静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

「ゼロコロナ」デモ 中国国連大使「自由をと言うなら死を覚悟せよ」  中国市民が求めるのは「行動の自由」ではなく「言論・思想の自由」だ

2022-11-29 11:20:40 | 時評
https://mainichi.jp/articles/20221129/k00/00m/030/047000c  毎日新聞 2022.11.29.  【ニューヨーク隅俊之】

全くあきれ返って言葉を失った。日本に居住する(外交官を除く)中国国籍の人たちは、此の言葉をどう捉えたのだろう? 故郷に残した家族や親戚に弾圧が及ぶ現実では、
発言したくてもできないから、コッソリ尋ねてみたいが、余りにも残酷だからやめておく。 短いので、以下に全文を転載する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新型コロナウイルスの封じ込めを図る中国政府の「ゼロコロナ」政策に反発するデモが中国各地で相次いでいることについて、国連のドゥジャリク事務総長報道官は28日、「人々の平和的な集会と結社、デモの権利の重要性を信じている。当局がその権利を保障するよう求める」と述べた。同日の定例記者会見で記者の質問に答えた。

一方、中国の張軍国連大使は同日、「他の国々は異なる方向に動いているが、それは人々の犠牲の上に成り立っている。そうした国々では多くの人々が亡くなったが、
それは私たちが望む状況ではない」と述べ、「ゼロコロナ」政策を擁護した。国連本部で、中東の衛星テレビ局アルジャジーラの記者の取材に語った。

記者がツイッターに投稿した動画によると、張氏は「あなたはもっと自由をと言うかもしれないが、それなら(感染で)死を覚悟しなければならない」と強調した。
抗議デモのきっかけになった新疆ウイグル自治区ウルムチ市の火災で、住人が閉じ込められていたのではとの指摘については「偽情報に基づいている」と否定した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
張軍国連大使は正気で「ロックアウト解除による行動の自由」の意味で<自由>を使ったのだろう。彼らの育ったクニには「言論・思想・結社の自由」は1949年の建国このかた存在しないのだから「他の自由」など彼の頭の中にない。
 鄧小平以後の中国の経済は確かに社会主義/共産主義を捨てたが、統治制度は1党独裁のままの「専制強権体制」を変えていない。 そこを変えては亡国だ。ロシアも同じ。

政治に無関心な若い世代、特にソ連や共産中国を知らない年齢層の方々は、なぜアメリカ・西ヨーロッパも日本も「自由を守る」というのか、言わねばならないのか?
この張大使発言を噛みしめて欲しい。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Z世代に「午前様」は死語?   長命化を突き進む日本社会で 若者の時間感覚は皮肉にも短くなる一方

2022-11-29 07:45:23 | 時評
https://mainichi.jp/articles/20221128/k00/00m/040/247000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=column&cx_mdate=20221129・久しぶりに有料扱いではない記事なのでURL を添えて紹介したい。

 これはシチズン時計が28日に公表した時間を表す言葉に関する意識調査から拾ったもの。同社は、時間に関する意識調査を40年以上前から実施している。
今回はZ世代「1996年以降生まれ」と定義。18~26歳の給与所得者の男女各200人を対象にインターネットで今月1~2日に調査し、年輩者との認識の違いが鮮明になった。
働き方改革や新型コロナウイルス禍で、夜遅くまで飲む機会が減った昨今、Z世代の時間に対する意識とは? 記事では代表的な認識の違いを挙げている。

(1)「午前様」とは何時のことか?・・「午前5時11分以降」が今回の平均値。2013年に実施した調査で20代の平均値は「午前4時18分」。
   06年の調査では同平均値は「午前2時」だった。同社は『朝になってから』とイメージする人が多く、『午前の時間』と捉えているのかもしれない」と分析した。
  ⇒ 「様」に込められた皮肉なり照れ自体が無くなってしまったのかもしれない。それは男系社会の変化・家族構成の非標準化でもあろう。

(2)「ちょっと一杯」とは、どの程度の所要時間か?・・「1時間」が35・1%で最多。平均値は「1時間6分」。2013年調査では20代の平均値が「1時間33分」。
   今回の調査で約30分短くなった。
  ⇒ 「ちょっと」感覚の短縮傾向こそ、公私ともスピードアップを続ける現代社会を象徴する。長く伸びた人生と裏腹に毎日は足早に過ぎ去ってしまう?

(3)「十年一昔」という言葉を説明し、何年前を「昔」と感じるか?・・平均値が「6・5年」。同社は<変化のスピードが非常に速いデジタル社会を生きるZ世代だが、
   4年以下が2割弱と少なかったのは意外だった」と指摘した>。
  ⇒ 興味深いのは、記事に添付された棒グラフで(10年の回答が34.0%)に対し(5年が29.8%)となっていること。
    Z世代が老いた日には、近い「昔」が幾つも重なり「昔」概念が変わる? ぼやける?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 此の記事に触れた貴方がZ世代、もしくは近いとすれば「当たり前だ。驚くに当たらない」だろう。 かたや≪ 猛烈社員 ≫≪ 企業戦士 ≫の生き残り世代なら?
後者に属す小生は天を仰ぐと共に、長命高齢化が進行する明日を生きるこれからの世代にとっての”人生時間”とは如何なるものになるのか? 想像を絶する彼方には何が??
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 大相撲 役付き力士の処し方に疑問あり      安易な「補充型昇進」が プロ相撲のレベルダウンを招いている

2022-11-28 21:33:52 | トーク・ネットTalk Net
・ 昨日、小結・阿炎の優勝で九州場所が幕を閉じた。横綱照ノ富士の欠場が来場所も予想されるので、協会はショービジネスとしての目玉造りに腐心する。
  それはわからないでもない。相撲に限らず、プロスポーツには付きまとうもの。スターなきショービジネスは考えられない。

・ で、私がわざわざ筆を執ったのか?というと、横綱不在+正代・御嶽海のテイタラクで大関のヴァリューが地に落ちたいま、一人奮闘する貴景勝に望みを託し、
  次の場所で良い成績を残せば横綱に昇進させても?・・なんていう観測が協会内部にあるらしいとの報道が聞こえるからだ。何故私は驚き憤るのか?

 前にも述べたが<小結・関脇・大関・横綱>と呼ぶ「役力士」の称号と待遇は、決して一時的ではない実力が認められ、持続する成績を確保した力士が値する地位だ。
  それに反する基準が<3場所連続で小結・関脇の地位にあり、その勝ち星が通算33勝以上>という大関昇進だ。栃之心、高安、正代、御嶽海、朝の山たちは此の基準で
  大関に上がったが、実績は遺憾ながら此の基準そのものの妥当性を疑わせる結果だ。若隆景も同じ。過去、何度か私はこれに疑念を表明したが、協会は変えそうにない。
  大関昇進プロセスが真に役力士の威厳を保ったのは、横綱の名に恥じない大関の強さを発揮して上がった晴馬富士、白鵬、鶴竜、稀勢の里、照ノ富士が最後ではないか??  
    何とも情けなく不甲斐ない。協会はこれをどう考えてるのか?


★ 仮に照ノ富士の手術結果が望ましくなく、唯ひとりの大関が芳しい成績でなく、横綱不在が続くとしても、それが現実なら協会も力士もそれを受け入れるしかない。
  それを恰も糊塗したいのか、次の横綱・大関候補をはやし立てるとしたら、もう協会の自殺行為でしかない。豊勝龍を次の大関に、などと仕向けるキャンペーンも同じ。
  目先の事しか考えられない「極楽とんぼ」の日本人よ。いつ改めるのか? 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  <旧統一教会洗脳にみるオカルト集団糾弾>vs<W杯サッカー応援ファンの清掃批判> にみる群衆心理の危うさ

2022-11-28 20:09:52 | トーク・ネットTalk Net
▽ 安倍晋三氏銃撃が文字通りの引き金になった<自民党政権と韓国製オカルト集団との政治的癒着>
・ 日本にとって安倍氏の暗殺事件が暴き出した此の醜悪な政治の暗黒は、どれほど胸糞が悪かろうが、ひねり潰し・掃き清めなければならないゴミだろう。
 その前に「そもそも、なぜ人間はこうもたやすく騙され、理性を失えるのだろう?」との素朴な疑問があり、それは知性を自覚する一握りの人ではなくても、浮かぶ。
   ← 「理性を失うのはしようがない、人間のサガだ」としたり顔でいう・・これまた群集心理でしかない。お気づきか???


・生きてゆく間に様々な困難や窮地に追い込まれ、自殺を考えるほど苦しむことは古今東西変わらない。それは超近代化した21世紀だから増えた、のでは断じてない。
 不可思議な事は、心をいためた、或いは傷ついた人が救いを求める声を巧みに救い上げ「Xに信心させる」ことで『私は救われるとたやすく信じこませる』技術でもない。
 それはユダヤ教が砂漠に出現した大昔から今に続く。信じてしまう人たちも同様に、時代を隔てても変わりなく居る。 進歩した技術は時の政治権力・支配体制とつるみ、
 合法的カモフラージュを完璧にまとう技術だろう。このカモフラージュ排除が、弱者救済のみならず日本の政治を清める肝だ。

◆ W杯「サッカー試合後のお掃除・賛美」をめぐる やかましい言葉の渦
 「誇るべき美談」「日本人なら当たり前」「奴隷根性」「清掃労働者の仕事を奪うから止めろ」「他の国の応援団だってやってるぞ」などなど・・。
 なんて皆さんヒマをもてあましてらっしゃるのか? 実に結構なご身分だ。一つづつ相手にするのが如何に馬鹿げたことか、言葉を発した当事者こそ今は分かってるだろう。
 言葉の浪費。無駄口。。。野次馬。群集心理の鑑?

 変わらぬ結論:SNS炎上と同様、頑張って言葉を寄せた人々は<商業メディアに飯の種を与えたに過ぎない「感情の消費」だった> それだけ。ピリオド!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【書評163-7】再 開       風 穴 を あ け る        谷川 俊太郎 著    草思社    2002年1月 初版

2022-11-28 15:26:32 | 書評
◆ 河合 隼雄
 私は河合氏の著作を主に哲学思想や宗教学の角度から読んできた。周知のとおり『こころ』の問題を扱う臨床心理学の領域はユングの<集合的無意識>と深いつながりをもつ。
それは自我と超越者措定に関連し、宗教とも絡みあう。ヨゼフ・ピタウ師との対談:【聖地アッシジの対話】を読んだのもそういった領域知識の連関からの流れだった。

河合氏の「箱庭療法」では(物語)を患者に創らせ・語らせることで患者自身が自分の『こころ』の内部を旅するが、谷川氏は<物語は言葉によって語られるだけではない。
言葉によらない物語もある。同じように「詩」も言葉によって書かれるだけでなく、耳で聞く物音、鼻で嗅ぐ匂い、目に映った風景にも「詩」を感じることがある>と言う。
  ここから「詩」と(物語)を対比して次のように言う。
* <「詩」に物語を発見することはあるし、物語に「詩」を感ずることもある>
* <人間が介在する(物語)には時間と筋道があるのに人間が居ない「詩」には筋がないため、「詩」から実際に生きて居る人間の『こころ』の筋道を読み取るのは難しい>
* <(物語)が水平に動くとすれば「詩」は垂直に立ち上がる。「詩」は物語を輪切りにした断面のようなものだろうか>
* <(物語)が日常を非日常に結ぶ働きを持っているとすれば、「詩」は其の純粋形を考えれば非日常そのものである>

 それゆえに谷川氏は・・・
★ <「詩」に『こころ』を打たれる時、私たちは自分の心に今まで無かった窓が開いたような気になる>と巧みな比喩で、私たちに<こころ・詩・時間>の関係を解き、
 (物語の根本体験は一瞬です。モーッアルトの音楽というのは多分にそういうものではないか)と河合氏が立花隆氏との対談で述べた言葉を引いている。
 モーッアルト好きで一致する谷川氏は<「詩」は例え言葉で書かれていようと音楽に近い。そこに(物語)と「詩」の接点があるかも>と推論している。

これら≪ 物語と詩の対比にみる谷川氏の詩論 ≫は広く芸術論であり、且つまた≪ 人間にとって『こころ』とは何か ≫をも問うている。実に素晴らしい。   < つづく >
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする