静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

≪ ゴーン前会長の逮捕の背景にある 日仏論理性の違い ≫  2/2 〆  対価の定義をどこまで言葉で詰めるか?  詰めないと許さない欧米社会 vs  日本

2018-12-12 11:53:42 | 時評
 昨日は、役員報酬であれ一般従業員であれ、労働の対価報酬の決め方において、文字通り曖昧な事は何一つ許さない論理性の追求について、フランス・ルノー社の役員報酬基準を
例にとり具体的に観た。 あそこまで具体的に基準を開示せねば株主が、組合が、政府が事業を許さないのである。 翻って、日本はどうか?

 論理と言葉をないがしろにしない事は欧州/米国に顕著な文化基盤であり、それはビジネス慣行においても同じ。数字で生きる筈のビジネスにおいてさえ、いい加減で論理をぼやかすことを許し、ましてや『曖昧模糊』であることを<文藝の世界なら解るが・・>社会ルールにおいても美化する日本のようなクニは、西洋世界には勝てない。 これは政治も同じ。

★ 「いいじゃないか。曖昧/幽玄であることを麗しいとする文化、ビジネスでもそれを大事にすることの何処がいけないんだ?」とつっかかる御仁も未だおられよう。
 文芸の世界では美学が全ての基本だ。そして仮に日本が江戸時代までの如く鎖国で今も自立できるなら、ビジネスも<曖昧の美学>で大いに結構だ。止めはしない。
 
明治に変わった150年前、日本社会は外国と付き合わねば生きられない集団になり、現在に至る。   あれ以来、ビジネス世界の行動原理は「美しいか否か」ではなく
他国が用いてきた「論理的に勝っているか否か」の物差しだけに替わったのだ。 今はやりの『グローバル化』の遥か前からそうなのに、ここを未だに承服・受容できず、伝統美学で外国人に立ち向かう人々が絶えない。 日本人は、まるで≪ ドン・キホーテ ≫を地で行つているとしか私には映らない。 日本の企業はもう世界で負けているのに、滑稽であり、哀しすぎる。

 最後に本記事を書いた藤村広平氏の結びに耳を傾けよう・・・・。
<記者は個人的に、正しい経営戦略を打ち立て、従業員を導き、会社を成長させてくれる経営者は、10億円でも50億円でも100億円でも報酬を受け取る権利があると考えている。
だが、それは役職に就いていることに対する報酬ではなく、業績を出して従業員や株主に報い、社会に貢献したという結果に対する報酬であるべきだろう。
 そのためにも、その報酬が本当に経営トップの働きの結果を反映したものなのか、外部から検証できる仕組みが必要になる。日産の虚偽記載問題を、他人事と思えない日本企業は
他にも多数あるはずだ。>   さあ、貴方の、貴方の子女が働く企業はどうだ?                            < 了 >
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≪ ゴーン前日産会長逮捕の背景にある 日仏論理性の違い ≫ 1/2   対価の定義をどこまで言葉で詰めるか?  詰めないと許さない欧米社会 vs  日本

2018-12-11 08:47:13 | 時評
 【日経ビジネス】ルノー有報、「報酬の決め方」だけで28ページ;ちなみに日産は1ページ未満 https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/120700631/?P=1
・ 深く興味をもたれる方は内容を読まれたいが、ざっと要点を集約するなら以下のようになる。  ページ数の比較は当然ながら中身の詳細さ/具体性の差に他ならない。

 (1)役員報酬委員会が有価証券報告書の中で株主へ宛てた説明文から、一例を引用してみると、たとえば固定報酬と年間変動報酬、長期報酬について、それぞれどのような形で
    支払われるのか(現金なのか株式なのか)、金額はいくらなのか。そして変動部分はどうやって決めるのか(株主資本利益率、営業利益、フリー・キャッシュ・フローの実績が
    どう反映されるのか)といったことが延々と説明されていく。  株主はこの基準に照らし、役員報酬の妥当性を自分で考え、総会に臨むわけで”シャンシャン総会”は無い。 
  ※ 例:<年間変動報酬> 支払い方法
              * 25%は、取締役会による金額の決定に従い、現金で支払われる。75%は、繰延ベースの株式により支払われ、3年間の在籍条件に従う。
               金額
              * 定量化可能な(財務上の)及び質的(経営上の)基準の達成を条件とし、固定報酬の120%を目標とする変動部分
                以下を条件とする追加の例外的な変動部分(=固定報酬の60%)
              * すべての定量化可能な(財務上の)及び質的(経営上の)基準の達成
              * 追加の業績基準の達成
               業績基準及び加重基準
              * 定量化可能な(財務上の)基準→最大で固定報酬の85%
               ・ 株主資本利益率(ROE):最大で15%  ・ ルノー・グループ営業総利益(グループOM):最大で35% 
               ・ フリー・キャッシュ・フロー(FCF):最大で35%
              * 質的(経営上の)基準:最大で固定報酬の35%
               ・ フランスの複数年契約の監視:最大で7% ・ 企業の社会的責任及び環境へのコミットメントの質:最大で8% 
               ・ アライアンスのシナジー及びパートナーシップの構築:最大で10%
               ・ 複数年にわたる研究開発戦略の構築:最大で10%
              * 追加の例外的な変動部分‐追加基準:固定報酬の 60%
               ・ ルノー・グループ営業総利益(グループOM)が予算と同等又は予算+0.5ポイントを上回る。
               ・ 営業フリー・キャッシュ・フロー(FCF)が年間予算の100%と同等以上


 ⇒ 報酬金額が高いから特に詳細さを求められている、と誤解してはならない。欧米の企業で働いた経験がおありの方なら肯かれるだろうが、個人商店はいざしらず、製造会社の
   現業職でさえ「仕事の具体的な役割と責任の定義」が書面で採用時に渡され、且つその内容が労働の対価報酬を決める時の基準に使われる。従い、地位/責任の大きさに関係なく、
   雇用する側/される側の双方がこの決まり事で拘束される社会ルールが厳然と在るのだ。   果たして、日本の企業・・いや官民問わず、社会全体はどうか?
  < つづく >
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≪ 採算性・成長性優先 vs 守るべき価値:人権と民主 ≫   漁業法改正にみる『ソロバン・前垂れ』ゼニゲバ政治

2018-12-05 08:48:01 | 時評
◇◆ 【毎日】(ニュースQ3)「漁業の民主化」必要ないの? https://digital.asahi.com/articles/DA3S13798222.html?rm=150
・ <約70年ぶりとなる漁業法の大改正が参議院で審議されている。改正案では、法律の目的を記す第1条から「漁業の民主化を図る」という文言を削除。漁業権を与えるかの判断に
   関わる委員会の委員を選挙で選ぶ制度も廃止し、全委員を知事が任命する形に。改正案はすでに衆議院を通過し、政府は今国会での成立を目指すが、「漁業の民主化」はもう必要ない
   のか。>

・ <漁業の民主化をうたった現在の漁業法は49年にできた。民主化の具体策が、全国64の海区ごとにある漁業調整委員会だ。選挙で選ぶ9人の委員と知事が選ぶ6人からなり、
   漁業権や漁場計画について都道府県知事の諮問に答申する。4年ごとに改選され、漁業者同士による利害調整を担ってきた。>
・ < 水産庁は、戦後期の有力者による零細漁民の支配はなくなり、「民主化の目的は役割を終えた」と説明。委員の選挙廃止も「多くの海区では関係者が候補を調整しており、
   無投票が多い。その実態を反映した」。50年には全国の8割超の海区で選挙があったが16年に投票があったのは8海区だけ。近年は8割が無投票だ。50年代に約80万人だった
   漁業人口は昨年には15万人にまで減少。高齢化も進む。法改正の狙いは、養殖を中心に企業参入を拡大し、漁業を「成長産業」として再活性化することにある。>

* 全国の海区漁業調整委員会でつくる連合会副会長、濱本俊策さん(68)は
  「選挙が前提だからこそ、無投票でも委員は各ハマの代表として利害調整ができてきた。官選委員だけで公平性が保てるのか」。
* 田口さつき・農林中金総合研究所主任研究員(漁業史)は投げかける。漁業法の特徴は、戦後日本の民主化の機運が率直に盛られ、その手段として選挙制度が設けられたことだという。
  「選挙の重要性が、うまく引き継がれてこなかった可能性はある。だが、必要性を訴える漁業者もいる中での廃止は民主的だろうか。漁政だけでなく、民主主義の歴史の中で考えるべき
  課題ではないか」


 ⇒ 政府/経済団体に共通するキーワードは「効率」「経済成長」だ。ソロバンの前に<常に守るべき上位の価値>を優先させる信念は毛頭ない。  此の姿勢は安倍内閣がゴリ押しに
  徹する諸法案を見事に貫いている。例えば『入管法改正案』『水道事業民営化法案』であり、此の『漁業法改正』と全く軌をいつにしていることにお気づきだろう。
  そして、これらの採算優先の口実に【人口減少】が便利よく活用されていることにも注意しなくてはならない。

 嘗て池田首相は《トランジスター・セールスマン》とドゴール大統領(だったか)に揶揄された。  あれから50年・・・ 此の国の政治家と国民はひとつも進歩していない!
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≪ 「分をわきまえろ」論が招く国家第一主義の危険 ≫  ”組織あっての個人”と思う瞬間から 国民は『国家』の言いなりに 自由と自立を失う!

2018-12-02 11:18:18 | 時評
★◇★ (考論 長谷部×杉田)「分をわきまえろ」という論理 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13794407.html?rm=150
1) 沖縄だけは選挙結果の示す「民意」を民意と認めない政府。安全保障は地方自治体が口を出す事案でなはい、との理屈で。 そこにデモクラシーは存在しない。
2) 戦地で拘束されたカメラマンに迫る「自己責任論」の攻撃。それはジャーナリズムの存在意義論を無視し<個人の覚悟・意思と責任>を認めようとしない、国家の庇護優先がある。
3) 子供をつくらない「LGBT」同性愛者へ向けられた<生産性がない>という暴論。これは個人の自由侵害と同時に、同性愛者の基本的人権をも否定する『男女の役割論』だ。

  ⇒ 此の対談で両氏が事例として挙げた3つの事例、ここに共通するのが日本社会に続く『分をわきまえろ』意識だと指摘。この『分をわきまえる』というのは組織体の中での
   役割認識であり、小学校以来教え込まれる『協調心』そのものである。いや幼稚園に行く前から家庭で両親が刷り込んでいるだろう。この大きな延長線上に「日本国」という
   ”国家意識”が醸成されてゆく。これぞ我れらが社会のまごうことなき現実である。


 若い世代、その親の世代が戦前の軍国日本を体験・記憶していない場合、国家が個人よりも上に立ち命令する国家第一主義の恐ろしさ・愚かさについて想像するのは容易であるまい。 
国家の命令で外自国の防衛ではない国外の戦地へ行かされ、悲惨な経験をくぐる、或は外地でなくても内地で様々な苦労をさせられた、それを天皇や軍人・政治家の所為にするのではなく、
国家に支配されるのを止められなかった悔いの念、これが新しい憲法を作り、戦後の教育が始まった(筈だ)。


 私の親は幸い生きて帰った戦後の日本で、新しい国の在り方を同時進行で歩んだ。そういう両親に育てられた私は直接軍国主義生活を経験していないが、親の生きた記憶として語られた幾つもの辛く哀しいエピソードで国家主義の愚かさ/過ちを体得した、と信じる。中には同世代でも国家第一主義に染まる人は居たが、現在に比べると極めて僅かで、大方の場合、其の親たちは戦前を唾棄すべき想い出では過ごさなかった幸運な?ヒトが殆んどである。

 私よりも若いといっても10年以上離れた戦前教育世代ではない安倍晋三、そして更に若い人々が何故、いま国家主義に傾くのか?を私はいつも不思議に思う。 
 戦後教育は結局デモクラシーを国民に根付かせることが出来なかったのか? 
   平和教育は或る程度根付いたかもしれないが、民主教育の方が圧倒的に弱い。個人の自立を大事だと教えず『組織には従え』『分をわきまえろ』と家庭でさえ教える道徳伝統が
 学校教育においても続く、この流れが日本に民主主義が定着するのを邪魔している、と私は固く思う。


『分をわきまえる』とは、<実力不相応な自分を自覚せず、他人に無礼な振る舞い/言動をせぬよう慎む>ことであり、<組織の空気を読んで自分の意見は封印し、姑息に立ち振る舞う>
世間知を指すのではない。 ”自分を組織の為に殺す”を誉めそやす道徳が教えられている。 だが、それは本当の道徳ではない。
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≪ 秋篠宮による”政教分離原則”の順守よびかけ ≫  保守政治家は順守せぬまま呼びかけを黙殺  これを許すのか? 有権者は考えよう

2018-11-30 08:58:31 | 時評
<1> 秋篠宮さま 大嘗祭「宗教色強い」公費に否定的見解 https://mainichi.jp/articles/20181130/k00/00m/040/144000c?fm=mnm
<2> 秋篠宮さま53歳に ご夫妻の記者会見全文 https://mainichi.jp/articles/20181129/mog/00m/010/011000c?fm=mnm
・ 引用は二つとも毎日だが、保守系の読売や産経新聞が果たしてどのような見出しを付けて、秋篠宮の言葉を報道したのか? 
  それはさておき、発言の根幹は「皇室行事が神道の儀式であるので、宗教儀礼に国税を使うのは憲法が定めた”政教分離の原則”に照らすと疑義がある」との指摘だ。 
・ <秋篠宮さまは宮内庁の山本信一郎長官に見解を伝えたことも明らかにし、「話を聞く耳を持たなかったのは非常に残念だった」と批判した。山本長官は「持論は承知しているが、
  宮内庁の立場を説明してきた。決定事項への考えを述べられたのだろう」としている。>
 ⇒ 宮内庁長官の言葉で我々有権者が考えるべきポイントは「決定事項への考えを述べられたのだろう」である。即ち、『国民が選んだ多数派政党の国会議員が構成する政府/内閣が
  決めた事だから、秋篠宮の意見は聴き置くけれども、政府が決定を変える必要はない』といっているのだ。 これぞ代議制民主政治の理論通りだから宮内庁長官は全然誤ってはいない。
  ここで問われるのは、”政教分離原則の順守”を、今の政府、及び政府を構成する議員たちを支える勢力が無視または黙殺している現実を有権者である我々が受容するか、である

★ 引用した電子版には無いが本誌紙面【30面】には<秋篠宮さま問題提起>と題した別の記事があり、皇族が過去に政治がらみの発言をした事例が記載されている。古い順に;
 《1》(故)三笠宮・・戦前の「紀元節」と同じ2月11日を『建国記念の日』法制化の動きを批判。神武天皇自体を歴史的根拠なしとして反対の意思表示へ。(1966年)
 《2》(故)三笠宮長男/寛仁・・皇室典範改正論議の中で、男系皇位継承を伝統とふまえ、女性/女系天皇容認に異を唱えた。(2006年頃)
 《3》 秋篠宮・・「天皇の定年制はやはり必要になってくると思う」(2011年)

* 昨日の秋篠宮発言を含め、どの発言も〔天皇制それ自体〕〔天皇制と政治の在り方〕に関するものであり、現在の我々国民に無縁ではない。無縁でないどころか、活きている論点だ。
     いくら自民党や公明党が選挙で多数派を得ていると言っても、憲法違反の疑義が強い”政教分離原則の無視”まで 私も貴方も白紙委任したのではない。


今の憲法のもとの内閣制度では、英国と違い、首相に衆議院の解散/選挙を選ぶ権限が与えられており、一旦選挙に勝てば与党の都合の良いように選挙時期を操ることが許されている。
 従い、定期的な改選を求められる参議院選挙の機会しか、今は有権者が衆議院での暴走を牽制する手段はない。 参議院でネジレ状態を再現させるか、衆議院の勢力分布を変えない限り、此の天皇制/皇室に関わる憲法原則を与党に順守させられないのである。    来年は参議院改選の年だ。 白紙委任ではない、との気概を見せようではないか!
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