* 衆議院選挙投票を迎えた。安倍政権発足以来、およそ9年に及ぶ日本政治の空洞化、その後ろには30年にも亘る日本の経済と政治の混乱/足踏みがある。私の場合、30年のうち最初の10年は
米国から日本を眺めていたので、ソ連崩壊に始まる世界情勢激変から世界経済の混乱に暮れた90年代・10年間の日本の内情は実感できていない。
* ”バブル(泡)経済の破綻”なる用語が80年代末頃から日本に関する報道に出没したのは覚えている。今から振り返ると”泡”は80年代半ばからブクブク湧き始めてたということだろうが、それは
日本を離れて外国で暮らし始めるタイミングと重なっており、日本の変質と凋落の予兆を感じる場に私は居なかった。プラザ合意に恨みをぶつけても反省にならない、と当時から私は思っていた。
それだけに2001年初頭、帰国して再び国内で働き始め、直ぐに私が感じた違和感といおうか、異邦人感というべきか、それは相当衝撃的な感覚だった。適切な言葉は今でも浮かびにくいが、
かき回された混乱の汚泥が徐々に沈殿して視界が広がると、激しく変化する外部環境に対応する新しく大胆な試みに踏み切れず「こんな筈はない。なぜ以前のようにできないんだ?」と右往左往する
ばかりの政府と国民の姿が見えてきた。・・これが私の観察である。 あれから20年!
* その狼狽えぶりが最も顕著に出たのは製造業であり、過去の成功体験から抜け出られないまま≪成長エンジン不在≫の今に至るが、もう一つの衰退要因は情報通信技術分野での大きな遅れであろう。
其の混乱と競争力喪失を財界は非正規労働者の創設と外国人労働者導入に拠る人件費カットで当面を乗り切ろうとした。だが、それは期限を設けた「当面」ではなく、現在も続く苦肉の策だ。
人口減少が止められないなか、誰もが考えつく(移民政策の転換で労働人口減少を補い、長期的なプラスへ転じる)政策は国民の頑強な抵抗のため実現しない。 いわば『自業自得』である。
今では第1次産業も含む全産業で労働力不足が生活コスト上昇の主要な要因になっているが、政治家は動こうとしない。何故なら、国民の外国人忌避を熟知しており、票には結びつかないからだ。
然し、発展途上国の民度向上で、日本は魅力ある国ではなくなったのを忘れてはならない。そのうち門戸を開いても外国人が誰も来ない国になる。 そうなってからでは手遅れである。
* かねて「多様性の受容」を訴えてきたが、それは何故か? それは、蛸壺に身を隠し様子見するばかりの習性を捨て、日本人が変身するには「自分の好みと違う事/自分と違う人」を受け入れ、
一緒にやってゆく柔軟性をもたねば新奇なアイデアに潜む成長の芽は見えず、世の変化についてゆける訳はないし、30年の停滞から日本が抜け出す大転換は作れないと確信するからだ。
性差別の残渣・民族ヘイトの放置・夫婦別姓の拒否・定住移民の拒否・男系天皇への固執。これらは全て「日本社会に必要な多様性の受容」に反する悪習であり、早く捨てなければと国民が
心の底から思わないなら、その閉鎖的で同調圧力に縋るだけの社会は、世界の変化から遅れるばかりだろう。
★ 以前からだが、今回の選挙でも日本をどういうクニにすべきか?に応える【国家ヴィジョン】の欠落が指摘されている。実に残念だが、それを正面から掲げる政党は与野党とも見当たらない。
上に述べた観察から、「多様性の受容」こそがあらゆる課題を解決し競争力復活へのキーワードであり【国家ヴィジョン】の基盤であると私は思う。そういうクニを目指す選挙に出来るか?
米国から日本を眺めていたので、ソ連崩壊に始まる世界情勢激変から世界経済の混乱に暮れた90年代・10年間の日本の内情は実感できていない。
* ”バブル(泡)経済の破綻”なる用語が80年代末頃から日本に関する報道に出没したのは覚えている。今から振り返ると”泡”は80年代半ばからブクブク湧き始めてたということだろうが、それは
日本を離れて外国で暮らし始めるタイミングと重なっており、日本の変質と凋落の予兆を感じる場に私は居なかった。プラザ合意に恨みをぶつけても反省にならない、と当時から私は思っていた。
それだけに2001年初頭、帰国して再び国内で働き始め、直ぐに私が感じた違和感といおうか、異邦人感というべきか、それは相当衝撃的な感覚だった。適切な言葉は今でも浮かびにくいが、
かき回された混乱の汚泥が徐々に沈殿して視界が広がると、激しく変化する外部環境に対応する新しく大胆な試みに踏み切れず「こんな筈はない。なぜ以前のようにできないんだ?」と右往左往する
ばかりの政府と国民の姿が見えてきた。・・これが私の観察である。 あれから20年!
* その狼狽えぶりが最も顕著に出たのは製造業であり、過去の成功体験から抜け出られないまま≪成長エンジン不在≫の今に至るが、もう一つの衰退要因は情報通信技術分野での大きな遅れであろう。
其の混乱と競争力喪失を財界は非正規労働者の創設と外国人労働者導入に拠る人件費カットで当面を乗り切ろうとした。だが、それは期限を設けた「当面」ではなく、現在も続く苦肉の策だ。
人口減少が止められないなか、誰もが考えつく(移民政策の転換で労働人口減少を補い、長期的なプラスへ転じる)政策は国民の頑強な抵抗のため実現しない。 いわば『自業自得』である。
今では第1次産業も含む全産業で労働力不足が生活コスト上昇の主要な要因になっているが、政治家は動こうとしない。何故なら、国民の外国人忌避を熟知しており、票には結びつかないからだ。
然し、発展途上国の民度向上で、日本は魅力ある国ではなくなったのを忘れてはならない。そのうち門戸を開いても外国人が誰も来ない国になる。 そうなってからでは手遅れである。
* かねて「多様性の受容」を訴えてきたが、それは何故か? それは、蛸壺に身を隠し様子見するばかりの習性を捨て、日本人が変身するには「自分の好みと違う事/自分と違う人」を受け入れ、
一緒にやってゆく柔軟性をもたねば新奇なアイデアに潜む成長の芽は見えず、世の変化についてゆける訳はないし、30年の停滞から日本が抜け出す大転換は作れないと確信するからだ。
性差別の残渣・民族ヘイトの放置・夫婦別姓の拒否・定住移民の拒否・男系天皇への固執。これらは全て「日本社会に必要な多様性の受容」に反する悪習であり、早く捨てなければと国民が
心の底から思わないなら、その閉鎖的で同調圧力に縋るだけの社会は、世界の変化から遅れるばかりだろう。
★ 以前からだが、今回の選挙でも日本をどういうクニにすべきか?に応える【国家ヴィジョン】の欠落が指摘されている。実に残念だが、それを正面から掲げる政党は与野党とも見当たらない。
上に述べた観察から、「多様性の受容」こそがあらゆる課題を解決し競争力復活へのキーワードであり【国家ヴィジョン】の基盤であると私は思う。そういうクニを目指す選挙に出来るか?