静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

 『対米自立』を問う議論に進もう!   <非戦><海外派兵協力>では何も変えられない

2015-11-30 09:08:08 | 時評
* 風知草:「対米従属」について=山田孝男 http://mainichi.jp/shimen/news/20151130ddm002070122000c.html?fm=mnm
・ 先週24日、日本記者クラブで記者会見した不破哲三・前共産党議長(85)が、1969年の毎日新聞の連載記事「紙上国会/安保政策の総討論」を引き、
  今昔の違いを振り返った。
・ 不破がこの逸話を持ち出したのは、政党助成金の奪い合いで離合集散を繰り返し、政策形成能力のない政党が増えている--と言いたいからだった。
  小選挙区制が悪いという不破の指摘には議論の余地がある。が、テレビを舞台にした最近の政策論戦は見栄え優先になり、不徹底極まる--と感じている
  視聴者は多いだろう。   視聴率、支持率という、じつは意味不明の数字が政治をむしばみ、必要な討論が失われている。
⇒ 今月、結党60年を迎えた自民党は「対米従属」政党だと不破は言う。 「従属」と見えて「戦略的協調」だと自民党は反論するに違いない。
 が、不破が批判する対米従属の中身は具体的だ。ホスト国の主権が、国際的に見ても著しく制限された在日米軍基地の治外法権、日米防衛協力の一本調子の
  緊密化などである。これらは、保守与党が軽視すべき課題ではない。ましてや、国家主権の確立へ憲法改正をうかがう政権党が問答無用と切り捨てるべき
  対象ではない。・・・・全く我が意を得たりの心地である。 ああ、小泉型劇場政治の罪は限りなく重い。

冷戦消滅以降の情勢変化へ主体的に対応する気概を持たぬまま、経済停滞にばかり気を取られたのが「失われた20年」。 だが実は”失った”のは経済成長だけではなく、国家としての主体性/自立である。<なに、戦後の米国依存そのものが自立など元々ないじゃないか>と揶揄するのは自ら主体性を論じる姿勢と真面目さの放棄に他ならない。
 同盟イコール依存であってはいけない、と考えない人に『主体性』や『自立』などお呼びじゃないだろう。だが、日本人特有の<お人好し>から、日本は大事な国の筈だからアメリカは未来永劫に日本を守ってくれる、などと甘い片想いが如何に危険か、少し考えたら誰にでも気づくことだ。
 実のところ、アメリカからみて日本は「何をするか判らない国」のイメージが未だ消えていない、というのが私見。いや、アメリカだけではないだろう。だから、アメリカは今後も日本の自立を望んではいない。
 だが、不破氏の云う<対米従属>の続行こそが国家主義気運を醸し出している真因であり、逆にいえば、同盟関係の中での対米自立こそが日本を危険なナショナリズムと全足主義化から防ぐ道ではなかろうか??  この視点からすると、<非戦>の御念仏に負けず劣らず、海外派兵による「普通の国」化も<対米自立>の担保にもならないことを主張したい。
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☆ 2015.11.30. ≪ 陸自の教育訓練資料 ロシアへ ≫ 相手には企業秘密並の重要度が高いから?

2015-11-30 07:17:13 | つぶやき
☆ 陸自情報漏えい:元陸将とロシア人元武官ら書類送検へ http://mainichi.jp/select/news/20151121k0000m040179000c.html
・ 警視庁公安部は近く、自衛隊法(守秘義務)違反の教唆容疑で元陸将とロシア人元武官の2人を書類送検する方針を固めた。元陸将は、外部への持ち出しが
  禁じられた教範を複数の自衛隊員らから入手したとされ、元陸将に教範を提供した現役とOBの陸自隊員計5人も同法違反やその教唆の容疑で書類送検する。
・ 関係者によると、教範は任務を遂行するときの行動基準や実施方法が記されたもので、数百種類あるとされ、教育訓練などで利用されている。
  特に秘匿性が高い教範は秘密指定された上、金庫で厳重に保管されている。元武官に提供された教範は「普通科」と呼ばれる部隊の運用方法について記載
  されたもので、秘密指定はされていない。
* 私が気になったのは、漏洩された<教範は任務を遂行するときの行動基準や実施方法が記されたもので、数百種類あるとされ、教育訓練などで利用されている>の部分だ。 これは、実務企業でいえば、謂わば『業務手順/作業標準』に相当するものであろう。それは単に作業の流れを解説するだけでなく、業務を遂行する上での留意点も含むだろう。留意点にはノウハウと呼ばれる重要な記述も有るであろう。その重要度と<秘密指定>が対応する、と企業人の常識では解釈される。

 さて、ロシアの元武官が「教範」を欲しがったということをどう解釈するか? 
ソ連崩壊時、軍内部の規律が乱れたことが多々報道された。あれからおよそ20年。とりわけ、天然資源輸出で経済回復を果たしたプーチン政権が軍事力整備に努めていることを考える時、いわゆる「量」から「質」への転換を目指していると推量して好いだろう。 そうならば、この漏洩は企業秘密を盗まれたに等しいかもしれない。日本の製造企業の命が緻密な品質管理マインドである如く、恐らく、自衛隊の練度が相対的に高いとするならば、他国の軍隊が見倣いたいと虎視眈々に狙うのは頷ける。 ならば中国だって・・。
  それにしても、元陸将などが逮捕ではなく「書類送検」というのはどういうことなのか? 秘密指定の対象でなかったから、との理由づけで裁判としての立件がなされない場合、此の事件は不問に付され闇に忘れ去られてしまうのだろうか?    それで良い筈がない。
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  西国の秋 ≪ 1 ≫ 

2015-11-29 16:54:46 | 旅行
 秋の深まりを求め、いつもながらの一人旅に出た。初日は兵庫県のほぼ真ん中、と云っても南半分の中央部というべきか、中国自動車道でいえば「滝野社」の傍に住む旧知の友に会うため、新大阪からバスで一路西へ向かった。 前に会ってから10年は経つ。
 夕陽に輝く霜をこうべに頂き、深く刻まれた皺”しわ”を(それとなく)互いに見つめ合う。高校卒業後、流れた時間は50年近い。だが間違いなく、少年の顔が二つ、そこに在った。 語るにつれ、温泉の泥泡がボコボコ沸くように、過ぎ去った日々の残像が浮かんでは消える・・・。甘くも哀しい、ひと時。
 歌が好きだったのを思い出し、スナックへ<人口が少なく、カラオケ専業店は無い>。多少は低くなっているが、年齢の割には高い音域を出せる友に感心した。

 翌日は米子まで行くというと、鳥取まで車で送ろうと云ってくれた。シシ鍋で有名な丹波篠山で休憩。篠山城というのがあるからと城跡へ。明治維新後、他の多くの城と同じく廃棄され、天守閣跡が淋しく遺る。だが、石垣だけは綺麗に残っていた。【写真:上左】これまた全国あちらこちらで見かける光景だが、如何にも荒城の月を口ずさみたくなった。
 篠山から浜坂に向かう途中で友が「もうすぐ俺が好きな名前の峠があるんだ」という。「峠で好きな名前というなら、美しい響きの名前ということかい?」「イエス」・・。 その名は<春来峠>。【写真:上中】”ハルキ”・・春がやって来る峠・・ふむ、確かに楽しくなる響きだ。内陸で雪深い山村の部落に住む人々が春を待ち望む気持ち、と想像力をたくましくさせてくれる。「峠だけじゃなく、地名にも春来がついているんだ」と友が教えてくれるので、窓外を眺めると言葉どおり。 

其の春来峠から更に登ったところに評判の十割蕎麦を食べさせる店がある、というので入った【写真:上右】。然も晩秋は[新そば]入荷とあり、早速戴く。蕎麦にクレイジーではない私にも、香りが立つのはよ~く分かった。十割とはいっても何かでつないでいる筈だが、繋ぎを感じさせないくらい柔らかい。
 献立に「そばがき」とある。さぞかし旨かろうと注文【写真:下左】。東京で出してくるのは魚の形に整えたりするが、こちらは田舎風そのもの。粉を湯で練り上げただけで味付け無し。然も、液体に浸かっていない。さりながら、歯触りと香りは期待を裏切らなかった! 嗚呼、口福の時ぞ・・・。

 別れる前、鳥取砂丘へ。幸い強風ではなかったので、砂嵐に見舞われず。浜沿いには色とりどりのパラセイラ―が3~4つ見え隠れ。然るに、これが全く飛び立てずにウロウロするばかり。友と苦笑しつつ、砂紋を同時に撮ろうとカメラを向けたら、偶然にも二人のシルエットが重なるので「こりゃ面白そう」とシャッターを切った。【写真:下右】砂に描かれたシルエットが仲良き少年ふたりを暗喩するかのようで、甘酸っぱい1枚になった。         ≪ つづく ≫
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☆ 2015.11.20. 首を捻りたくなる記事2題  ≪ 障害児出産 ≫ ≪ 南沙人工島 ≫

2015-11-20 09:07:15 | つぶやき
 ☆ 障害児の出産:「減らせるように」茨城教育委員が発言撤回 http://mainichi.jp/select/news/20151120k0000m040104000c.html?fm=mnm
・ 「障害者や家族を含め、多大な苦痛を与えたことに心からおわび申し上げる。発言を撤回する」とのコメントを発表した。
 ⇒ そう、現に生まれてしまった障害者と家族を傷つける発言に違いない。 

   一方、妊娠初期で血液検査から高い確率の判定が可能な<特定疾病発症遺伝子>などの技術進歩放置はどうなのか? これも利用方法次第では、
   予見される障害児出産回避に使われ得る。事実、そういう意図で利用する夫婦も出現している。 こちらとの整合性は?
   「これは飽くまで事実報道記事なので、それは別特集ででも触れる」ということだろうが、謝罪事実報道だけならTV/ネットと重複するだけ。
   新聞なんて読まなくてもいい、という若者が増える背景がこれではないか?
   新聞として価値を出すには、派生する論点を同時に喚起することが重要なのではないか、と私は思う。閑な人しか別頁では読むまい。

 ☆ 社説:南シナ海 中国は議論を避けるな http://mainichi.jp/shimen/news/20151120ddm005070054000c.html?fm=mnm
・ 習近平国家主席はベトナムとシンガポール、王毅(おうき)外相はフィリピンを訪問し、中国・雲南省ではタイやベトナムなどメコン川流域の5カ国を招き、
  初の外相協力会議を開いた。王外相はフィリピンから南シナ海問題をAPEC首脳会議での正式議題にしないとの約束を取り付けた。
  習主席はベトナムと紛争解決のルールとなる「南シナ海行動規範」の早期策定や、問題を複雑化させる行動を取らないことなどを盛り込んだ共同声明を
  発表した。  関係国を引き寄せようとする思惑がうかがえた。
・ 「航行の自由」作戦後も米中両軍が交流を続けていることは望ましいことだ。中国自身も対話による解決を主張している。ならば、一連の会議を各国の主張を
  率直に聞き取る機会にしてほしい。
 ⇒ これまた日本メディア独特の御人好し/性善説である。中国は政策として人口島造成を長期計画のもと行ってきた。それは増大一途のエネルギー需要確保のため、中東産原油輸送航路上とても重要な南シナ海確保戦略である。単なる領土主権争いではない。併せてパキスタンと誼を通じ、南シナ海を通らず陸上輸送で新疆方面から運び込む準備も行っているのだ。その入念な戦略性を視よ。

一戦も交えず中国がその戦略の修正に繋がるテーブルに就くか? 私には考えられない。力の信奉者である点で中国は米露と何ら変わりはない。「お互いさまではないか」と腹の底で思っているだろう。
 あたかも、荒くれ男たちが棍棒を握りしめ睨み合う中、若い娘が「ねえ、力づくは止めて!」と黄色い声で叫ぶような図ではないか。
 日本政府までが「若い娘」なのかどうか即断できないが、兄貴アメリカの腰巾着のままで今後も大丈夫か?との不安は消えない・・・。
                                                     『明日から28日まで旅にでます』
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 ≪ ショスタコ-ヴィチ: ピアノ 24のプレリュードとフーガ  作品 87 ≫

2015-11-18 22:49:32 | 演芸批評
 この曲を知ったきっかけは、NHK-FM「きらくら」11/15放送で紹介されていたことによる。番組では全24曲のうちの第8曲目(F#Minor)を流した。 
ハチャトリアンまでは何とか旋律も曲想もついてゆけるのだが、此の二人は昔からドロップしてきた。 だが、この日流れた曲はそれまでの拒否反応を嘘のように消した。実に我ながら不可思議であり、俄かに他の曲も聴いてみたくなり取り寄せた。
  私にとりショスタコーヴィチはプロコフィエフと並び、ロシアがソ連に変わって以降、わかりにくい/美しいと思わない作曲家であったが、この24曲は耳を傾けると不思議な想いに包まれる。「きらくら」に出演のピアニストが口にした<独り言のような呟き>は当を得た表現だ。 その感性に脱帽!

19世紀までの作曲家が保ち続けた旋律の<順当で和やかな流れ>というには、ショスタコーヴィチもプロコフィエフも程遠い。例えば、私が親しむヴァイオリンでいえば、プロコフィエフのソナタ。これは不思議な曲想で惹きつけけられるが、ブラームスやドヴォルジャークまでの素直な旋律とは明らかに異なる。 チャイコフスキーと同じロシア民族なのに、どうしてここまで違うのだろう、と子供心に思って来た。生きた時代でいえば、チャイコフスキーと30年しか違わない。此の違いはソヴィエト革命がそうさせたのかなどと思うが、そういう単純なことにしては、余りにも感性/美意識の落差に説明がつかないのだ。 説明がつかないという想いは今も変わらない。一方、ここに”共産主義社会の陰鬱”だとか”芸術家の喘ぎ”を当て嵌めるのは簡単だが、それにしてはソ連時代の芸術は音楽に限らず決して不毛とは言えないのだ。

さて、この24曲が<独り言のように呟く感じ>を醸し出す理由をつけるなら、在来の和声展開を伴なう旋律主導が無いため、旋律自体のポロポロ気ままな展開あるいは螺旋状の流れに任せたことによる、と思う。 この<呟き>はサティの曲を聞く感じと微妙に違う。私はピアノの曲を多く知らないため、比較するのもおこがましいのだが、直感でいうと、サティには『空中への浮遊感』を感じるのに対し、ショスタコーヴィチの曲には『海中深く潜る感覚』だ。
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