静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 個人的な意見や解釈は構わないが、個人的な事実などはありません ≫  真面目な民族ほど流されやすく 抵抗しない

2017-11-29 09:42:39 | 時評
★ 毎日【水説】「否定と肯定」に学ぶ=中村秀明 https://mainichi.jp/articles/20171129/ddm/003/070/120000c?fm=mnm
・ <「ヒトラーはユダヤ人の大量虐殺を命じていない」「ホロコーストはなかった」 そう主張する歴史家に、自らの著書で反論した歴史学者が名誉毀損(きそん)で訴えられる。
  争いようのないはずの事実が、審理にかけられた裁判が2000年のロンドンで繰り広げられた。>
 ⇒ 冒頭の書き出しに私は驚いてしまった。何に驚いたかというと、このような訴訟が起こされた事実と、訴えられた学者の著書が一体誰の名誉を傷つけたというのか?の疑問である。

・ <来週末から公開される映画「否定と肯定」はこの事実に基づいている。訴えられたデボラ・リップシュタットさんが最近来日した。彼女は「こんなに今日的な意味を持つ作品になる
  とは思ってもいなかった」と切り出した。>
  <映画化が持ち上がったのは09年だった。当時は「フェイク(偽の)ニュース」という言葉もトランプ現象もなかった。自分の立場に好都合だったり、自らの思いや願望に沿って
  いたりすれば、虚偽でも不確かでも、その情報を受け入れるといった風潮は想像すらできない時期だ。>
 ⇒ そう。大事なのは、”フェイクニュースだ!”と事実すら認めようとしない指導者の態度、そしてそういう姿勢を何となく受け入れてしまうネット大衆が存在しなかった8年も前に、
  上に挙げた荒唐無稽な裁判に潜む危険な兆候を見て取った学者(=訴えられたデボラ・リップシュタットさん)が居るということだ。此の鋭さ、残念ながら私自身を含め、
  日本人にはみられない。
  どうして日本人には昔も今もこういう鋭さが涵養できないのか? といえば、(国家と個人の関係への距離感)(自分の頭で考え、意見を抱く教育)これらの欠如が原因だろう。

・ <「何を感じたの」と問われ、彼(映画では老練な法廷弁護士)は「恥だ」と答える。さらに表情をこわばらせ「そして恐怖も」と語り、「私もあの場にいて命じられたら従わざるを
  得なかったかもしれない」と言葉を継いだ。差別主義や排外主義を小さな芽のうちに摘みとり、身近な偏見や憎悪を戒めなければいけない理由がここにある。世の大きな潮流になって
  しまえば「おかしいよ」と言い、「いやだ」と抵抗するのが難しくなる。私たちは弱いし、流されやすいのだ。> そう、ただでさえ大勢順応の強い日本人には痛く突き刺さる自戒だ。

リップシュタットさんは滞在中、2日にわたって靖国神社の遊就館を訪れている。特に特攻隊員の遺書に関心を持ったようだ。後日、メールで(中村氏に)感想が届いた。
「祖国のための犠牲に敬意が払われるというのは理解できるが、疑いようもないほどの称賛には不安をおぼえました」という。 そして「むやみな称賛が若い世代に与える影響が怖い。
私は見ていて悲しい気持ちになりました」と締めくくってあった。
・・・櫻井よしこ、百田直樹といった国粋思想家などが雑誌、マスメディアを通して若い世代に浸透している現状を思うと、私はリップシュタットさんの指摘に敬服する。
 私も何年か前、靖国の遊就館を訪れた際、同じ悲しさを覚えている。また、それは九州・太刀洗/知覧の特攻基地記念施設でも感じた 悲しさ/民族的愚かさだ。
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≪ 国際常識欠如ではなく 人権無視感覚を責めよ ≫   ≪ 相撲における外国人選手と 伝統文化/しきたり ≫

2017-11-28 08:52:44 | 時評
◆ 【毎日社説】山本前地方創生相の暴言 国際常識が欠如している https://mainichi.jp/articles/20171128/ddm/005/070/105000c?fm=mnm
 前地方創生担当相の山本幸三・自民党衆院議員が、アフリカ諸国との交流に取り組む同僚議員の活動について「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言した問題である。
・ <山本氏は発言が報道されると「アフリカは『黒い大陸』と呼ばれていた」「差別的な意図はない」などと苦しい釈明をしたが、とても通用しないだろう。>
・ <山本氏は地方創生担当相時代、文化財観光の振興をめぐって「一番がんなのは学芸員」と語るなど、無理解に基づく暴言も問題になった。>
・ <今は当時と比べグローバル化が進み、人権意識が一層共有されるようになっている。そんな国際常識から隔絶されたように、まるで黒人を見下すような発言には、国会議員としての
  資質を疑わざるを得ない。先週は自民党の竹下亘総務会長が宮中晩さん会への国賓の「同性パートナー」出席に反対し問題化した。これも性的少数者の権利を認める世界の流れに
  逆行する発言だった。>
 ⇒ 此の記事は、山本幸三や竹下亘の暴言を<世界の潮流から外れた妄言>との角度から批判しているが、此の姿勢は日頃深く考える習慣がない読者に<差別的発言ではなく、世界の
  流れに遅れるから批判されているんだな>との印象を与えかねない。そういう先読みを新聞記者はしたのか?  また上司である編集責任者は、そういうリスクを考えたのか?
 即ち、『世界の大勢がこうだから日本もついてゆかねば・・・』という日本人に多い”勝ち馬に乗る””付和雷同””長い物には巻かれろ”に連なる怖れが有るのである。
 加えて、アフリカ援助の外交政策に損失を与えるという指摘も、差別に潜む人権意識欠如ではなくソロバン勘定しか喚起せず、人権よりも国益保護が前に出てきている。
 私は此の功利的姿勢に全く賛同できない。

★ 白鵬の万歳三唱、批判の声 https://mainichi.jp/articles/20171128/k00/00m/050/123000c?fm=mnm
 白鵬関は26日の優勝インタビューの最後に「この会場の皆さんで万歳三唱したい」と述べ、場内の観客とともに万歳した。
1. <白鵬関は日馬富士関の暴行問題では現場の酒席に同席>。 
    ← 同席したから何だ?  年上の日馬富士を阻止できた、とでも言うのか?  これはお好きな日本的しきたり=<年功序列>に反する八つ当たりでしかない。
2.<場所中の23日には嘉風関に敗れた後に立ち合い不成立をアピールし協会審判部から厳重注意を受けた。>
3. <白鵬関は優勝インタビューで「日馬富士関と貴ノ岩関を再び、この土俵に上げてあげたいなと思います」とも語った。北村委員長は「横綱といえども、自分ができるような感じで
  言うのは何かおかしい」と批判した。>
 ⇒ 2.は誰が見ても白鵬自身が立ち合い成立を誤認したミスであり、ルールに従わないアピールであった、白鵬の釈明には100%擁護の余地は無いと私もTV画面で即座に判断した。
また、3.の発言。これも北村委員長の「いくら横綱でも援護射撃的な発言はするな」という立場への賛否は、多数決をとれば、たぶん日本人の多くは委員長を支持するだろう。   
 いち選手の分際で・・・という極めて上から目線だが、これには普遍性があるだろう。

 然しながら、私は今回の白鵬の発言と態度に、相撲業界における文化摩擦を感じた。以前にも日本的しきたりに反する動作/しぐさを白鵬がとった際の批判に関し、私は外国人を相撲に参加させるなら不可避の摩擦だと説いたが、今回も同様のことを感じている。それは「万歳三唱」をすべき場面の認識が外国人と異なるからではないか?
 ⇒ 想像だが、白鵬の万歳は自分の40回優勝にではなく<相撲協会万歳/相撲道万歳>を言いたかったのかもしれない。委員長は現下の厳しい状況だから万歳など叫ぶなとの立場だが、其の感覚は<相撲協会万歳/相撲道万歳>を祈る気持ちと対立/否定するものではあるまい。
  白鵬にはこれまでに何度も心から万歳を叫びたい優勝はあっただろうと想像できる。インタヴューの文脈からも私はそう感じたが、皆さんはどうだろう? 若し私の想像が当たっているなら<相撲協会万歳/相撲道万歳>を添えられなかった、外国人ゆえの言葉足らずである。
 
外国人を雇うスポーツの中で、相撲だけが日本文化/伝統に執着するゆえ、このような文化摩擦が絶えない。いや、日本文化へのこだわりを捨てたら相撲でなくなる、との指摘も間違っていない。ジレンマである。完全にしきたりだけでやってゆこうというなら、外国人は入れない事にするか? 表面だけに過ぎないとわかっていても外国人に無理やり伝統をコピーさせるか?
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≪ 日本で働きたがる外国人を 結局使えない日本企業 ≫  複合要因があることを直視しない悪循環

2017-11-27 20:08:44 | 時評
★ 外国人高学歴プロに<選ばれない国=福本容子> https://mainichi.jp/articles/20171127/dde/012/070/003000c?fm=mnm
  調べたのは、スイス・ローザンヌにある国際経営開発研究所(IMD)というビジネススクール。有能な人材を確保する要件を30項目選び、それぞれ評価したものを総合して
  国際ランキングにしている。 
・ <高学歴やプロフェッショナルな外国人が「働きたい国」に選ぶ順位で、日本はアジア11カ国中ビリ、世界の63カ国の中でも51位、という、がっかりな結果が出た。>
・ <総合評価で日本は31位と全体の真ん中だったのだけど、「海外の頭脳を引きつけるビジネス環境があるか」、つまり彼らが働きたい国か、の項目で、中国(34位)よりも
  インド(36位)よりも韓国(48位)よりも低くアジア勢で最下位となった。ちなみにこの項目でアジア1位はシンガポール、2位は香港だ。>
・ <政府は「高度」とみなす外国人の定住条件を緩め、もっと招きいれようと頑張りだした。だけど、日本に有益と見た外国人にだけ、すぐ永住権を与えるとかいう小手先の対策
  だけでは、いまさら挽回できないところまできているのだろう。>
 ⇒ ここまでは現状分析だが、私には「ああ、昔と少しも変わっていない」との嘆きが胸を突いて出るばかりだ。

・ <IMDの評価項目の中で、なんと63カ国中63位というのがあった。国内の上級管理職の国際経験である。国際経験が乏しい管理職が国際競争力のある人材の能力を最大限
  引き出すなど、至難の業だろう。部長や執行役員に今から海外経験を積め、というのは手遅れ。ならば、若手に活躍してもらうしかない。振り向いてくれそうもない、すでに実績が
  認められた外国の人に頭を下げるより、例えばすでに国内にいる外国人留学生をどんどん起用して、仕事を任せて、キャリアを積んでもらうのが近道かも。>
 ⇒ おっと、福本さん。では何故、有能な外国人留学生に≪仕事を任せて、キャリアを積んでもらう≫ことが日本ではいつまでも出来ないのか?これこそ「海外の頭脳を引きつける
   ビジネス環境が無い」の裏返しであるから、彼らが働きたい国になれない悪循環の分析に踏み込まねばならない筈だ。 それは論説委員の述べる領域じゃないということかな?

 悪循環を招く数々の要因分析と解決策提案は、むろん多くの人材系コンサル会社が今までも行ってきた。私も海外展開の人材育成について何度かコンサルティングを行い、解決法を示したが、助言に如何なる大企業も従わず、日本的一括同時採用/や中途入社排除の姿勢(正規/非正規の差別)を変更することもなく、労働市場の流動化は真の能力&成果評価を支える職務定義と評価システムの開発とも連動してこなかった。 
 「できる・できない」の判断が「すべきか否か」の判断を押しつぶしていまう。此の不作為こそ「海外の頭脳を引きつけるビジネス環境」を造って来なかった原因だ。 
  冷たい言い方になるが、現状のテイタラクは当然の報いである。
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≪ 同性愛者が人生のパートナーでは 公的行事への参加は拒否する? ≫  選挙に勝ったからといって 自民党に国民の価値観を支配する資格は無い

2017-11-24 08:39:36 | 時評
◆ 自民党・竹下氏 同性パートナー出席に反対 宮中晩さん会 https://mainichi.jp/articles/20171124/k00/00m/010/050000c?fm=mnm
・ <自民党の竹下亘総務会長は23日、国賓を迎えて天皇、皇后両陛下が開催する宮中晩さん会に関し「(国賓の)パートナーが同性だった場合、どう対応するのか。
  私は(出席に)反対だ。日本国の伝統には合わないと思う」と述べた。>
・ <竹下氏は講演で、フランスのオランド前大統領が2013年6月に当時の事実婚の女性を伴って来日したことに言及。「女性は奥さまではない。天皇、皇后両陛下と並んで座るので
  どう対応しようかと、宮内庁は悩んだ」と明かした。>

 ⇒ 竹下氏が岐阜市での講演会で述べた報道された記事を、皆さんはどう受け取られるだろう? 同性パートナーが差別されてきた風潮が徐々に薄くなりつつあるのは、限られた国や文化圏での話ではなくなっている。日本も国民の受け入れテンポは決して速いとはいえないが、その大勢は世界の流れに沿うように見える。
   繰り返すまでもないが、「同性愛の否定」は「自由の否定」である。そして、他者に害を及ぼさぬ限り、人間誰もが尊厳を侵されず、自分の好きなように平等に生きる権利がある、
  という「基本的人権」に「同性愛の否定」は抵触する。
★ 竹下氏が体現する価値観は「男女という異性間での婚姻しか法的/文化的に認めない」立場に拠るものであり、その延長には<男女の婚姻により成り立つ単位しか社会的には
夫婦と認めない>家族観がある。オランド前大統領訪日時の事例は、まさに此の伝統的価値観との相克であった。

真の問題は、竹下氏がこのような事例を捉え、同性パートナーの出席が「日本国の伝統には合わないと思う」と、自分の信じる価値観を勝手に「日本国の伝統」と代表して言い切る態度だ。  そこには価値観の多様性を認める謙虚な姿勢は無く、上に述べた「自由の否定」「基本的人権の否定」への配慮が欠けている。

<結局、宮内庁は大統領夫人として接遇したが、近い将来には外国要人のパートナーが同性となる可能性もあるとして「日本国として、必ず突き付けられる課題になるのではないか」と
指摘した。>  ≪日本国として突きつけられる≫・・・此の言い回しも実に不遜極まりない。自由や人権を大切にする根本姿勢を国民一人一人が守ってゆこう、と呼び掛け導くのは政治家の重要な仕事の基本ではないか? 
 人生のパートナーを得るのが”婚姻行為”であるならば、相手方のジェンダー(=性)は如何なる価値観的判断の対象でもない。パートナーを意思的に選ばない人さえ増えるなか、従来の家族観・婚姻観を押し付ける権限は誰にもなく、押し付けは「自由の侵害」以外の何ものでもない。      何が「自由」「民主」党だ??????
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≪ 企業のオザナリ謝罪にみる”横並び処理体質” ≫     ≪ 最高司令官にノーという空軍大将が居る国・アメリカ ≫

2017-11-21 09:14:37 | 時評
★ <つくばエクスプレス>20秒早く電車出発、謝罪はやりすぎ? 海外から大注目 http://digital.asahi.com/articles/ASKCN4GT8KCNUTIL01K.html?rm=505
・ 詳しくは引用サイトをご覧いただきたいが、此の出来事には、単なる「比較文化論的面白さ」にとどまらない大事なポイントが幾つか有る。

 (1) 本件は、日本社会の美点である一方、時にはマイナスにもなる『完璧主義/過剰品質&サービス』を戯画化した出来事と、私には見える。
     その戯画は工業製品の過剰品質に最も顕著に現れるが、実害が(全く無い/殆んど意味がない程度)なのに、【完全】に拘ることに酔い、精神的”美”をこじつける。
     それは<無益な根性論の一卵性双生児>である。
 (2) <英紙ガーディアンは、日本の鉄道の運行時間の正確さは素晴らしいとしたうえで、「時間厳守が悲劇を生んだこともある」として、107人が死亡した2005年のJR
     宝塚線の脱線事故で、運転士が約1分半の遅れを取り戻そうとしていたことが一因とされていることに触れた>
 (3) <日本社会を「世間」という切り口で研究する佐藤直樹・九州工業大名誉教授(刑事法学)は「日本では場の空気を壊さずに円滑にものを進めるため、『とりあえず謝る』
     習慣がある。企業も同じで、法律上の問題がなくても、苦情やネットでの炎上を恐れ、先回りして謝ることが当たり前になっている」。ここ20年ほど、成果主義が広がって
     社会がぎくしゃくし、小さなことでもクレームを入れる風潮が強まり、企業の謝り方がどんどん過剰になっていると感じるという。>
 ⇒ ガーディアン紙の指摘(2)は、(1)で述べた精神論が職場ではびこった結果の悲劇的結果を日本人に思い起こさせる。此の指摘を「オーバーな・・・」などと片付けて来たから、
   いつになっても、同種の愚かしさは無くならない訳だ。
 ⇒ 佐藤教授の指摘(3)は、SNS普及効果による付和雷同体質増長という負の側面が、従来からあった「横並び意識」とむすびついている事を指す。
 
 単なる笑い話/茶飲み話に終わらせるのか? いや、本件の奥に潜む日本人一人ひとりの抱える無駄/精神論の弊害を無くそう!と本気で考え、身の回りから行動するか?

☆ 【毎日・火論】黒いカバン=玉木研二 https://mainichi.jp/articles/20171121/ddm/003/070/048000c?fm=mnm
・ <トランプ大統領のけんのんな言辞から、米国内ではその核攻撃指令権限に懸念が広がっているという。 18日には戦略軍司令官が「違法な命令なら拒否する」と公言した。
  空軍大将である。違法な命令が出たらどう対応するか、訓練もしているというからリアルだ。>
・ <アメリカの映画人たちは、長く、繰り返し核戦争の恐怖と不条理をテーマに作品を送り出してきた。 とりわけ、62年秋、旧ソ連の核ミサイル配置をめぐって文字通り米ソ
  一触即発の状況になったキューバ危機の後は、作る方も見る方も現実味が増したか、秀作が続いた。>
・ <その一つ、J・フランケンハイマー監督の「5月の7日間」は、核兵器禁止政策に積極的な大統領に、軍部のタカ派将官や軍需産業を背景にした政治家らが強く反発し、クーデターを
  図るという筋立てである。64年4月、東京オリンピックを前に、経済成長に躍る日本でも公開された。 皮肉にも大統領の「暴走」をむしろ軍部が心配する今の構図と、
  映画は逆だ。>
 ⇒ 内部告発できない官僚の存在が、日本では”森加計疑惑”で明らかになった。然も、それは闇に葬られ、総選挙に何の影響も及ぼさないまま終わっている。
   片や、現職の戦略空軍最高司令官がメディアの前で、軍全体の最高司令官と憲法で定められている大統領の命令を違法と・・自分が判断すれば・・従わないと公言している。
   此の違いを我々はどう捉えるか?  此の空軍大将がクビになるかもしれないのに発言する勇気と信念。 この≪個人の自立≫こそ 日本人に最も欠けている資質である。
     私は西海岸大好きのアメリカかぶれではない。寧ろ此処で死にたくはないと帰国を選んだ人間だが、このようなガッツのあるリーダーが軍部に居るなら、まだまだアメリカも
   捨てたものではないな、と嬉しく思った次第。。。。      嗚呼! それに引きかえ、此の列島の上での唾棄すべき茶番劇は何だ?  愚者の楽園よ。
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