静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

コロナ疲れして 言葉を閉ざしてはならない  諦めず、言わねばならない事は 歯を食いしばって 言おう!

2020-11-26 20:24:48 | トーク・ネットTalk Net
 2月後半からぼや~っと立ち込めてきた”コロナかぜ” これが地球全体にはびこっている。 敢えて“カゼ”と表現したのは従来のインフルに似せたのではない。
どこから吹くのか誰にも分らないカゼとCOVID-19 は同じように目に見えないウイルス、だから”風みたい”に見えずはびこると言うのだ。

日本で此の風が吹きすさみ始めてから、もう10ヶ月近い。 いつ止むのか不明。ワクチン開発で色よさそうな話は出始めたが、たぶん、どんなにお人よしに楽観的に見積もっても、
少なくとも来年前半6ヶ月間は日本の全ての国民が心を開いて喜べる情勢は来ない。今の西洋人の大元をなす<コケイジアン人種>vs 我ら<アジアモンゴロイド人種>と大雑把に分けた民族的差異、
ましてウイルス変異を思うと、ワクチンの有効性が本当か? そして副作用用安全性確認に最短6ヶ月以上は要るだろう。6ヶ月だってお笑いぐさかもしれない。 
 これじゃ何事も変わらないので嫌気さす、当たり前だ! 日々を耐えられず自暴自棄に陥る人や自殺も増えるだろうな。 犯罪も増々ふえるしかない。 
それには云うべきことも疲れ果て言えないかも知れない。・・・・でも、駄目だよ、言わなきゃ。

人類へ平等に与えられた試練。意図せずも、我々は自分が属するクニの指導者とされる人たちの<危機対処能力、一人の人格としての器>の貧しさをナマの裸で見てしまった。
滅多にこういう機会は無い。それを喜ぶべき大事なチャンスとは思うが、明日からの対処能力が私にも政治家にも有るとは思えず、言い訳もお世辞も互いに言えない今の日本。嗚呼!!
 然し、何度も言うが、諦めずに行くしかない。。。。。。黙ってしまえば全ておしまいなのだ。
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【113】 「 西行物語(全訳注) 」   桑原 博史 著   講談社学術文庫     1981年4月 初版

2020-11-25 15:11:21 | 書評
本書は、本ブログ『旅行』ジャンルで挙げた<秋の古都を訪ねて 6/6〆:大原野神社から勝持寺(しょうじじ)へ>(2020.11.17.)で触れたように、西行の出家得度譚に刺激され、京博で予め買い求めたモノである。

「西行物語」と称される本があったらしい、と聞いた覚えは微かにあったが、桑原氏によれば鎌倉時代このかた『広本』『略本』『采女本』の3種もあるというから、それだけでも、如何に西行法師の人気が高かったかがわかる。
桑原氏は西行のほか、徒然草の兼好法師も研究対象とする学者で、中世の物語文学が専門フィールド。 桑原氏は江戸時代に最も多く読まれたという『略本』版を底本に選び、本書は原詞、現代語訳、語釈と鑑賞ポイントで
構成されている。 研究者/学会向けの論考は出ていたが、一般読者向けの注釈書は誰も世に出していないので自分が出すことにした、と氏はまえがきで述べている。  ≪以下、”物語”と略称する≫

 まず西行の生年と没年。 ”物語”では(1103-1198)で 没年96歳の人生とするが、史実は(1118-1190)であり、73歳の人生だった。没年はともかく、生年を15年も”物語”の作者が遅らせた理由を、桑原氏は出家前後の逸話と
和歌の結びつきを無理に繋いだ所為ではないか?と推測。これに限らず、”物語”の建付け(構成)と引用された歌の順序だても史実に反するものが殆どだと指摘している。伝記物語にありがちな意図であり、そうでなくば物語にできない。
 
 出家後の西行の事跡や何処で誰と会ったか、といった逸話は様々な史料や歌集の詞書あるいは著名人の日記から特定できる。西行の一生を劇溢れるものにした人物は、例えば同い年の平清盛、出家放浪中に出会った蜂起前の源頼朝、
何度も会話を楽しんだという栂ノ尾・高山寺に居た明恵上人、奈良東大寺大仏再建寄進呼びかけで訪れた奥州平泉家の藤原秀衡など。ところが、出家後、残した妻と娘の消息は、どちらも尼になって西行の没後すぐに死んだ、
としか伝わってない。そもそも鳥羽院から気に入られた由緒ある武家の出ながら、突然妻子を振り切り出家した動機からして西行は秘密のヴェールに包まれており、激動の時代を超然と流浪の旅に暮れた生きざまも人々を惹きつけて
止まぬものだ。

 西行は世俗の栄誉・愛欲などを仏道修行には無用なものと断じ切り、実行してしまう。元々僧籍に在った者ならわかるが、一所不在を言葉どおり実践すべく庵を結んでもすぐに別の地をさまよい歩く。その流浪の日々を慰めたのが歌作り。
さりながら、花鳥風月などに人の世の哀愁や無常を仮託する歌作り、それは現世への執着ではないのか? と西行は思わず、素直に自然現象へ反応することこそ煩悩を捨て救済される修行だと考えたのだろう、と桑原氏は解釈している。
西行の歌は当時の歌風であった技巧装飾に走るのではなく、極めて自然に口をついて出てくる言葉を並べただけ、としか思えぬほど自然体であり、藤原定家などとの決定的な違いである。

 これに関連して『明恵上人』(講談社学術文庫)で白洲正子は興味深い事を書いている。西行と初めての出会いは明恵上人18歳の時、以後も何度か西行から訪ねては談笑したことが明恵上人伝でわかる。此の頃すでに西行は60代。
白洲氏の本によれば、明恵は18歳以降ピタッと歌作をしなくなったという。教えを西行に乞うたことは当然あったろう。だが白洲氏は「まるで旋律のついた歌を唄うように西行の和歌が漏れ出てくるのに対し、明恵だけでなく、
殆どの歌人は苦吟推敲しながら歌を絞り出す」と比べ、西行による和歌の流れるような音律を≪明恵は詩人であったが、西行は歌人であった≫と形容している。 <詩心を言葉で紡ぐ詩人、歌を唄い流す歌の人>と言おうか。。

謎に満ちた天才歌人。武士から放浪の修行者への劇的な生き方。桜樹の本で死ぬ理想イメージの実践。余りにもドラマチック過ぎる男。73歳での従容たる死。  西行よ、永遠なれ。
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≪ 今朝の ひとこと ≫  尖閣諸島の防衛  日米安保第5条の修正提案を日本政府から米国政権に要請しては?  「施政権下の防衛義務」ではなく「領有下の防衛義務」へ

2020-11-25 08:46:35 | 時評
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66457910Q0A121C2000000/?n_cid=NMAIL007_20201125_A
トランプ氏の愚かな悪あがきが漸やく下火になった。 バイデン新政権が早速尖閣をめぐり日米安保条約に自ら言及した、と外務省では喜んでると伝えられる。  何?幼稚だな!
 
以前から識者に指摘されているとおり、アメリカは領有権争いに巻き込まれたくないので、「日本の施政権下にある」という表現を変えようとしていない。
中国が船舶を増強して接近・侵入を繰り返すのも、此の表現ゆえにである。米側が認めているのは日本が尖閣で立法・行政・司法の三権を行使する権限である「施政権」であって「領有権」ではない。 

例えば日本が主張する≪北方4島≫ここに日本の施政権は及んでいないから、米国は安保条約下の防衛義務を認めていない。1945年9月の正式降伏以前の占領ゆえソ連の領土だ、
とアメリカの立場は変わりない。 そういうことなら、何故、5条の改訂を米国に要求しないのか? 
それこそ論理一貫するし、対米従属でない対等な条約関係に近づくのではないのか? 日米地位協定の改定も大事だが、5条の改訂を迫ればアメリカの本音がわかる。 何を恐れるのか??
然も、仮に攻撃を受けても米国大統領は即座に派兵/攻撃する権限を与えられてない。反撃には米国議会の承認が必要なのだ。ここも中国は狙ってくるに違いない。。。


以下に引用したのは此の日経新聞記事中にある。読めば一目瞭然だが、こんな及び腰で受け身な他力本願で中国に通用すると本気で念じているのか?  甘い。お人よしにも程度があるぞ!

<首相周辺は首相とバイデン氏との電話協議について「安倍政権からの外交上の積み重ねのおかげで、良いスタートが切れた」と語る。そのうえで「蓄積を生かし、米国から、日本の領有権を認めるような発言を引き出すのを次の目標としたい」話す。米国が尖閣を巡り、日本の領有権を認めれば中国の反発は必至となる。トランプ政権下で激しくなった米中摩擦に、バイデン氏がどういう姿勢で臨むのか。日米外交は常に、米中関係の行方をみながらのマネジメントとなる>。 ← ”発言を引き出す”じゃなくて文章で変えなければ効力はゼロ!! こういう姿勢だから足元を見られる外交しかできないのだ。
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【112】 「 冷い夏、熱い夏 」   吉村 昭 著   新潮文庫     1990年2月 刊

2020-11-23 18:28:38 | 書評
 吉村作品の魅力は「外面事実」を並べ,組み上げる構成で一貫しており、登場人物の内面心理の掲揚や描写は意図的に避けたかのような手法だ。そうすることで読者に登場人物の内面を想像させ、
出来事の向こうに在る何かについて、読む人に自ら考えさせる。題材が何であれ、それは見事に貫かれている。
 例えば『殉国  ~陸軍二等兵 比嘉真一~ 』では、僅か15歳の中学生(旧制)が兵に編入され、沖縄の地上戦の修羅場を潜り抜けるのだが、凄惨な日々を徹底的に怜悧に描くだけで、比嘉少年の
心理描写は全く無い。然しながら、これでもかといわんばかりに重ね綴られる敗走の日々の臨場感で、読者はおのずと戦闘のむごさ、本土での空襲の如き受け身ではなく実弾飛び交う地上戦とは
どんなものか、沖縄の人々の苦しみを心に想像出来る。 そして、この作品に「私」「吉村昭」は何処にも居ない。 氏が得意とした、いわゆる”逃亡モノ”においても、作者の主張や叫びの無い点では
同じである。

  だが、『冷い夏、熱い夏』は恐らく唯一例外的な作品だ。実弟が癌で亡くなってゆく1年弱の日々を歳が近く支え合った「兄」としての作者が主人公として全面的に自分の言葉で語るのである。
ここでは上に述べた手法、即ち「外面事実に語らせる」手法はいっさい執らず、肉親の死をめぐり顕われる全てのテーマを丹念に語り継いでゆく。

 それは実弟の<死ぬことの恐怖/生命への執着>に始まり<親族の狼狽と苦悩><告知の是非をめぐる葛藤>へ連なる。吉村氏は告知しない立場を貫くので<可愛い弟を騙し、嘘を続ける苦悩>
に最後の最後まで苦しむ。 それは、氏の兄たち/妻たちにも可能な限り非告知を貫いてくれと懇望する辛さ/罪悪感でもある。
 然し、癌の転移が進み苦痛が激しくなるにつれ<延命拒否を医師に依頼すべきか否か>の葛藤となり<自殺願望や安楽死への想い>を呼び覚ますことにもなる。ここは死生観の違いゆえ、
何びとも絶対善など無いことに思いを致すしかあるまい。 吉村氏は実体験を時系列で怜悧に観察しつつ、自分の内面を忌憚なく吐露し続ける。その苦しみに私は何度も落涙した。

 いよいよ終末期にさしかかり、「兄」として<来るべき弔いの準備>を考え始め、吉村氏は行動に移す。体調を崩しながら自身の執筆や講演活動を疎かにしないことで氏は精神力を保とうと努める。
戦前の子供時代の思い出、戦後まもなく自分が肺結核で手術と闘病生活を送った日々に弟が物心両面で尽くしてくれた想い出。苦しくも楽しかった年月を回想する酷さの叙述も涙せずに読めない。

 いよいよ臨終の時が見え始めるや、吉村氏は自分の子供だけでなく年上の兄の子供たちも呼び「人間の死」に立ち会わせる。思えば、死にゆく「弟」に子が無いのがせめてもの幸運かもしれないが、
弟の妻にそれは決して幸運でもなかろう。  病院から棺が葬儀社の霊柩車に乗せられ弟の自宅へ向かう。ありふれた光景で作品は終わるが、私は両親の死に臨んだ時の記憶と重ね、改めて吉村氏の
ぶれない観察力、怜悧な描写力、その精神の強靭さに舌を巻いた。 
 此の強さは何処から来るのか? 戦争体験、結核での臨死体験? どれも私には欠けている。 欠けている私は、こういう強靭さを持てないのか????

 ターミナルケアの在り方。尊厳死/安楽死への情緒起点ではない思考態度。これらを巡る合理的で理性的な議論が日本では遅々として進まない。 長寿化も重なり、進まない背景はいくつも有ろう。
それが日本人に独特な生命観/死生観によって来たるものである事も間違いない。 
  吉村氏は身内の死を題材に用いる残酷さに耐えながら、此の作品で、生と死にまつわる全ての論点を冷静に提示した。  貴方ならどう迎える?  私はどうする?
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コロナワクチン:米国ファイザー社 開発から承認申請まで 異例の速度で達成!   ここから国民が学ぶことは?  

2020-11-23 10:49:32 | 時評
新型コロナのワクチン開発 米ファイザーが未曽有のスピードで使用許可申請まで到達した背景は
https://mainichi.jp/articles/20201122/k00/00m/040/096000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20201123
・ 内容を要約するのはリスキーなので、敢えて行わない。詳しくは中身をお読み戴きたいが、渡辺諒&横田愛・両記者が報じる内容で私が重要と感じたポイントを列挙する。

1.「有効性95%」の算出根拠。ーーこれが漸く素人にもわかる言葉で説明されている。。。だが、発症した170人は、接種後も通常生活させたのか?故意に感染環境にさらしたのか?  気になる点だ。
  <ファイザーの治験は約4万4000人が対象で、18日に「有効性95%」と公表された。同社によると、症状のある感染者170人を対象に解析。ワクチン接種グループは8人で、偽薬(非接種)グループは162人。
  偽薬グループの発症者を1とすると、接種グループは0・049で、およそ20分の1(5%)だ。ワクチンによって発症者が95%減ったということになる>

2.有効性は信じられても安全性は未知 ーー致し方ないが、多数の人にワクチン接種しないと副作用&持続性はわからない。。。
 <東京大医科学研究所の石井健教授(ワクチン学)は「95%という有効性は歴史的に見て良い数字だが、感染を予防するのか、発症を予防するのかなど、何に対して効果があるのかにも注目すべきだ」と話す。
  安全性については、短期間では把握できない可能性もある。石井教授は「さらに多くの人に接種したり、年単位で時間が過ぎたりした結果、有害事象が出てくる可能性もある。仮に有害事象が起きても、接種したことのメリットが
  上回る重症化リスクの高い人を接種対象にするなど、慎重な対応をすべきだ」と話す>

3.戦略的な備えを怠らなかった米国政府は、買い上げ保障付きのベンチャー投資もーー防疫対策に限らず、万事戦略的構想力を欠く哀しい性(さが)の日本人
 <米国の戦略に詳しい国立保健医療科学院健康危機管理研究部の斎藤智也部長は「政府が基礎研究や治験を資金支援で後押しし、最終的に『買い上げる』から民間も付いてくる。日本も自前の技術力を磨いておかないと、
  彼らが作ってきたものの評価をうのみにするしかなくなる」と指摘する>

 <今後も起こりうる新たな感染症に日本は立ち向かえるのか。塩野義の手代木功社長は毎日新聞の取材に「問題は平時の対応だ。今回7000億円近くの国費が外に流れるに至った理由を考える必要がある」と指摘。
  新型コロナ対応の陣頭指揮を執った厚労省の鈴木康裕・前医務技監は「『喉元過ぎれば』とせず、製薬企業がリスクを取ることを評価し、海外への市場拡大を後押しするなど、総合的なワクチン政策の見直しが必要だ」と訴える>

 同じく毎日新聞。有料記事なので引用できないが【風知草】山田孝編集委員による≪コロナに勝つと思うな≫も併せ読まれたい。全世界をみても従来の疫病研究水準では封じ込める可能性が未だ見えていないのが、新型ウイルスの現実である。
 その現実に目をつむり「東京五輪を人類がウイルスに打ち勝つ証に」などと根拠なき楽観論をぶち上げ続ける現政権の無責任を戒めるものである。  出口無き持久戦に、我々はこれからも晒され続ける。
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