその他の賠償またはいかなる種類の救済に対する請求および権利を放棄」することになっている。

【B】<不可抗力でイベントを開催できない場合、契約を結ぶ双方が責任を逃れられるように免責条項を入れるのが普通。国際スポーツ大会の契約に詳しい松本弁護士が携わった
   他のスポーツの世界大会もそうだった。「五輪のような形はレア中のレア。大きなお金が動き招致を望む国が多いイベントほど、主催するスポーツ団体の力が強い。」>


* 日常生活が欧米式契約社会ではない日本といえど、国際契約に通じる弁護士は居る。それでもなお、【A】【B】で明らかな対等でない契約を承知で締結した日本政府・JOC・東京都。
  ここには、最悪シナリオを含むシュミレーションを最初から避け、問題発生しても「何とかなるさ!」「なせば成る」の根拠なき精神論・スポ根に縋る政府の姿しか見えない。
  ”日本国にとっての最悪シナリオ”とは開催を見送る事ではなく<開催中にパンデミックが首都圏で再発し、外国人含む多くの人命を失うリスク>ではないか?人命よりも名誉やカネが大事なのか?
  他方、”IOCにとっての最悪シナリオ”とは、Tokyo2020 がコロナ再燃で失敗に終わり、次からは開催立候補するクニ/都市を喪うリスクではないのか?


💛 招致から7年間に費やしてきた投資、昨年の延期で発生した追加費用、加えて違約金補償まで払ったとしても、実は中止の補償金なんて全体に占める割合でいえば少ないかもしれない。
  然し、政府はそれでも止めたくない。 諦めたくない真の理由は何だろう・・・・「日本ブランドの沽券に拘わる?」「何であれ撤退は悪?」「国際イメージ失墜に拍車?」「総選挙が怖い?」
   上に挙げた「~?」全てが、政府や自民党/国粋保守派にとっては≪国家が失うモノ≫という位置づけなのだろう。 でも、それは大多数の国民の価値と合っているのか?
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≪ 憎悪と宗教的アイデンティティー(存在証明) ≫   超越的絶対者&来世思想をもたねば 不安で生きてゆけませんか?  持たない相手は殺しても良いのですか?

2021-05-26 11:06:03 | 時評
💛 昨日の本コラム【人間が生きる上での存在証明(アイデンティティー)を貴方は、憎悪に置けるか?  宗教心さえあれば死を厭わず、憎悪すら生き甲斐にできるか?】
     最近ではめったにないほど多くの閲読者数が記録されたので驚いている。 今朝は続編の体裁で、記事引用は無いが、思う所を自在に語ってみたい。
◆ まず「宗教」という漢語。これは「教え」を「宗とする」。即ち、<自分にとり有難く大事にしたい「考え方」(=教)を「自分の生き方の中心に据えてゆく」(=宗)>ことを意味している。

  一神教で言う<自分にとり有難く大事にしたい「考え方」>とは、『論語』に代表される格言/モットーのレベルを超えており、生きてゆくうえで守らねばいけない「教え」との善悪価値観まで
  高め、日々精進する、そういう類の対象だ。だからこそ、それに従わない・或は否定してくる他人は赦せず、殺すのも厭わない「排他性」を帯びてしまう。この「排他性」は同じ「教え」を信じる
  人々との「仲間/同士」意識を生む。 この「仲間/同士意識」は安心であり「生き甲斐」にもなる。昨日の引用記事で大治記者が用いた≪アイデンティティー≫とは「生き甲斐ある自分」だ。

★ 教科書的に”世界3大宗教”と呼ばれるのは信者数から『キリスト教/イスラム教/ヒンドゥー教』。ユダヤ教がキリスト教の前の姿であり、イスラム教がユダヤ教の否定に発したことは周知の通り。
  日本人には、ここで次の疑問が浮かぶ:「では神道は宗教の定義に当てはまらないのか? いや、そもそも仏教やその前のヒンドゥー教は西洋世界の一神教ではないので、宗教と呼べるのか?」
  
☆ 遠いエジプト・ギリシャの昔、西洋世界も一神教ではなく東洋と同じ多神教だった。多神教は一神教における【人間を支配する絶対超越者=God】を上に戴かない。多神教が戴くのは太陽など
  大自然のパワーであり日本の神道が典型。どれも人間が頭の中で編み出した抽象的【絶対超越者=God】ではない。例えばゾロアスター教が仰ぐのは「火」。ヒンドゥー教における絶対者は
  「ブラフマン」と総称される”生命を司る超能力者の集合体”であり【God】と同じではない。また、漢民族の「道」が仰ぐ「天」も畏敬の対象でこそあれ、個人のアイデンティティーにはならない。
 
 つまり多神教に生きる大多数の人は、頭上に仰ぎ・信じ・死を賭す抽象的絶対者を発明しなかったので<自分にとり有難く大事にしたい「考え方」を自分の生き方の中心に据えてゆく>
 生活は稀だ。ヒンドゥー教、仏教、道教等の僧侶の生き方の核に在るのは(自分と自然・天などの対話による生の律し方)であり、一神教における【God】との仲介者的生き方の満足ではない。
 

▼ ≪ 憎悪と宗教的アイデンティティー ≫を考えるうえで(自分と自然・天などの対話による生の律し方)vs(【God】との仲介者的生き方の満足)の対比と別に、もうひとつの視点が重要だと思う。
  それは《来世・天国》思想の介在である。承知のように、ユダヤ教が生まれた際、発明したのは【God】だけではなく《来世・天国》もセットだ。奇しくもヒンドゥー教が《輪廻》思想を持ったのと
  偶然だろうが一致する。唯、《輪廻》思想は超越的絶対者の必要十分条件ではない。そこが一神教における【God】と《来世・天国》の結びつきと異なる。

  ヒンドゥー教から分派してゴータマ・ブッダ(釈迦)が始めた原始仏教で《輪廻》思想は不問に付されたが、人間の《来世・天国》を釈迦は明確に否定している。後世、原始仏教が大乗仏教へ
  変遷する際、ペルシャ経由で西方宗教の影響を受けたのであろう、《来世・天国》概念を導入し《浄土》思想となった。(この辺りを推察する鍵が<ミリンダ王の問い;東洋文庫>に在る。)
  此の《浄土》思想は仏教教団の勢力拡大目的に沿った動きであるが、禅宗が原始の教えに帰れ!と異を唱え、自己との対話を説いたのは釈迦没後およそ先年も後だ。
   
 周知のとおり、禅の教えは<抽象的超越者・輪廻・来世>全てをキッパリ否定し、生命の常ならぬ事を説き、如何に生きるべきかを説く。・・・・個人的には、この禅宗の説く言葉が私には最も
 正直であり、心から頷け安堵する。 禅の教えは語義から言う”自分以外の何かに依存する”意味での宗教ではなく、自らを律する為の哲学以外の何ものでもない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 つらつら書いてきたが、不思議でならないのは砂漠を流浪する中東の民が心細さの余り、縋りつきたい対象を頭の中でひねくり回し一神教を発明した、似たような心理はどの民族でもある筈なのに、だ。
    変な例えだが、絶海の無人島に流れ着いた人間も同じ不安/絶望/心細さは感じるだろうが、絶対的超越者や【God】を編み出し日夜抱かないと、生きてゆけないか? 
 そして何故、あの賢明なローマ帝国の人々がユダヤ/イエス・キリストの教えを、最初は便宜的妥協のつもりにせよ、受け入れたのか? 個人の自律をギリシャ時代から果たしていた人々が、なぜ?・・
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 人間が生きる上での存在証明(アイデンティティー)を貴方は、憎悪に置けるか?  宗教心さえあれば死を厭わず、憎悪すら生き甲斐にできるか?

2021-05-25 06:57:23 | トーク・ネットTalk Net
💛毎日【火論】アイデンティティーの闘い=大治朋子(専門記者) https://mainichi.jp/articles/20210525/ddm/002/070/022000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=column&cx_mdate=20210525
<イスラエルとパレスチナのイスラム組織との戦闘が停戦した。改めて思った人もいるだろう。和平はなぜ実現しないのか、と。よく言われるのは双方の指導者の怠慢だとか、仲介役の米大統領の意欲が
 足りない、とか。だが指導者が代わっても和平が実現するとは限らない。>

<イスラエル、パレスチナではほとんどの人が愛すべき人を「敵方」に傷つけられた経験を持つ。問題はどう折り合いをつけるか。父親を紛争で失ったある少女は「将来はお医者さんになってお父さん
 みたいにけがした人を助ける」と語った。だが同じように父親を殺された別の青年は「敵を憎むことが僕の役目だ」と話した。喪失経験を希望で埋め合わせる人もいるが、憎悪で穴埋めする人もいる。
 憎悪はそれを抱く人の血となり肉となりやがて信念やアイデンティティーまでも作り上げる
> ← 朝鮮半島に住む人々の多くにとってのアイデンティティーとは日本民族への憎悪である。

<結局、誰が指導者になろうとも選択肢は限られる。すべてを覚悟のうえで命懸けで和平に挑むか現状維持でごまかすか、紛争をあおって政治的野心を満たすか。憎悪をたっぷり含んだ市民の
 アイデンティティーを書き換える作業は果てしないが、演説でたきつけるなら数分で足りる。> ← 双方の指導者の生き様が、これにあてはまる。日本の右翼も。

『いずれにせよ当事者間での解決には限界がある。日本はイスラエルと経済協力、パレスチナとは人道支援で独自の絆を持つ。経済向上は衝突を減らし喪失経験を防ぐことにもつながる。
 日本の側方支援を期待したい。』
 ← チョッと待った! 経済成長を助けたら憎悪まで消せるというのか? 短絡してないか? 憎悪が生きる励み&目的になっている人たちが豊かに暮らせたら違うアイデンティティーを持てる?
    如何にも日本人が抱く≪経済が全て≫式の思考方法ではないかな?

<ユダヤ、イスラム両教徒が帰属権を争う聖地エルサレムは単なる「土地」なら分割も可能だが、双方のアイデンティティーの根幹をなす存在だから「手に入れるか失うか」のゼロサム思考となり
 互いに一歩も譲れない。>  ・・・こう冒頭に書いてるではないか?

★ 宗教の聖地を巡る争いが彼らのアイデンティティーの根源だからこそ、其の否定が憎悪を生み続けるのでは? ならば、宗教を捨てぬ限り憎悪も消えはしない。宗教心こそが憎悪の源では?
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≪ 台湾に中国が侵攻する最悪事態の想定が必要な訳 ≫ 2021年4月/日米首脳会談後の共同声明を カラ念仏にせず 侵攻を諦めさせるため  日本から米国に共同作戦提案+軍備増強を さもなくば日本は属国に

2021-05-24 10:28:06 | 時評
 台湾海峡の平和と安定は日本防衛と同義だ【 API 地経学ブリーフィング 】https://toyokeizai.net/articles/-/429356

★ 台湾は両親が戦前に住んだことがあり、出張も含め80年代に何度か訪れた。大陸の地を私が初めて踏んだのは1987年の出張で、それ以降も3度行き、最後は2005~6年だったと記憶する。
  だが、それは中華人民共和国が現在ほど猛々しくアメリカと覇権を争い、周辺海域支配に乗り出す前の「中国」だ。あれから15年経ち、もう以前の「中国」ではない。別の国になってしまった。

◆ 鄧小平が来日し、(故)松下幸之助氏に笑顔で経済協力を頼み、日本政府がOAD援助を積極的に拡大した頃の好ましい雰囲気を肌で感じ、拠点進出に携わった世代が日本の進出企業を率いた。
  従い、其の後輩たちも現在の変わり果てた「中国」を半ば信じられない面持ちながらも、生計が掛かり引っ込みのつかない状況にうろたえているのではないか? 政治家も多分そうだろう。

◎ 大陸から来て日本に長く住む中国人を私は友人に持っている。また、嘗て住んだシンガポール<星港>で共に働いた華僑系シンガポーリアンとは今も親しく往来しており、訪問時は共に旅する仲だ。
 (不思議にも、在住年数は星港の2倍なのに米国にそのような親しい友は残らなかった。)申すまでもなく、私はアメリカ国籍の人であれ、中華系の人であれ等しく接してきたつもりだ。
  個人レベルでは何国の人であれ、変わりはない。 皆さんも同じと信じる。

▼ 私の世代までは親が受けた明治以来の教育のカケラの影響なのか、或は教師だった世代には軍国教育で育った人たちが混じっていた故か、個人差は有れ、東洋/中華文明・文化の残渣は残っている。
  そこが今の50代以下の層との決定的な差異ではなかろうか。早いハナシ、漢文・漢詩・論語・大陸の故事格言/諺などからの成句や引用が親の口から日常生活で聞こえていた。ご記憶だろう。
  それは音楽で云う「通奏低音」の如く、中華文明・文化への畏敬でもある。大唐帝国時代のグローバルな隆盛を日本人は何もマルコポーロのお陰ではなく、奈良・正倉院の宝庫殿で知っている。

  私自身の胸の中にも「通奏低音」は今も響き続けており、中華料理への親しみや水墨画や書跡にそこはかとない憧憬を覚えるのが確たる証拠だ。然し、此の畏敬の念こそ、スッカリ変わってしまった
  中華人民共和国の実像/現実から眼をそらしたがる我々を作っている。これが欧米文化圏の人との決定的な違いである。欧米人に文化的憧憬は無く、寧ろ優越意識しかもたないから焦っているのだ。

* 私は日本が軍事大国になるのをやむなしと言ってるのではない。変わり果てた「中国」から自衛するのに最低限必要な軍備の敷居が高くなった現実に合わせるしかない、唯それだけである。
  無論、米国の安保戦略変化も視野に入れねばならない。・・・嘗てほどの余裕/余力は遺憾ながら今のアメリカには期待できない。これまでのような「おんぶに抱っこ」は無理になったのだ。
  だからGDP比上昇も台湾進攻を諦めさせる為には<時限を区切り>やむを得ないと思う。少子化が進む「中国」の勢力拡大も永遠ではない。
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