★ 毎日【水説】「否定と肯定」に学ぶ=中村秀明 https://mainichi.jp/articles/20171129/ddm/003/070/120000c?fm=mnm
・ <「ヒトラーはユダヤ人の大量虐殺を命じていない」「ホロコーストはなかった」 そう主張する歴史家に、自らの著書で反論した歴史学者が名誉毀損(きそん)で訴えられる。
争いようのないはずの事実が、審理にかけられた裁判が2000年のロンドンで繰り広げられた。>
⇒ 冒頭の書き出しに私は驚いてしまった。何に驚いたかというと、このような訴訟が起こされた事実と、訴えられた学者の著書が一体誰の名誉を傷つけたというのか?の疑問である。
・ <来週末から公開される映画「否定と肯定」はこの事実に基づいている。訴えられたデボラ・リップシュタットさんが最近来日した。彼女は「こんなに今日的な意味を持つ作品になる
とは思ってもいなかった」と切り出した。>
<映画化が持ち上がったのは09年だった。当時は「フェイク(偽の)ニュース」という言葉もトランプ現象もなかった。自分の立場に好都合だったり、自らの思いや願望に沿って
いたりすれば、虚偽でも不確かでも、その情報を受け入れるといった風潮は想像すらできない時期だ。>
⇒ そう。大事なのは、”フェイクニュースだ!”と事実すら認めようとしない指導者の態度、そしてそういう姿勢を何となく受け入れてしまうネット大衆が存在しなかった8年も前に、
上に挙げた荒唐無稽な裁判に潜む危険な兆候を見て取った学者(=訴えられたデボラ・リップシュタットさん)が居るということだ。此の鋭さ、残念ながら私自身を含め、
日本人にはみられない。
どうして日本人には昔も今もこういう鋭さが涵養できないのか? といえば、(国家と個人の関係への距離感)(自分の頭で考え、意見を抱く教育)これらの欠如が原因だろう。
・ <「何を感じたの」と問われ、彼(映画では老練な法廷弁護士)は「恥だ」と答える。さらに表情をこわばらせ「そして恐怖も」と語り、「私もあの場にいて命じられたら従わざるを
得なかったかもしれない」と言葉を継いだ。差別主義や排外主義を小さな芽のうちに摘みとり、身近な偏見や憎悪を戒めなければいけない理由がここにある。世の大きな潮流になって
しまえば「おかしいよ」と言い、「いやだ」と抵抗するのが難しくなる。私たちは弱いし、流されやすいのだ。> そう、ただでさえ大勢順応の強い日本人には痛く突き刺さる自戒だ。
リップシュタットさんは滞在中、2日にわたって靖国神社の遊就館を訪れている。特に特攻隊員の遺書に関心を持ったようだ。後日、メールで(中村氏に)感想が届いた。
「祖国のための犠牲に敬意が払われるというのは理解できるが、疑いようもないほどの称賛には不安をおぼえました」という。 そして「むやみな称賛が若い世代に与える影響が怖い。
私は見ていて悲しい気持ちになりました」と締めくくってあった。
・・・櫻井よしこ、百田直樹といった国粋思想家などが雑誌、マスメディアを通して若い世代に浸透している現状を思うと、私はリップシュタットさんの指摘に敬服する。
私も何年か前、靖国の遊就館を訪れた際、同じ悲しさを覚えている。また、それは九州・太刀洗/知覧の特攻基地記念施設でも感じた 悲しさ/民族的愚かさだ。
・ <「ヒトラーはユダヤ人の大量虐殺を命じていない」「ホロコーストはなかった」 そう主張する歴史家に、自らの著書で反論した歴史学者が名誉毀損(きそん)で訴えられる。
争いようのないはずの事実が、審理にかけられた裁判が2000年のロンドンで繰り広げられた。>
⇒ 冒頭の書き出しに私は驚いてしまった。何に驚いたかというと、このような訴訟が起こされた事実と、訴えられた学者の著書が一体誰の名誉を傷つけたというのか?の疑問である。
・ <来週末から公開される映画「否定と肯定」はこの事実に基づいている。訴えられたデボラ・リップシュタットさんが最近来日した。彼女は「こんなに今日的な意味を持つ作品になる
とは思ってもいなかった」と切り出した。>
<映画化が持ち上がったのは09年だった。当時は「フェイク(偽の)ニュース」という言葉もトランプ現象もなかった。自分の立場に好都合だったり、自らの思いや願望に沿って
いたりすれば、虚偽でも不確かでも、その情報を受け入れるといった風潮は想像すらできない時期だ。>
⇒ そう。大事なのは、”フェイクニュースだ!”と事実すら認めようとしない指導者の態度、そしてそういう姿勢を何となく受け入れてしまうネット大衆が存在しなかった8年も前に、
上に挙げた荒唐無稽な裁判に潜む危険な兆候を見て取った学者(=訴えられたデボラ・リップシュタットさん)が居るということだ。此の鋭さ、残念ながら私自身を含め、
日本人にはみられない。
どうして日本人には昔も今もこういう鋭さが涵養できないのか? といえば、(国家と個人の関係への距離感)(自分の頭で考え、意見を抱く教育)これらの欠如が原因だろう。
・ <「何を感じたの」と問われ、彼(映画では老練な法廷弁護士)は「恥だ」と答える。さらに表情をこわばらせ「そして恐怖も」と語り、「私もあの場にいて命じられたら従わざるを
得なかったかもしれない」と言葉を継いだ。差別主義や排外主義を小さな芽のうちに摘みとり、身近な偏見や憎悪を戒めなければいけない理由がここにある。世の大きな潮流になって
しまえば「おかしいよ」と言い、「いやだ」と抵抗するのが難しくなる。私たちは弱いし、流されやすいのだ。> そう、ただでさえ大勢順応の強い日本人には痛く突き刺さる自戒だ。
リップシュタットさんは滞在中、2日にわたって靖国神社の遊就館を訪れている。特に特攻隊員の遺書に関心を持ったようだ。後日、メールで(中村氏に)感想が届いた。
「祖国のための犠牲に敬意が払われるというのは理解できるが、疑いようもないほどの称賛には不安をおぼえました」という。 そして「むやみな称賛が若い世代に与える影響が怖い。
私は見ていて悲しい気持ちになりました」と締めくくってあった。
・・・櫻井よしこ、百田直樹といった国粋思想家などが雑誌、マスメディアを通して若い世代に浸透している現状を思うと、私はリップシュタットさんの指摘に敬服する。
私も何年か前、靖国の遊就館を訪れた際、同じ悲しさを覚えている。また、それは九州・太刀洗/知覧の特攻基地記念施設でも感じた 悲しさ/民族的愚かさだ。