ヴェトナム戦争記念碑が築かれ、帰還パレードを政府が主宰するのに20年近くかかったことを著者は「恥ずべきこと」と断じる。
陸軍が教訓として取り組んだのは、戦中・戦後も部隊意識を維持させるため兵員交替制度を個人単位から部隊単位に変更。またイギリス軍に倣い、船による帰国とパレード実施。部隊交替期間中の精神安定維持策だという。著者によれば、これらの対策は湾岸戦争(1991年)では概ね実行された。
上に紹介したことは米国陸軍の実務面での対応だが、日本にとり、もっと重要な変化の方は見逃せない。それは<ワインバーガー・ドクトリン>と呼ばれるアメリカ国防省の出した指針である。
■ 米国の重大な利益がかかっているのでない限り、合衆国は軍を戦闘に関与させない
□ 戦闘に関与する場合は、勝利を収めるに十分な兵員と支援を与える
■ 政治的および軍事目的を明確にする
□ 勝つつもりのない戦争に二度と再び軍を送らない
■ 海外に軍を派遣する場合、合衆国政府は国民及び議会における国民の代表から支援が得られるという一定の確証を事前に得なければならない
合衆国軍が海外で勝利を得るために戦っている時に、本国で議会がそれに異を唱えるようなことが有ってはならない
□ 大がかりな外交戦術のために、合衆国軍が捨て駒として派遣されるようなことは、アメリカ国民が黙認しないだろう
■ 合衆国軍の派遣は、最後の手段でなければならない。
中国の台頭、新生ロシアの対決姿勢、不安定な中東から西アジア。ソ連崩壊前より却って世界のトラブルは拡散し、手に負えなくなった。ヴェトナム戦争が世界で初めてのゲリラ戦争だったとすれば、今は世界中がゲリラとテロリズムに満ちている。 大規模な正規軍同士の戦いはもはや発生せず、民間人なのか兵士なのか見分けがつかないまま、テロまがいの局地戦が「モグラ叩き」のようにあちらこちらで頻発している。
さて、安倍政権は「安保関連法制」と称する法律群を国会で通し、海外派兵可能な国にした。それが「駆けつけ警護」であれ「紛争地域での共同警護」であれ、実弾を発射する機会が飛躍的に増え、犠牲者が必然的に避けられなくなった。たとえPKO行動であれ、これからは外国軍の後ろに隠れる自衛隊では周りが許さないだろう。それを覚悟のうえ、安倍首相はこの国の方向を変えたのだ。 与党支持者も同じ覚悟でいるに違いない・・「靖国が君を待っている」と。
もう30年近く前のレーガン大統領時代、当時のキャスパー・ワインバーガー国防長官が出したドクトリン。これが現在の世論/歴代政府にどこまで受け継がれ、支持されているのか? それは判断が難しい。 だが、1990年代から21世紀に入って以降の25年間、米国政府が介入した事例を眺めると、私には大なり小なり同ドクトリンの基本精神は消えていないと思える。
オバマ大統領が<アジア・リバランス><尖閣諸島は日米安保条約の発動対象>と言ったからといって<ワインバーガー・ドクトリン>に照らす時、日本は片思いのお人善しではいられないのだ。 例えば、南シナ海へ海上自衛隊の哨戒機派遣を要請された時、<ドクトリン>精神がどう働くか? この海域は日米安保の発動対象にならないが、米軍は自国の国益保護だからと一緒に戦闘行動に入るか?
要は、こういうシナリオ想定そのもではなく、自衛隊が<国家としての殺人>を隊員に命じることで発生する心の傷と社会が支払う代償に備えているか、である。専守防衛で戦死者が発生してもPSTD患者は出まいが、遠く離れた海の向こうでの殉死ならどうだ。これに政府と国民は備えができているか? ≪ つづく ≫
陸軍が教訓として取り組んだのは、戦中・戦後も部隊意識を維持させるため兵員交替制度を個人単位から部隊単位に変更。またイギリス軍に倣い、船による帰国とパレード実施。部隊交替期間中の精神安定維持策だという。著者によれば、これらの対策は湾岸戦争(1991年)では概ね実行された。
上に紹介したことは米国陸軍の実務面での対応だが、日本にとり、もっと重要な変化の方は見逃せない。それは<ワインバーガー・ドクトリン>と呼ばれるアメリカ国防省の出した指針である。
■ 米国の重大な利益がかかっているのでない限り、合衆国は軍を戦闘に関与させない
□ 戦闘に関与する場合は、勝利を収めるに十分な兵員と支援を与える
■ 政治的および軍事目的を明確にする
□ 勝つつもりのない戦争に二度と再び軍を送らない
■ 海外に軍を派遣する場合、合衆国政府は国民及び議会における国民の代表から支援が得られるという一定の確証を事前に得なければならない
合衆国軍が海外で勝利を得るために戦っている時に、本国で議会がそれに異を唱えるようなことが有ってはならない
□ 大がかりな外交戦術のために、合衆国軍が捨て駒として派遣されるようなことは、アメリカ国民が黙認しないだろう
■ 合衆国軍の派遣は、最後の手段でなければならない。
中国の台頭、新生ロシアの対決姿勢、不安定な中東から西アジア。ソ連崩壊前より却って世界のトラブルは拡散し、手に負えなくなった。ヴェトナム戦争が世界で初めてのゲリラ戦争だったとすれば、今は世界中がゲリラとテロリズムに満ちている。 大規模な正規軍同士の戦いはもはや発生せず、民間人なのか兵士なのか見分けがつかないまま、テロまがいの局地戦が「モグラ叩き」のようにあちらこちらで頻発している。
さて、安倍政権は「安保関連法制」と称する法律群を国会で通し、海外派兵可能な国にした。それが「駆けつけ警護」であれ「紛争地域での共同警護」であれ、実弾を発射する機会が飛躍的に増え、犠牲者が必然的に避けられなくなった。たとえPKO行動であれ、これからは外国軍の後ろに隠れる自衛隊では周りが許さないだろう。それを覚悟のうえ、安倍首相はこの国の方向を変えたのだ。 与党支持者も同じ覚悟でいるに違いない・・「靖国が君を待っている」と。
もう30年近く前のレーガン大統領時代、当時のキャスパー・ワインバーガー国防長官が出したドクトリン。これが現在の世論/歴代政府にどこまで受け継がれ、支持されているのか? それは判断が難しい。 だが、1990年代から21世紀に入って以降の25年間、米国政府が介入した事例を眺めると、私には大なり小なり同ドクトリンの基本精神は消えていないと思える。
オバマ大統領が<アジア・リバランス><尖閣諸島は日米安保条約の発動対象>と言ったからといって<ワインバーガー・ドクトリン>に照らす時、日本は片思いのお人善しではいられないのだ。 例えば、南シナ海へ海上自衛隊の哨戒機派遣を要請された時、<ドクトリン>精神がどう働くか? この海域は日米安保の発動対象にならないが、米軍は自国の国益保護だからと一緒に戦闘行動に入るか?
要は、こういうシナリオ想定そのもではなく、自衛隊が<国家としての殺人>を隊員に命じることで発生する心の傷と社会が支払う代償に備えているか、である。専守防衛で戦死者が発生してもPSTD患者は出まいが、遠く離れた海の向こうでの殉死ならどうだ。これに政府と国民は備えができているか? ≪ つづく ≫