静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 勝つ秘訣を喋ってしまうのは迂闊では? ≫    ≪ 証人喚問そのものを与党が決められる仕組み これこそが誤りだ ≫

2018-08-31 08:41:26 | トーク・ネットTalk Net
▼ <アジア大会:100m決勝>第1走者・山県回りながら加速「五輪へ弾み」 https://mainichi.jp/articles/20180831/k00/00m/050/112000c?fm=mnm
・ 金メダルは嬉しいニュース。だが、私は以下の記事文章につまずいた。
  ≪秘訣(ひけつ)があるという。スターティングブロックを外寄りに置き、第1カーブの頂点に向かって、まずは真っすぐに走るイメージでスタートダッシュをする。
   カーブの頂点に到達したらコーナリングを行いながらさらに加速していく。≫
 ⇒ バトンワークの工夫、これは今のところ外国選手はマネできていない。たぶん、ここに日本人独特の長所があるのだろうし、暫くは優位を維持できるだろう。
  だが、山県選手が語った(?)という、スターティング・ブロックの置き方の工夫、これを新聞でバラシてしまうと、これなら俺にもできると外国人選手は同じ工夫を行い、
  スタートでの優位が崩れる可能性があるのでは?   何故ならバトンワークほど習練も事前の繰り返しも要らないからだ。


・ この報道は山県選手本人が公になることを諒承した上で、同選手の事前了解をとったあとで公表したのか?
   若し山県選手が公表を承知の上なら、秘密を安易に知らしめる姿勢、そこに私はお人好しさ・危うさを感じてしまう。 まして、選手本人は公にされたくなかったとしたら、
  喋った選手/記事にした記者ともに軽率であり、私は余りの甘ちゃんぶりに呆れるほかない。

★ <モリカケ事件:佐川氏> 記憶に忠実なら虚偽ではない? 与党“拒否”に疑問 https://mainichi.jp/articles/20180830/mog/00m/010/009000c?fm=mnm
・ <議院証言法は偽証した証人の告発を国会に義務づけているが、告発には出席議員の3分の2以上の賛成が必要だ。衆院予算委の菅原一秀与党筆頭理事(自民)は、記憶に忠実な
  証言である限り事実が客観的に誤っていても虚偽にならない▽推論で事実認定している▽私人の告発は極めて重い--などを理由に賛同を拒否した。

 ⇒ まさに噴飯モノだ。「記憶に忠実な証言なら虚偽じゃない」とは、”誤った或いは真実/事実ではない記憶だった”と客観事実で証明されてもウソではなかったことになるというのだ。
   皆さん、常識で考えると何処がオカシイか? たとえ話でいうなら、交通事故で傷害致死に至らしめた者が『自分はあの時、運転してい無かった、知らなかった」と証言したが、
  監視カメラには運転席に映っていた。其の映像を示されてもなお、あの記憶自体は君の記憶だから、ウソの証言にはしないよ』と警察/検察が揃って庇うのと同じだ。


・ <南部義典・元慶応大講師(政治学)は与党の対応について「耳の痛い話なので予想の範囲内だが、政府の不祥事を追及するか否かを与党が判断する構造は問題だ。
  これではけじめがつかない。第三者が不祥事を検証する仕組みの整備など抜本的な改革をしなければ、逃げ得を許すことになる」
と疑問視する。
 * そう、そもそも証人として国会に呼ぶべきだと判断・決定する権限が与党に与えられている現行法が誤っているのだ。政府&与党に都合の悪い事態なら多数決で承認に呼ばないとし、
  真剣に取り組んでるよと見せて得点になりそうな事件なら呼ぶことにする。
   記事中にも例に上がっている<耐震偽装事件時の姉歯氏喚問>などが、其の例だ。エアコン故障で患者を熱中症で死なせた(?)病院の院長も追及姿勢のデモンストレーションには
  格好のピエロだから、呼ぶかもしれないよ。。。。 
  多数決原理とは、このような恣意を多数党に許す白紙委任ではない!!おかしな議院証言法を改正せねばならないが、そこには選挙時期さえも与党
  が左右出来る現在の仕組みが壁となっている。 まず、やりたい放題できる現在の多数支配構造を変えないと、何も是正できないのだ、皆さん。。
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≪ つぶやき3題 ≫ ハラスメント認定当事者は受けた当人ではない  現代日本にマキャベリは居ない  国家土木事業で消す過去しかもてないのか?

2018-08-30 09:57:18 | トーク・ネットTalk Net
★   女子体操:宮川選手「コーチの処分撤回を」 指導で暴力認める https://mainichi.jp/articles/20180830/k00/00m/050/099000c?fm=mnm
・ 先日も本件に触れたが、昨日の記者会見を経て、再び私の所感は変わらない。 宮川選手の主張と訴えには全く論理性が欠けており、おそらく他の国でこのような主張を公に
  したとすれば、紙面片隅の記事扱いで、冷笑を買うだけだろう。

・ 意外にも「元コーチの復活がなければ今後の大会出場を辞退する」と同選手はくちにした。 協会は此の言質を今後どう使うのか?  楽しみだな。

★★  【木語】老練政治家のすごみ=坂東賢治 https://mainichi.jp/articles/20180830/ddm/003/070/039000c?fm=mnm
・ <マハティール氏に親中、反中とレッテルを貼るのは短絡的だ。発展に役立つならどの国のものでも活用しようというのが一貫した考え方だ。 1980年代に日本をモデルに
   ルックイースト政策を打ち出した際もこう説明している。「援助を期待しているわけでも好意を持っているわけでもない。発展に役立つ哲学や倫理を知りたいのだ」>
 ⇒ 此の姿勢において昔から中国人はマハティール氏に負けない。翻って我がヤマト民族、特に昨今の政治家にこのような姿勢を抱く者が居るか? 見渡してみて、与野党問わず、
   残念ながら居ない。 外交じゃ、まるでお人好し/世間知らずのボンクラだけだ。幕末/明治初期には居たのかもしれないが・・・。
                       浪花節・武士道? マキャベリズムを嫌う心情、これが多分、邪魔してるのだろうな。


★★★ 浄化される「昭和」=山内マリコ(作家)https://mainichi.jp/articles/20180829/dde/014/070/026000c?fm=mnm
・ <小説家の干刈あがたさんが書かれた、『予習時間』という短編を読んだ。>に始まる段落をよく読まれたい。1943年生まれの小説家が描く中学生だった頃の戦後日本の姿、
  これを幼心に共有できる世代の者には頷くことばかりだ。・・だが、ここで大事なのは、懐古することではない。
・ <過去は異国であるとはよく言ったものだ。もうどこにも残っていない昭和の、濃い匂いに引き込まれた。そして今、再び街が変えられていくのを、なすすべもなく見ている。
  「平成」だって、いずれはそうなる運命にある。> 
 ⇒ 此の述懐。これは、2回<1964&2020>に亘る東京五輪という国策が、都市の景観を消し去り・塗り替えるだけでなく、人々の心をも慌ただしく変えてゆく。そういう変化自体が
  進歩であると錯覚させる大規模な土木事業の繰り返し。ここに我々は大事なことを毎回置き去りにしてきたのではないか?
 というのが山内氏の言いたい事だろう。

● 山内氏は標題を『浄化される昭和』としたが、明治以降の日本人が近代化・西欧化を追い求め国土/都市を造り変えてきたこと、それは本当に『浄化』か? この語を皮肉で山内氏が
  用いているのは明白だ。読者もお気づきだろう。 
  唯、私の頭をよぎる疑問は<どうしてヨーロッパの主要都市は日本と同じように空襲で破壊されたのに、戦争前の景観を人々は取り戻そうとしたのか? 日本と真逆ではないか?>だ。

  例えばパリやローマは京都同様、文化保護の配慮で破壊を免れた点で同じだが、ドイツのドレスデンをみよ。ベルリン/ワルシャワを観よ。一部の建造物ではなく、街全体の話だ。 
   石造り/木造の差異とは真逆の強い意志、即ち『前の時代の景観を消し去ることで時代ごと忘れようとしない』が欧州では働いてきたのだと思う。 ここを日本人はどう考えるか?
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≪ ”正直・公正を!” と訴えるのは 個人攻撃か? ≫  責任をとらないリーダーに いつまで任せるのだ?    

2018-08-29 08:55:39 | 時評
● 自民党・参院幹事長が石破氏の「正直、公正」に不快感 https://mainichi.jp/articles/20180829/k00/00m/010/104000c?fm=mnm
・ <石破氏が総裁選ポスターに「正直、公正、石破茂」と大書していることに対し、首相支持派からは「野党と同じだ」との不満が強い。>
・ <石破氏が首相の政治姿勢を争点化する姿勢を見せていたことに吉田氏は不快感を示しており、28日の会見では「あえて個人攻撃のようなことはない形で
  (総裁選に臨んでほしい)と申し上げたい」と語った。>
 ⇒ 党首を選ぶ選挙に出馬する理由は、現職の党首の運営や人物に不満を抱くからだ。抱かぬ人は出馬しない。そして、ここでいう「運営」には政策推進への賛否も入れば、
   リーダーとして適切な政治姿勢か否かの判断も入る。指導者としてのトータルの「資質」「適性」を問う場合もあるだろう。 
    では今回、石破氏が出馬に際して『正直・公正』をスローガンに挙げたこと、それは党首選挙に出る理由に照らし、どこが不適切だというのか? 
  「正直・公正」な政治を行おう、と掲げることが、何故すぐに<個人攻撃と同じ><野党と同じだ>という”不満”になるのだろう? それは吉田参院自民幹事長が安倍首相を好きで、
  支持するからという個人的立場を<個人攻撃><野党と同じ>なる言い回しで攻撃してるに過ぎないのでは? 

☆ 首相とは内閣総理大臣であり、内閣の行う全ての結果に責任を負う職責にある。其の責任には自分が任命した大臣の監督下にある高位官僚についての責任も含まれる筈だ。
  部下の起こす不祥事をまさか『任命したのは自分じゃないから責任は取らない』とは言えないだろう。会社の社長ならそういう言い訳は許されず、辞任だ。
   モリカケだけじゃない。昨今の官僚により引き起こされた偽証/文書改ざん/虚偽報告などが止まらないことで国民の政治不信と離心がここまで悪化した責任が最終的に誰にある? 
  といえば最高責任者たる総理大臣だ。 石破氏はそれを問うているが、どうして<個人攻撃>なのだ? 管理能力を問うことイコール個人への人格攻撃ではない。摩り替えるな!!!


★ 腐敗や杜撰な管理の横行を防げなかった、そういう風土を招いた責任、それは所管大臣にあるというなら、罷免せねばならない。だが政局混乱を怖れ、罷免もせずノラりクラリ。
  其の姿勢も亦、無責任といわずして、何という? 国民の多くが政治家に絶望し、投票に行かなくなる、此の事態を哀しみもせず、自党に有利とばかりほくそえむ輩が実際に国会を
  支配する、これは笑えないブラック漫画そのものじゃないか。
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≪ 今朝の ひとこと ≫  薩長連合を持ち出す安倍への 枝野批判・皮肉は 浅すぎるうえ ピン惚け

2018-08-28 08:42:57 | トーク・ネットTalk Net
▼ 枝野氏:安倍首相の薩長発言を批判「国を分断する」 https://mainichi.jp/articles/20180828/k00/00m/010/083000c?fm=mnm
1) <安倍晋三首相が「薩長で力を合わせて新たな時代を切り開いていきたい」と発言したことに対し「薩長を強調すれば我が国を分断する。国のリーダーとして間違った言い方だ」
   と批判した。>
 ⇒ 連日、私が指摘している<明治維新の称揚><明治型国家への懐古>姿勢、これこそが安倍晋三のいう『新たな時代』の核心である。自民党総裁選挙の場であろうがなかろうが、
   安倍の言辞はNHK大河ドラマを動員しての維新称揚ムード作り、<明治150年キャンペーン><2020東京五輪推進>の一連の流れであり、見事にブレていない。
   新たな時代即ち明治型国家への復古願望、ここを野党党首なら”国家主義復古をめざす反動であり、民主主義への挑戦だ”と批判すべき所では? 立憲民主党は<維新万歳!>か?


2) <「我が党には(旧幕府側の)奥羽越列藩同盟の地域だった人間もいる」と語り、薩摩藩と長州藩の連携を強調した首相を皮肉った。>
 ⇒ これは福島県・会津若松に今も伝えられる<薩長官軍憎し>の感情を指しており、私も現地を訪れた際、旧若松城に遺る痕跡を知っている。だが、野党党首が首相批判なり皮肉なり
   したいならば、自党の中には福島/東北雄藩の末裔が居るなどといってみても、他の地域に住む大多数の有権者にとり何の感銘も共感も呼びはしない。 ピン惚けなのだ。

 確かに幕末は倒幕か否かで文字通り国が二分されたが、安倍が造ろうとしてきた維新ムードに便乗することで今の日本が二分されることなどには繋がらない。一つにまとめたがっている
 安倍が国論を二分しようなどと思うはずがない。枝野氏の言葉は、皮肉っているつもりで実は維新キャンペーンの片棒を無意識に担いでしまっている。
 
 相手の言葉を逆用しての逆襲レトリックのつもりかも知れないが、同じ土俵に上がってしまい、司馬遼太郎史観を間接的に支えてしまったことを自覚
 できていない。  枝野氏は気づいているのか?
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≪ 今宵の『それはないだろう』2題 ≫  パワハラは誰が認定する?    スマホながらの自転車運転で殺しても執行猶予か?

2018-08-27 19:26:33 | 時評
(1) 女子体操競技のコーチ処分と当事者選手の意外な反論
 ・ 本件でいちばん腑に落ちないこと、それは「ハラスメントは親告罪でいいのか?」という根本的な疑問だ。強姦が進行罪であるマイナスはようやく法改正に向かった。
   今回の事例のようにコーチ自身が暴力を振るったと認めているのに、受けた筈の選手が「暴力はあったが、自分はハラスメントと受け取らなかった」と申し開いた場合、
   当事者が受けてないと言えば全て無かったことにしてよいのかという点だ。そういう逃げ場を与えて良いのか? 認定するのは当人ではなく、客観的な事実しかないのだ。
 ・ うがった見方をするなら、此の選手は自分が代表に選ばれる強さを武器に「あのコーチでなきゃ、私はオリンピックだって出ないかも。それで好いの?」と脅しているフシがある。

・ 暴力や威圧が指導の場で行われること、それが教室であれ、部室であれ、密室であろうがなかろうが、場所や理由は問わず、指導者が暴力または威圧行為を用いる事そのものが
  教育/育成に適切なのか? 職場も同じ・・・。 此の本質論を離れて如何なる教育論や法育成論もない。 ← ひょっとして、日本の生産性の低さも是が原因ではないか?
・ <緊張感を与える><気合を入れる><気づかせる>等、暴力やシゴキの理由付けに使われるが、スポーツに限らないが、そんなことで本当の覚醒も自覚も生まれはしない。
☆ ハラスメント(=嫌がらせる)で人は真に育たない。何も生まれない。 ・・・・”スポ根”・・それはもはや 美談でもなんでもないと国民一人一人が思わねば。

(2) スマホしながら自転車を運転し、女性を死に至らしめた元女子大生に、下った判決は執行猶予がつき、実刑ではなかった!
・ 此の判決に私はひっかかった。オートバイや自動車で同じ過失をしでかし、人を殺めてしまったとしよう。過失致死という罪名では同じだ。果たして執行猶予付きで終わるか?
・ なぜ本事案では甘い判決になったのだ? 死んだ女性が高齢、加害者は将来ある若者だから見逃すのか? 原動機(エンジン)がついてないから軽い刑罰にしたのか?? 
  人ひとり死んだのは同じだぞ。
  
  スマホに気を取られ階段から落ちたりホームに落ちて死ぬのは自業自得だ。が、ナガラ運転ではねられる人に何の落ち度もない。 まるで通り魔に出会ったのも同然ではないか!
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