静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

マレー半島縦断の旅  ≪ 3 ≫

2015-07-31 11:59:11 | 旅行
【第4日】7月24日     ~承前~
 もう少しババ・ニョニャ・マンションについて。先に紹介した螺鈿細工に留まらず、中国人が大好きな金細工や象牙細工(写真左)の気が遠くなりそうに精巧な作品は、ヨーロッパの王侯貴族にも決して引けをとらないのでは?と自分は知らないながらも想像してみた。写真中央のS字型に造られた椅子は俗にいう<Lover's Chair>なのかしらん、と気を廻した次第。むくつけき野郎ふたりで台無しだが、ご容赦を。右は屋敷の台所用井戸の真上に施されているタイル貼りの絵柄であるが、眼を近づけてチェックするも、どんなに小さな構図も手を抜いていないのには感服した。

 さて、ニョニャ博物館を後に向かったのはババ・ニョニャ博物館と同じく世界歴史文化遺産の指定を受けている<周家水上集落>Chew Jetty だ。ここは華南から渡ってきた庶民が水上に家屋を建てて住み着いたもので現在も居住者が居る。水上家屋そのものはあちこちに在る。何が世界遺産指定に価するのか、正直いって滞在中は理解できていない。唯、海中に刺した柱の固定方法が(ガイド君に言わせれば)当時としては進んでいたようで、トタン板ようの筒を継ぎ足してセメントを流し込み続けたという。例えばヴェニスの場合、柱は全て樹木そのままである。地中海とは海底の土質も違うのだろうが・・・・。

 このあと、町の名前は忘れたが、Wall Art が人気になり観光客も増えたという街に行った。何てことは無い平凡な地方都市ながら、誰か知恵者がいたのだろう。写真左がシバシバ旅行番組でも取り上げられるアート。 それよりも私は、昼食で寄った店でお気に入りの<鳳爪=Chicken Feet>を堪能できたのと、初めて口にした<龍珠果=Dragon Ball Fruit>の味に見せられた。 ←(写真右奥列の濃い紫色)

 いよいよピナン島からマレー本土に戻り、ミニバンは一路南下してK.L.を目指す。この24日は実に盛りだくさんな1日だった。    ≪ つづく ≫
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マレー半島縦断の旅  ≪ 2 ≫

2015-07-30 09:57:08 | 旅行
【第4日】7月24日
ピナン(Penang)島の面積はシンガポール島のおよそ3分の1ほど。だが、北上の途中で通過したイポー(Ipoh)タイピン(Taiping)といった街とは違い、活気に溢れている。それは中国の援助で建設した第2渡海橋<全長26Km>付近からわかる。ピナン島の対岸はケダーという町で、そこは島から移転した多くの製造業の雇用像かで繁栄しているのだが、ピナン島は工場労働者の流出にも拘わらず、観光で人を呼べる強みを失うどころかホテル建設のラッシュだ。
 私とシンガポールそしてアメリカ駐在を共に過ごした旧友は「昔のシンガポールの町並みが残っている!」と目を輝かせ、英国植民地時代の面影が薄くなったシンガポールには無い建物や街路の佇まいを少年のように窓越に指さす。・・・・確かに。舗装が行き届かず、ゴミや野犬の行き交う路地。然し、うらぶれた感じはしない。  元部下ふたりは、嘗て自分たちも似たような街並みと暮らしだったことを恥じ入るのか、盛んに「マレーシアは資源がありながらレイジー(Lazy)だから・・・あの第2橋だって利用率の低いこと。無駄な投資ばかり・・・」などとクサす。

 観光ガイドはBaba Nyona Museum へ我々を案内した。15世紀、鄭和の大航海の余波もあり華南からマレー半島に渡ってきた中国人と現地マレー人女性の交婚が続いた。交易で成功し富豪になった男がBaba(ババ)女性がNyona(ニョナ)と呼ばれた。混血の第1世代である。Peranakan(プラナカン)というのは、これらの次世代以降を指すらしい。 右の写真に移っている女性は博物館になった邸宅の子孫で案内を務めてくれた。実に<可愛いばあちゃん>という表現がピッタリで、80歳は過ぎていると自ら言う。若い頃は女優だったとも。よく喋り、いい意味で愛想がよく人を飽きさせない。
 左の写真は邸宅一族の食堂。中央の写真はゲスト待合室にある長椅子で、こんなに豪華絢爛な螺鈿細工を私は初めてみた。実は、シンガポール駐在時代、私は小さな螺鈿細工を施した食器棚を購入、日本に持ち帰ったら見事に貝片が剥げ落ちてしまった。やはり気候の違いかと残念な想いをしたものだ。
その食器棚はアメリカでも使用したが、この邸宅で目の当たりにした螺鈿細工は無論この長椅子だけではない。廊下、階段の踊り場、ありとあらゆる場所に無造作に置かれていた。  いやはや、材料も工賃も安かったのだろうが、今となっては誰も作れまい。                 ≪ つづく ≫
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☆ 2015.07.30     ≪ 機雷掃海の要否は論理複雑か? ≫ ≪ 五輪への民間協力? ≫ 

2015-07-30 09:01:34 | つぶやき
 ☆ 防衛相、自衛隊員処罰規定「別途検討」 法案に不備と野党批判 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS29H3I_Z20C15A7PP8000/
・ 中谷元・防衛相は29日の参院平和安全法制特別委員会で、自衛隊員が海外派遣中に武器を不当に使った場合の処罰規定が安全保障関連法案にないと
  明らかにした。「自衛隊法の罰則のあり方は今回の法制とは別途、不断の検討を行う」と述べた。野党は法案に不備があるとして撤回を求めた。
・ 水野賢一氏(無所属クラブ)は、海外で不正に武器を使った自衛官への処罰規定が関連法案に盛り込まれていないことを指摘し「勝手に武器を使っても罪に
  問われなければ、満州事変のようなことが起きかねない」と追及した。
・ 日本を元気にする会の松田公太代表は、自衛隊法など10法の改正案を束ねた「平和安全法制整備法案」を分割して再提出するよう求めた。
  首相は「1本で一覧的に示し、改正の適否を総合的に判断してもらうのが適当だ」と述べた。
    ← 此のやりとりから明らかなように、10本の法案をまとめた方が理解しやすいとの強弁には整合性の破綻から無理がある。また<満州事変>を
  例にとった水野議員の投げかけにまたも正面から応えられないお粗末さ。  ここにも拙速な安倍政権の貧しさが垣間見え、情けない

 ☆ 首相:機雷掃海、浸透不足懸念「論理的に複雑」 http://mainichi.jp/select/news/20150730k0000m010140000c.html?fm=mnm
・ 首相は、中東・ホルムズ海峡が機雷で封鎖された場合の集団的自衛権行使について「国民は論理的な面で複雑だという印象を持つかもしれない」と述べ、
  行使できるという政府の説明に理解が広がっていないとの認識を示した。維新の党の片山虎之助氏が「ホルムズ海峡での機雷掃海があるから分かりにくい。
  (法案から)外せば国民は理解するのでは」と指摘したのに対して答えた。
* イランのナザルアハリ大使は23日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、「イランは有数の原油輸出国。(核開発疑惑を巡る)制裁で輸出額が半減し、これから輸出を増やそうとしているのに、なぜ海峡を封鎖する必要があるのか」と強調。2013年11月に岸田文雄外相とイランのザリフ外相が共同声明で確認したペルシャ湾での「航行の自由」に触れ、「日本との関係で航路の安全を確保することはイランの責務だ」と述べた。
       この記者会見を安倍首相は無視するだろう。 当のホルムズ海峡当事者が述べることも信用しない、ということである。

 ☆ 田中優子の江戸から見ると:企業の社会貢献 http://mainichi.jp/shimen/news/20150729dde012070011000c.html?fm=mnm
・ 五輪・パラリンピック担当相・遠藤利明氏の説明だった。維持費がかかり負の遺産になるのでは?という質問に対し、「新国立は世界最高水準の施設として、日本の先端技術のショーケースとして発信したい。難しい建設を可能とする建築技術もそうだが、水素社会の実現のモデルにしたり、大画面、生体認証、通信設備などの技術を集めたり、成長する日本の象徴として世界に誇る施設とすることは財界を含めて多くの合意があった」と説明なさった。つまり、スポーツの素晴らしさばかりではなく、技術の素晴らしさも見せる博覧会の意味を持っていたようなのだ。

   ← こんな合意が本当にあったのか? 私は知らなかった。事実ならその後、どうなったのか? マスメディア報道で見かけた記憶はない。
 新国立競技場の跡地利用はスポー地競技やエンターテイメントにばかり焦点が当たる。だが、上記の如き幅広い活用が採算性を伴ない、且つ、算盤勘定だけでない長期的キュレイターになり得るなら結構な発想だ。  単なるアドヴァルーンだったのか? これを誰がフォローしているのだろう?
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  ≪ 小噺: 夫婦の人称変化 ≫  綾小路きみまろ君 パクルなよ!

2015-07-29 20:18:32 | 演芸批評
*  マレー半島縦断旅の車中で。いつとはなく恐妻家は誰か、という話の流れに。  そこで腹を抱えて笑うフレーズに出会った。
 李君「我々には こんなジョークがあります」
 小生「ほう、どんなジョークだい?」
 李君「夫婦の最初は、Lover 恋人」
 小生「ふむ、うん、それで?」 
 錫君「その次は何だと思います?」
 小生「Friend 友達かい?」
 李君「いえ、Brother and Sister 兄妹です」
 小生「ほう、なるほどね、そりゃいい」
 錫君「その先は、Relative 親戚ですな」
 小生「ううん、そこまでは日本でも聞いたことがあるよ」
 李君「さて、その先は何でしょう?」
 小生「・・・うん、Acquaintance 知り合い、てのはどうだい?」
   **  一同、ここで爆笑しきり・・・。 受けたのは好いが、暫し、冷たい笑いの風が垂れ込める。

 錫君「ところで、其の先は何て呼ぶことになるんでしょうな?」
   **  再び、暗い沈黙。 互いに顔を見合わせ、半分真剣な自分に気づき、ぞっとしている。

 李君「あれですかね、Enemy 敵、かな・・・?」

   ちょうど、車が大きなバンプで跳ね上がり、シニカルな小噺は 幸い途切れた・・・。                     ≪ おしまい ≫
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マレー半島縦断の旅  ≪1≫

2015-07-29 15:36:31 | 旅行
【第1日】7月21日
旧友と羽田からチャンギに着いたのは現地時刻で7時過ぎ。日は落ちていたが湿気は高く、気温の割に不快感が強い。駐在時代の元部下夫婦2組とJumbo Sea Food Restaurantにて久方振りの海鮮料理が舌を喜ばせた。嘗ては東海岸沿いにギッシリ並んだ海鮮料理屋だが、今は此の店とLong Beach の2軒だけになったという。勘定は400S$余り。¥36,000/6人。一人6千円とは!  もちろん日本との比較ではなく、30年昔を知る者として、隔日の感に暫し打たれた。
【第2日】7月22日
朝8時出発のトヨタ製小型バンでジョホールへ。マレーシアに入ると高速道路が完備。路面舗装は凸凹ないようなのに後輪のサスペンションが好くないのか、振動がひどい。運ちゃんに聞くと車は7年目だというが、使用距離が多いための傷みだろう。 ヤンペンで軽食、セレンバンでランチ。
 宿泊地のジェンティン・ハイランズへ。日本人は”ゲンティン”と発音するのでどちらが正確かと元部下に尋ねたところ<ジェンティン>だという。
漢字で(雲頂)と書くが福建発音では<ジェン>なのだそうだ。 ふむ、了解! ここは標高2000m近いので夜は冷えた。写真右は、雪ではなく霧が突風で舞う瞬間を撮ったものである。 
 ホテル群が構成するショッピングモール内で「亀甲茶」なる珍しい名に魅かれ飲んでみた。甲羅周りのジェラチン質を薬草茶と共に煮出したのが起源というが、元部下によれば近年は”Fake= まがいモノ”です、とのこと。 さもありなむ。

【第3日】7月23日
山を下りてTempurunng Caveという巨大な洞窟へ。秋吉台など比較を絶する深さ・長さ・高さ。岩肌を仔細に観ると石灰岩質ではなさそう。鍾乳洞ではない。深さの割に内部の気温が低くないのは不思議極まりない。そこで諸説が飛び交った「日本などと違い、地表の冷える季節が無いため地盤全体が温まり、冷えないのでは?」などなど・・。1,200段余りの階段に疲れ果て、イポー(Ipoh)付近の道端露店に車を停めデュリアン(榴蓮)を楽しむ。

 駐在時代に食べた記憶が無いので恐る恐るだったが、実にうまいものであると感じた。胃に入るとズッシリ重い。濃厚なチーズを一度にどっさり放り込んだ感覚といえば想像していただけるだろうか?  さて、ペナン(Penang)島へ一路。                      ≪ つづく ≫
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