平成天皇自身の退位意思表明から足掛け2年。 退位時期が西暦2019年4月30日に決められ、今日の報道では新天皇の「即位の礼」を2019年10月に行う方針も発表された。
平成天皇自身が模索し、編み出した<象徴天皇の存在意義>創りとしての「被災地慰問」「侵略戦争の戦跡巡り」、これらが内外諸国で人々の気持ちを捉えたことは誰も否定できまい。
うがった見方をすれば、中国や韓国が言い募る<歴史認識の欠如>批判に天皇制批判が含まれないのは、何も”主権尊重””内政不干渉”原則からだけではあるまい。
平成天皇による生前退位意思の表明は、上に述べた<象徴天皇の存在意義>創りの成果に自信を得た背景があろうし、父であった昭和天皇が結果的に明治維新以来の膨張/侵略の歩みを止められず、国を滅ぼしてしまったことへの反省から、国家主義回帰への警戒心は恐らく国民全般の誰よりも強く、戦後70年の軌跡に強い危機感を抱いたゆえと私は想像する。
生まれながらにして「天皇」という役割を背負わされた人にとり、それをいわば世襲の「天職」として悩みぬく日々を30年近く、いや皇太子時代から数えると戦後のほぼ全てを今の明仁天皇は苦しんでこられたに違いない。 君主制を統治制度/政体の機能面からだけ考えるなら、天皇自身の個人的苦悩は別次元の話題にすぎないだろう。だが、個人的苦悩ではなく、
若し「象徴天皇制」の意義づけを今後とも国民が共有できるなら、皇太子時代からの悩みの日々は報われるのではないか? さらには、現在の皇太子(=新天皇)も救われるだろう。
最後に、私は平成天皇の生前退位意思表明が国民全般に与えたものを高く評価したい。それは、国家ではなく「国民統合の象徴としての天皇」という憲法条文の意味合いを抽象的な
言葉ではなく、我がものとして考える機会を国民に初めて与えている点である。
★ 無論、退位意思表明に続く様々な論議の中には、私が評価する方向ではない論調も出ている。それは(国体)(国柄)といった言葉で、どうしても天皇制を日本文化や神道、伝統・歴史の文脈上に紐づけし、戦後の日本の国の在り方<=主権在民>とは別の次元で、無条件に守護すべき価値だと断じる人々の言葉である。換言するなら、(神道)(クニ)(天皇制)が
いわば『三位一体』の如き思考となり、それを善と信じる人々の言説が安倍内閣の国家主義復古思潮と歩調を合わせ、拡大していると言われている現象をも指す。
今の自民党政府を支持する基盤に神道信徒、神社本庁、日本会議参画者などの一団がある。此の集団が上に挙げた論調★を為す人々である。私は問いたい、此の人々のような天皇制の価値観/考え方は、明仁天皇の苦悩を思う時、そして日本という国家集団の将来を考えるとき、執るべき道であり、且つ新天皇の気持ちとも一致してゆくといえるのだろうか?
平成天皇自身が模索し、編み出した<象徴天皇の存在意義>創りとしての「被災地慰問」「侵略戦争の戦跡巡り」、これらが内外諸国で人々の気持ちを捉えたことは誰も否定できまい。
うがった見方をすれば、中国や韓国が言い募る<歴史認識の欠如>批判に天皇制批判が含まれないのは、何も”主権尊重””内政不干渉”原則からだけではあるまい。
平成天皇による生前退位意思の表明は、上に述べた<象徴天皇の存在意義>創りの成果に自信を得た背景があろうし、父であった昭和天皇が結果的に明治維新以来の膨張/侵略の歩みを止められず、国を滅ぼしてしまったことへの反省から、国家主義回帰への警戒心は恐らく国民全般の誰よりも強く、戦後70年の軌跡に強い危機感を抱いたゆえと私は想像する。
生まれながらにして「天皇」という役割を背負わされた人にとり、それをいわば世襲の「天職」として悩みぬく日々を30年近く、いや皇太子時代から数えると戦後のほぼ全てを今の明仁天皇は苦しんでこられたに違いない。 君主制を統治制度/政体の機能面からだけ考えるなら、天皇自身の個人的苦悩は別次元の話題にすぎないだろう。だが、個人的苦悩ではなく、
若し「象徴天皇制」の意義づけを今後とも国民が共有できるなら、皇太子時代からの悩みの日々は報われるのではないか? さらには、現在の皇太子(=新天皇)も救われるだろう。
最後に、私は平成天皇の生前退位意思表明が国民全般に与えたものを高く評価したい。それは、国家ではなく「国民統合の象徴としての天皇」という憲法条文の意味合いを抽象的な
言葉ではなく、我がものとして考える機会を国民に初めて与えている点である。
★ 無論、退位意思表明に続く様々な論議の中には、私が評価する方向ではない論調も出ている。それは(国体)(国柄)といった言葉で、どうしても天皇制を日本文化や神道、伝統・歴史の文脈上に紐づけし、戦後の日本の国の在り方<=主権在民>とは別の次元で、無条件に守護すべき価値だと断じる人々の言葉である。換言するなら、(神道)(クニ)(天皇制)が
いわば『三位一体』の如き思考となり、それを善と信じる人々の言説が安倍内閣の国家主義復古思潮と歩調を合わせ、拡大していると言われている現象をも指す。
今の自民党政府を支持する基盤に神道信徒、神社本庁、日本会議参画者などの一団がある。此の集団が上に挙げた論調★を為す人々である。私は問いたい、此の人々のような天皇制の価値観/考え方は、明仁天皇の苦悩を思う時、そして日本という国家集団の将来を考えるとき、執るべき道であり、且つ新天皇の気持ちとも一致してゆくといえるのだろうか?