静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 天皇生前退位がもたらすもの ≫  与えられたモノ/受け身の天皇制 から国民の脱却を願う

2017-12-31 09:47:50 | 時評
 平成天皇自身の退位意思表明から足掛け2年。 退位時期が西暦2019年4月30日に決められ、今日の報道では新天皇の「即位の礼」を2019年10月に行う方針も発表された。
平成天皇自身が模索し、編み出した<象徴天皇の存在意義>創りとしての「被災地慰問」「侵略戦争の戦跡巡り」、これらが内外諸国で人々の気持ちを捉えたことは誰も否定できまい。  
 うがった見方をすれば、中国や韓国が言い募る<歴史認識の欠如>批判に天皇制批判が含まれないのは、何も”主権尊重””内政不干渉”原則からだけではあるまい。

 平成天皇による生前退位意思の表明は、上に述べた<象徴天皇の存在意義>創りの成果に自信を得た背景があろうし、父であった昭和天皇が結果的に明治維新以来の膨張/侵略の歩みを止められず、国を滅ぼしてしまったことへの反省から、国家主義回帰への警戒心は恐らく国民全般の誰よりも強く、戦後70年の軌跡に強い危機感を抱いたゆえと私は想像する。 

 生まれながらにして「天皇」という役割を背負わされた人にとり、それをいわば世襲の「天職」として悩みぬく日々を30年近く、いや皇太子時代から数えると戦後のほぼ全てを今の明仁天皇は苦しんでこられたに違いない。 君主制を統治制度/政体の機能面からだけ考えるなら、天皇自身の個人的苦悩は別次元の話題にすぎないだろう。だが、個人的苦悩ではなく、
若し「象徴天皇制」の意義づけを今後とも国民が共有できるなら、皇太子時代からの悩みの日々は報われるのではないか? さらには、現在の皇太子(=新天皇)も救われるだろう。

最後に、私は平成天皇の生前退位意思表明が国民全般に与えたものを高く評価したい。それは、国家ではなく「国民統合の象徴としての天皇」という憲法条文の意味合いを抽象的な
言葉ではなく、我がものとして考える機会を国民に初めて与えている点である。
 
★ 無論、退位意思表明に続く様々な論議の中には、私が評価する方向ではない論調も出ている。それは(国体)(国柄)といった言葉で、どうしても天皇制を日本文化や神道、伝統・歴史の文脈上に紐づけし、戦後の日本の国の在り方<=主権在民>とは別の次元で、無条件に守護すべき価値だと断じる人々の言葉である。換言するなら、(神道)(クニ)(天皇制)が
いわば『三位一体』の如き思考となり、それを善と信じる人々の言説が安倍内閣の国家主義復古思潮と歩調を合わせ、拡大していると言われている現象をも指す。

 今の自民党政府を支持する基盤に神道信徒、神社本庁、日本会議参画者などの一団がある。此の集団が上に挙げた論調★を為す人々である。私は問いたい、此の人々のような天皇制の価値観/考え方は、明仁天皇の苦悩を思う時、そして日本という国家集団の将来を考えるとき、執るべき道であり、且つ新天皇の気持ちとも一致してゆくといえるのだろうか? 
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≪ 師走 某日 ≫   J.S.バッハ ヴァイオリン『無伴奏ソナタ&無伴奏パルティ-タ』にひたる至福の時

2017-12-27 11:34:30 | 文芸批評
 妻は出払い、物音せぬ部屋。冬の陽光が眩しいバルコニーを睨みながら、J.S.バッハ<無伴奏バイオリン・パルティ-タ>のCDに聴き入っている。演奏は、フェリックス・アーヨ。
 ご存知の方もあろうが、彼は「イ・ムジチ合奏団」の初代コンマス。ヴィヴァルデイ<四季>の初レコーディングは1955年。LPステレオ盤での再録が1959年とある。これが
故トスカニーニの絶賛と共に世界中に「四季」を復活させ、バロック音楽の復権をもたらす契機になった。

 日本では1960年過ぎ紹介され、私は夢中で何度も聴いたことを想い出す。子供こころに、彼の無限に甘く、且つ締まった音色から受けた衝撃は今も鮮烈に覚えている。
春~冬まで、どの楽章も驚嘆するしかないが、「四季」の復活に一役買ったのは「冬・第2楽章」アーヨの演奏であろう。 ヴィヴァルディ自身のメモとされる『暖炉の前で牧童が甘美な
眠りにひたる』という描写より、寧ろ聴きようでは性的エクスタシーさえ与えかねない甘美さは、この世のモノと思えない。尤も、60年代半ばだったか、『短くも美しく燃え』という
スエーデン映画に、若い男女の主人公の濡れ場にモーッアルト<ピアノ協奏曲21番>の緩徐楽章が用いられていた記憶とこれは重なる。
 CDで聴きたい人はレコード店へ。アーヨのソロ演奏盤が中古も含め現在も発売されているか不明だが・・・・。 経年劣化するLPディスクに替わるCD技術のお蔭で、何十年たっても聴く事ができるのは有難い。

私見だが、「イ・ムジチ合奏団」で彼の跡を継いだ歴代のコンマスは遺憾ながらアーヨを超えられていないし、他の合奏団もアンサンブル含めアーヨのソロ演奏版のレベルを凌ぐようには思えない。「贔屓の引き倒し」のそしりを受けるかもしれないが、単に想い出から言っているのではない、と信じている。

 アーヨは「イ・ムジチ」退団後、イタリアで教鞭を執るかたわらソリストに転じ、欧州各国で著名な管弦楽団などと協演した。1933年スペイン生まれ、存命ならば84歳になる。今も現役かわからないが、私がいま聴いているCDは PHILIPS 1974~75年にかけたローマでの録音。 無伴奏ソナタ、無伴奏パルティ-タが1枚ずつの構成。この当時はCD発明の前だから、LP盤からの変換録音だが、録音技術が良いので残響が美しく、バッハの意図した和声や対位法コンテンツが直に伝わってくる。

 アーヨの演奏を聴きつつ、ソナタ&パルティ-タ全6曲の入った楽譜を開くと、若い頃、いくつかの曲に挑戦したらしく、私の字で鉛筆書きの跡が目に入る。眉を吊り上げ、和音のたびに捻じれる指が引きつり、綺麗な和声にならぬもどかしさ、指の短さと技量の未熟を今更ながら嘆き舌打ちする・・・そんな熱い時を何度か過ごした記憶が蘇ってくる。

 時間ができ、合奏や人前でのヴァイオリン演奏の機会が今年は増えて来た。来年も此の調子で楽しむことになろう。衰えは重々承知のうえ、少しずつこの難曲に挑んでみようか。
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≪ 皇族の一般参賀に集う人々 ≫  「国民統合の象徴」の役割意識   ゆめゆめ国家神道の象徴とするなかれ!

2017-12-24 09:02:37 | トーク・ネットTalk Net
 昨日は平成天皇の誕生日。皇居で恒例の一般参賀が催され、何と平成元号になってから最高の人出だったと報道された。この行事に集い、ガラス越しの皇族に向かい、手や日の丸を振る
 人々の表情を眺めるたび、時間と費用を割いて皇居に来るモティベイションとは? 参賀に参加した満足感とはどういうものだろう? と私は想像を巡らせる。

 今朝のNHK総合TVのニュース番組で、参賀に来た3~4名へのインタヴューが流れた。いつもながら私に印象的なのは、天皇が挨拶の中で必ず天災被災者の復興を願う気持ちを表明する
 こと、そして、両陛下が地震や水害の被災地を訪れ、被災者に声をかける姿への感謝や尊崇の念に誰もが言及し「来てよかった」と満足気に述べる顔である。
  此の「困った人や被災に苦しむ人々を常に心にかけて下さる」「陛下は私たちと共に在る」という受け止めが恐らく、国民の側からみた「国民統合の象徴」という抽象的な言葉の中身なのだろう。それが昭和天皇を父に持ち、帝国主義のシンボルとなった天皇制への悔悟と訣別の覚悟で戦後を生きて来た平成天皇自身の役割意識そのものであり、現行憲法における君主の位置づけを編み出された軌跡でもある。これが戦後70年余り経てもなお、天皇制を支持する国民が減らない真の理由だろう。

 思えば、此の平成天皇の役割意識は戦前に物議を醸した≪天皇機関説≫そのものではないか? 超越者としての「神」「王」ではない、国家統治上の役割分担としての地位、これが故美濃部達吉博士の説いたところだったが、帝国憲法下では矛盾が多くて肯定されなかった。
 然し、新憲法で旧憲法への反省から文面上は実現した。ところが皇太子時代から「象徴天皇」の肉付けに頭を悩ませてきた現天皇の編み出したのが、戦没者慰霊の旅と上述の被災者慰問だ。これらが維持される限り、日本という国の流れにおいて君主制が存立し続ける意味合いは薄れまい。

 ここまでは健全な姿であり、私は何ら異議を申し立てるものではない。だが、「神道」なるアニミズム信仰が神社のカタチで文字通り全国津々浦々に存在し、今も都会/田舎の区別なく根付いている。若い世代が<わっしょい、わっしょい!>と嬉しそうに神輿を担ぐ〇〇祭り。不思議に人気が衰えない。人出不足への対策に必死になる姿が多くみられる。
 これは西洋世界でいう宗教ではない土俗信仰なのだが、これと天皇制が長く結びついてきた歴史があるため、本質的には土俗風習に過ぎない「神道」が統治権力の加護を得て、常に国家主義の方角からの統合に導こうと働く。武士階級に政治権力を奪われた後も、何故か滅亡しなかった天皇制が明治で復権した、此の近代史の延長に我々は今を生きている。 ここを忘れてはいけない。

 国家第一主義の方向に持ってゆきたい勢力が神社愛着/郷土愛の地盤から湧いてくる。これを利用したい勢力がチカラを得ているのが現実である。だから≪象徴天皇制の象徴が国家神道の象徴に転用されかねない≫のは絵空事でも何でもない。 ここに私はいつも危険な兆候を診るのである。 どうか、国家主義と訣別した君主制になって欲しいと私は願う。
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書評 072   「大作曲家たちの履歴書」  三枝 成彰(さえぐさ しげあき)著   1997.5 刊   中央公論社

2017-12-22 10:27:02 | 書評
 近ごろ、書架を見渡しては「断捨離」を想うようにしている。大げさに恰好をつけるなら『智の遍歴を辿りつつ、来し方を振り返る』ということだろうが、実際は
「よくもこんな本を買って読んだものだな」と呆れることが殆んど。だが、それなりに折々の精神状態/知的関心領域が思い出され、悪い気分ではない。
 中には再読の魅惑にかられ、買った時には理解が浅かった、或いは読み込めなかった含蓄に気づくこともある。 最近の例では、「絶対音感(最相葉月)」だ。
これもおよそ20年前に読んだのだが、いざ手に取ってみると当時は読み過ごしていた?または意味をわかっていなかったなと思い知らされる記述がゴロゴロ出てくる。 

其の意味で、本書も再読で似たような感覚を味わった。ベートーヴェンからストラヴィンスキーまで、つまり19世紀に入ってから20世紀前半までの約150年の間に現れた作曲家18人をとりあげているのだが、その構成は(よくぞ調べ上げ、ここまで整理したな!)と舌を巻くほど面白い。 
 18世紀のモーッアルト、ハイドン、バッハ・ヘンデルなどは入っていないのが残念だが、入れていない理由は記録の少なさゆえというよりも、三枝氏の著述目的が19~20世紀の音楽と21世紀音楽の対比にあり、何故200年以上経っても”クラシック音楽”と称される作品群が現代人を魅了し続けるのか?への考察でもあるからだ。

★ <本人及び父母の人種と家系、生年/没年月日、死因、学歴/職歴/賞罰、家庭環境、容姿、性格、健康状態、特技/趣味/好物、金運、宗教、友人関係、恋愛関係、配偶者、代表的な教師、
  尊敬する作家、特徴、代表作品または転機となった曲>これに三枝氏おすすめの一曲が記入されている。これらの項目で、どの作曲家にも肖像画つきの枠組み2頁が冒頭に組まれる。
 冒頭2頁の基礎項目だけでなく、本文の記述もまるで私立探偵の人物・素行報告書そのものだ。然も、作曲家個人の言動/性癖や逸話だけでなく、在世当時の社会環境にも触れており、
 『ああ、此の人の音楽は、この曲はこういう背景から生まれたのか,なるほど・・・』と膝を打つ思いになるのだ。自分が触る楽器やジャンルだけでなく、好きな曲、好い曲だと
 感心する作品を思い浮かべながら読むと、例え自分は演奏出来ない/歌えない作品でも違って聞こえ、楽しめる。

18人全て、或いは誰かに絞り要約しても仕方ないので、興味を抱かれた方には一読を薦めるしかない。寧ろ、本書で三枝氏が伝えたかったのは上述したように、20世紀以降のいわゆる
”現代音楽”の目指したモノ、及び其の失敗を どう現代の我々は考えるべきか、だろう。 シェーンベルク、ストラヴィンスキーに端的に表れた【無調音楽】の試みは<ハーモニーとメロディーとの訣別>であるが、三枝氏によれば、早くも19世紀末には器楽/声楽問わず音楽は頂点を迎え、伸びしろの無い限界に達していたことへの反動であった。
 ベートーヴェンは、貴族御用達のBGM/食卓の慰みでしかなかった楽曲づくりを初めて拒否した。貴族の施しにすがる下僕/使用人ではなくフリーランスの作曲家として請負仕事人となって以来、市民社会の勃興と合わせクラシック音楽は大衆が楽しむミュージックとなったのだが、モーッアルトまでの「慰みもの」を「音楽は文学や哲学のように人間性を高めるもの」だと作品を通じて訴えた最初の作曲家がベートーヴェンだった。然し、歴史的意義には功罪両面あると三枝氏は指摘する。
 カントの〔純粋理性批判〕にあるという「音楽最低論」に対するベートーヴェンの反発が生涯の創作エネルギーとなった。生真面目に芸術性を追い求めた彼の偉大さの反面、ベートーヴェン以降の<芸術としての音楽>志向が皮肉にも『あの音楽はこむつかしい』『重い芸術』と大衆に疎まれ、階級を意味する<クラス=Class>から揶揄を込め<クラシック>音楽と呼ばれるようになった。

およそ音楽とは、言葉では言い表せないものを「音」の連続で提示する。そこに(カントのこき下ろした)情感/官能の媒介がなければ、時代は変われど人間の心を打つことは出来ない。
それはポップスミュージックであれ同じであり、<ハーモニーとメロディーとの訣別><情感/官能の否定>から21世紀の音楽全般は回帰せねばならない。 これが本書の結論である。 
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≪ 相撲を”国技”と呼ぶのを まず止めよう! ≫  大和民族ファースト主義への 危険で排他的な兆候だと気づこう

2017-12-18 21:56:52 | 時評
★ 【日経】日馬富士問題の裏にある「日本人ファースト」の危うさ https://mainichi.jp/premier/business/articles/20171215/biz/00m/010/011000c?fm=mnm
・ 山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員の説くところは、差別される側である女性ならではの視点から描く”大相撲における民族差別感情の勃興”である。
・ 私は、白鵬の所作や言動に対し相撲協会やファン、評論家などが寄せる批判に潜む典型的な「日本文化ユニーク論」「神事としての歴史」「国技意識」の危うさを何度か当コラムで
  指摘してきた。  伝統的所作に反するからという理由だけで、非日本イコール排斥なのだ。 
   考えてみよう。 あなたは15歳で渡った外国で、異国の言葉をネイティヴ同様に話すばかりか、動作/作法を完全にマスターできますか? 
   <バイリンガル/バイカルチュラル>でも、ネイティブには絶対になれない、これは何人であれ同じ。
 
・ 「日本人vs日本出身」の滑稽な使い分けには笑ってしまうが、笑えないのは、親方制度における<日本国籍取得へのこだわり>と<国技意識>の奇妙な結びつきだ。
   そして、力士(=選手)の国際化を美味しいビジネスとしてチャッカリ進めながら、≪スポーツとしての国際化≫を何が何でも認めたくない矛盾した心情が有る。
 
   排他的であろうがやむを得ない、独特であるがゆえに伝統は尊いのだから・・・・相撲に限らないが、日本文化賛美に傾く人は、この陥穽にはまってないか? 
   これは協会幹部だけでなく、国民全般にある情緒だからこそ、私はとても危険だと感じるわけで、捨てておけないのだ。

※ 周知のように「国技」と呼び始めた明治このかた、その流れは戦前の軍国化に重なる。国家神道の称揚と「すもうは神事」「すもうは国技」意識は符合するわけで、排他的な
  民族ファーストがもたらした愚かな結末を、日本人は忘れたのか?
     多くの関係者がモンゴル出身力士を<モンゴル力士会に群れる>と非難するが、大和ヤマトと群れる己の姿と何ら変わりないではないか。  
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