静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

書評 089-2 「 音楽と病~偉大な作曲家たちの医学的プロファイル~ 」 < ジョン・オシェー著: 菅野 弘久(訳)>  法政大学出版局 1996年 11月 刊

2019-02-28 10:40:29 | 書評
 昨日の切り口を振り返っておくと、17人の生きた長さ及び体格についてであった。 
【1】 総じて作曲家は短命であった・・・<短命の要因> 家系遺伝、幼時からの既往症、演奏旅行等の負担・ストレス、過度の喫煙と飲酒、不衛生な感興と低い医療技術
【2】 総じて身長低く、肥満型または痩せ型のオタク的人物が多い・・・170cm以上は17人中で僅か5人・・<バッハ/ヘンデル/ショパン/リスト/ガーシュイン>

 今日はもう少し深く、違った角度から『17人の生き方と病いの原因パターン』を想像してみたい。もちろん、此の分類と作品の特徴を単純に結びつけるのは無理がある。
だが、生まれてから成人に至るまでの間、どういう家庭環境に育ち、どういう既往症をもち、成人後を含め、どのような性格が形成されたのかは本書、或はそれぞれの伝記などで追えるので、これら作曲家の一生がどんなものであったかを複合して想像すると、世に残した作品との結びつきを読者なりに思い浮かべるくらいはできる。

≪1≫  父が経済的に成功した裕福な家庭に生まれ、不自由なく育った・・・<シューベルト><メンデルスゾーン><グリーグ>
≪2≫  父が病死、または妻子を養うのに必ずしも余裕がなく、子供の音楽才能に依存した・・・<モーツァルト><ベートーヴェン><パガニーニ><ウエーバー><ロッシーニ>
                                             <シューマン><バルトーク>
      ⇒ この境遇が性格形成に影響しただけでなく、ストレス対処における不摂生や既往症病歴との関連をも疑わせる。
≪3≫  ストレス過多を紛らわすべく不摂生を重ね、命を縮めた
    ・・・<モーツァルト:コーヒー&ワイン><ベートーヴェン:難聴⇒喫煙/コーヒー/ワイン><シューベルト:喫煙/ワイン/美食><ロッシーニ:喫煙/美食><ショパン:偏食>
       <リスト:過密スケジュールのストレス⇒過度の喫煙>
≪4≫  遺伝性疾患をもち、幼時からの既往症とも相まって死期を早めた・・・<メンデルスゾーン:先天性脳動脈瘤><ショパン:気管支拡張⇒結核><マーラー:僧房弁膜症>
                                     <バルトーク:骨髄性白血病>
≪5≫  音楽の中心(パリ・ウイーン)から外れた出自や、東欧系/ユダヤ系家系に劣等感を抱き、強いストレス下に民族音楽の色濃い創作傾向を貫いた
   ・・・<ショパン:亡国ポーランドへの郷愁><リスト:オーストリーのハンガリー吸収で故郷喪失><グリーグ:遅れた北欧ノルウエー><マーラー:両親ユダヤ人で迫害さる>
      <バルトーク:第一次大戦後のハンガリー崩壊で故郷喪失、パリにもなじめず渡米>

 お気づきのように、パターン≪1~5≫の間で重複する作曲家が多い。同じ作曲家に重なるパターンの組み合わせから浮かぶ生きた姿を考えると、より視覚的になる。
では昨日挙げた長生き組の面々は死ぬ直前まで病気とは全く無縁だったのか? というと全員がそうではなさそうで”当時の平均的男性と比較すれば頑健だった”というべきか。
 ・・<ワーグナー:70/ヴェルディ:87/ブラームス:63/チャイコフスキー:53/フォーレ:79/プッチーニ:65/ドヴュッシー:55/R.シュトラウス:84>
また、これらの長生き組それぞれに上記のパターンを当てはめたなら、病の影響とは別の側面からあぶりだされる姿が浮かび、個別の伝記とは異なる映像が見えるかもしれない。

 長生き組の大先輩である<バッハ/ヘンデル>は、17世紀後半に生まれ18世紀半ば亡くなった人なので医療記録は乏しく、健康に関する伝説めいたものすら少ない。生涯独身を通したヘンデルは英国に渡ったこともあり、バッハよりわからない部分が多い。バッハは妻が遺したとされる「バッハの想い出」なる手記が幸いにもあるので、直筆か否かの論争はさておき、
バッハの姿を具体的に想像できる。 本書では、此の二人の大作曲家が晩年揃って「白内障」に悩み、手術を受けたが奏功せず失明してしまったことを紹介している。 
今なら日帰り手術で終わる「白内障」だが、約250年前に望むべくは無かった。                                  < つづく >
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書評 089-1 「音楽と病~偉大な作曲家たちの医学的プロファイル~」  < ジョン・オシェー著: 菅野 弘久(訳)>  法政大学出版局 1996年 11月 刊

2019-02-27 15:14:04 | 書評
 本書は、メルボルン大学で医学を修めた著者が1990年発表した論文をオックスフォード大学が出版した原書を編集したものからの翻訳である。
類似の研究論文や書物は戦後から90年代にかけ、幾つか世に出ている。本書の特色は、我々が優れた音楽に触れた際の感動から創作した人間に想いを馳せ、其の生き様を譜面に閉じ込められた音符の向こうに思い描く。そこに偉大な作曲家の「生と死」を見ようとする著者の真摯な態度だ、と翻訳した菅野氏は指摘している。私の読後感も異論はない。
 この書に私が惹かれたわけは、演奏するにあたり、『此の音・楽想・旋律は、いったいどういう生き方をした人間が紡ぎ出したのだろう?』との想いに耽ることが多いからである。

 訳注及び参考文献に割かれた部分を除く270頁の本文で取り上げられた作曲家は合計20人だが、調べられている項目と内容が多く、まず頭の整理が必要と直感し、私は次の8項目に
分けた整理表を作った。    尚、私が名を知らず、音楽上の興味がない3名を除く17人に関する整理であることを最初に断っておく。 
* 17人とは生年順に・・バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートヴェン、パガニーニ、ウエーバー、ロッシーニ、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リスト、
             グリーグ、マーラー、ラヴェル、ガーシュイン、バルトーク
・・まず気付くことは、リストからグリーグに飛ぶ30年余りの間に生まれた<ワーグナー/ヴェルディ/ブラームス/チャイコフスキー>は入っていない。病気とは無縁だったから?
  また、ラヴェルは取り上げているが同じフランス人の<フォーレ/ドヴュッシー>や同時代人のプッチーニ、R.シュトラウスも入っていない。 此の辺の背景は不明だ。

* 整理項目とは・・・・ <生年・生地と没年・没地><死亡時の満年齢><生育環境><性格/既往症><嗜好><最終死因><著者の見立て><創作との関連>
 此の整理を通して分かったこと、感じたことなどを以下に述べてゆきたい。

【1】 総じて作曲家は短命であった・・・家系遺伝、幼時からの既往症、演奏旅行等の負担・ストレス、過度の喫煙と飲酒、不衛生な感興と低い医療技術

 ・ 19世紀以前の欧州における平均寿命は50歳に届かず、45歳くらいかと現代では推定されている。 この17人のうち50歳以上長生きしたのは次の9名だ。
      <バッハ:65/ヘンデル:74/ベートヴェン:57/パガニーニ:58/ロッシーニ:76/リスト:75/グリーグ:64/マーラー:60/バルトーク:64>
   長生き組・・<ワーグナー:70/ヴェルディ:87/ブラームス:63/チャイコフスキー:53/フォーレ:79/プッチーニ:65/ドヴュッシー:55/R.シュトラウス:84>
      
 ・ 痛ましくも夭折した作曲家の名を若い順にあげると・・・<シューベルト:31/モーツァルト:35/メンデルスゾーン&ガーシュイン:38/ウエーバー&ショパン:39> 
                             <シューマン:46> ← 最後の2年間は精神病院の中

【2】 総じて身長低く、肥満型または痩せ型のオタク的人物が多い・・・170cm以上は17人中で僅か5人・・<バッハ/ヘンデル/ショパン/リスト/ガーシュイン>
 ・ 現在よりも欧州人の身長は低かった19世紀。それでも当時の平均より更に低い、風采の上がらぬ男たちが創作に燃えた。其のエネルギー源は強烈な自己表現欲か。 < つづく >
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≪ 桜田某のような人物が大臣になれる 恥ずかしい国 ≫  低劣議員を選ぶ選挙民の民度の低さ  当然の報い  GDP不振ではなく 政治の停滞で日本は滅ぶ

2019-02-27 08:36:51 | 時評
 【毎日】<水説>遅刻した大臣=福本容子 https://mainichi.jp/articles/20190227/ddm/003/070/134000c?fm=mnm
・ <「大臣の3分遅刻で怒りの渦」。先日、そんな見出しの記事をイギリスBBCのニュースサイトで見つけた。 桜田義孝五輪担当相のことだ。衆院予算委員会に3分遅れ、野党の
  猛非難に遭って審議が5時間中断した件である。これまでの問題発言なども淡々と紹介していた。>
・ <記事では触れていなかったけれど、実は1年前、イギリスでも大臣の遅刻がニュースになったことがある。上院(貴族院)議員で国際開発担当相(閣議には出ない閣外相)の
  マイケル・ベイツさん(57)だ。遅刻は1分。政府側の答弁者だったが、遅刻のため代理が急きょ答えた。すると到着したベイツさんは答弁席に立って謝罪するなり、辞意を表明し
  退場してしまった。驚きの議場は「辞めないで」の意味の「ノー!」に包まれた。質問者だった野党議員も「最も辞めてほしくない大臣こそベイツさん」と残留を求め、与野党関係なく
  再考を促した。結局、首相判断でベイツさんは留任となった。>

 これ以上の引用は止めるが、オリンピック担当大臣をめぐる彼我の決定的な違いは、次に引用する文脈にある。
<ベイツさんは担当大臣ではなく、「オリンピック停戦」を呼びかけた人だ。 オリンピック停戦は国連総会の決議によるもので、開会7日前から閉会7日後まで世界中で全ての戦争を止めることを目指している。
 あまり知られていない実情を嘆いたベイツさんは、啓発に立ち上がる。2012年のロンドン大会に向け、ギリシャのオリンピアからロンドンまで約4800キロを10カ月かけ1人で歩き停戦を訴えた。在外大使館も全面協力してくれて、各国の五輪委員会を訪ねたほか、大統領や首相、ローマ法王とも面会した。選挙がなく無報酬・終身職の上院議員ならではの面もあるだろう。でも、大臣を辞めると言えば、野党議員までこぞって慰留するような政治家はそういないはず。>


 ここまで読んだ読者の皆さんは、イギリス議会の健全な姿、選ばれる議員の振る舞いと我が日本の議員たち及び無力な国会とを比べ、暗澹たる気分に襲われるだろう。此の差はどこから?
言うまでもなく、それは選挙民自身の差に他ならない。これを恥ずかしいと感じる選挙民が増えない限り、此の日本の無様な政治が好い方向へ変わることは断じてあるまい。


 <桜田某が派閥均衡人事という党内事情ゆえに閣僚に任命されることで安倍内閣の安定性が得られる>此の構造に日本の議会政治の歪みが象徴的に顕われている。其の原因は得票と議席を一致させない選挙制度であり、二院制であり、学校での公民/政治教育の不足である。ここを変えようとしない政権与党。変えようと国民に訴えない野党。ともに保身の権化でしかない、と言われ反論できるのか???? 
 確かに旧民主党政権の体たらくと失敗が政権交代を国民にためらわせている。 だが、かといって現状のままでは国が亡びるだけだとは思わないか? だが、自民党が好き放題出来る環境だけでも次の参院選挙で変えようではないか。
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書評 088-2〆 「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか」    < 浦久 俊彦 著 >   新潮新書  2013年 12月 刊

2019-02-25 17:11:05 | 書評
 昨日はリストがピアニストとして空前絶後だったことを中核にしたが、そのリストが最高のピアニストだと畏敬の念を生涯抱き、互いに認め合い親しく交流したショパンについて、
著者はリストの側から描いている。ショパンがリストをどう見ていたのか、それをリストはどのように意識していたのか。
 世界の2大ピアニストが同時代を生き、生身で会話し、遊び、語り合ったのを想像するだけでも、芸術の華咲き誇る19世紀ヨーロッパのきらびやかな世界が感じられ、夢のようだ。

 昔からショパンがピアノ譜面に残した歌心、特に失われし祖国・ポーランドへの望郷の念溢れる旋律は紅涙を絞り、<美しくも消え入りそうな詩情に酔いつつ癒される安堵のひと時>が人々を魅了している。 私はピアノを演奏できないが、ショパンの曲は他の如何なる楽器でも代用は効かない不思議な音楽であることは、ヴァイオリンで同じ旋律や和音を弾いて
みると直ぐに解る。ショパンでなければピアノによる音楽の魅力を普遍的な高みまでもたらし得なかったのは間違いない。それは断言できる。

 リストも同じ言い方でピアノの地位を高めた功績において引けを取らないのだが、前章でも述べたように、リストの功績は自身の作曲よりは公衆の前で超絶技巧をこれでもかと駆使したダイナミックな演奏でピアノ産業、ピアノ人口の爆発的拡大をもたらした点だ。お嬢様の居る家には必ずピアノが売れる、半ば調度品的な効用も含めてだが、現代にまで通じる芸事文化を造り出した男でもあった。
 そのリストは作曲に専念したいと、現役ピアニストとして莫大な収入を得る生活を惜しげもなく止め、36歳でワイマールの宮廷楽長に転身したが、作品は「ラ・カンパネラ」など指で数えられる程度の名作しか残せなかった。 「リストにはショパンのような慕うべき故郷が無かったからだ」と評する批評家が絶えない。他の偉大な作曲家の例とは違い、慢性疾患にも無縁。5歳からの無茶な馬車旅で壊れたモーツァルトとは正反対に、不健康どころか人気絶頂の暮らしを続けたリストには「訴えずにはいられない何か」を心に持たなかったからだといわれる。 

 ショパンは、ピアノしかフィーチャーしないとはいえ、今日でも不滅の輝きを失わないピアノ曲の傑作を僅か39年の生涯で綺羅星の如く残した。片やリストは75歳まで生きており、
19世紀ヨーロッパの平均寿命が50歳にも満たなかった事に照らせば、二人の作曲家人生の違いは余りにも大きい。作曲家としては大成しなかったリストだが、若い絶頂期から既に儲けた金の殆んどは事前事業への募金や奨学金基金創設に回してしまい、手元には残さなかったというのもコレマタ事実らしい。故郷をもたぬボヘミアン人生が音楽界であてはまるのはリストだろう。 
 ともかく女性に持て続けたらしく、絶世の美女の誉れ高き既婚侯爵夫人との不倫2度。いずれも不幸な結末なのだが、2度目の逃避行で生まれた娘<コジマ>が夫を捨ててワーグナーとの不倫に走った。 カトリックの掟厳しい当時、妻からの離婚は絶望ゆえ、夫を捨てるしか惚れた男と添い遂げる道がなかったのだ。色男リストを責めて見ても始まるまい。 ショパンは幼い時分から病弱を極め、演奏が終わるごとに寝込んでしまったという。恋人ジョルジュ・サンドもショパンとの性生活は控えたと日記に残してるくらいだ。
 そんな対照的な二人はパリでおよそ3年間、親しい友として楽しい日々を送ったようだ。信じがたいエピソードだが、ある時、ショパンのアパートの部屋の鍵を預かったリストが女性と宜しくやったのがバレて大ゲンカしたのだが、二人はショパンの死まで互いを尊敬しあっていた。 

実際、ショパンが亡くなって2年後の1851年、リストは『フレデリック・ショパン・・・フランツ・リストによる』というオマージュを出版しベストセラーになったらしい。ショパンの取り巻き連中は先を越されたせいか”事実が不正確だ”なんて攻撃を加えたというから、いつの世にも醜い愚か者は絶えないものである。 リストは宮廷楽長に見切りをつけ、晩年は神職になり亡くなった。 ニーチェが高らかに宣言する遥か前、リストの神は死んでいた?                                 
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書評 088-1 「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか」    < 浦久 俊彦 著 >   新潮新書  2013年 12月 刊

2019-02-23 09:57:30 | 書評
 キャッチイなタイトルで思わず書架から手に取らせてしまう、実に憎いネーミングだ。だが、中身はフランツ・リストという稀代のピアニスト/作曲家のプロファイルを偏りなく
描いており、同時代の著名なピアニスト/作曲家だったショパンに関する著作の多さに比べ、余りにも少なすぎた伝記の不足を補うには、新書版サイズではあるが十分な労作だと感じた。

 まず生い立ち・家庭環境からだが、天才を持ち合わせて生まれた神童の例に洩れず、旧ハンガリー帝国(現オーストリア領)の片田舎にうまれたリストはハンガリー王室から得た奨学金でウイーンへ移る。モーツァルトやベートーヴェン/パガニーニ同様、ゼニになると踏んだ父に連れられてのウイーンデヴューを果たした後、市民革命で宮廷が消滅したフランス以外の欧州諸地域の宮廷・貴族相手の演奏旅行で天才少年の名声を広げる。其の声望はワルシャワにいたショパン少年の耳にも届いていたという。(1歳違いの二人は後年、ピアノ演奏で欧州を二分することに。)

 やがてリストはパリへ。然し、パリではドイツ・イギリスなどとは違い、貴族に替わり新興ブルジョワ階級が旧貴族の風習だった「サロン」で芸術全般<詩・小説・演劇・絵画・音楽>を論じあう文化が隆盛を極めていたので、リストもその「サロン」での小規模な演奏で大人気を博し、直ぐにオペラ座での演奏会へと昇りつめた。 
 浦久氏が本書の題名に使った「女たちの失神」騒ぎは狭いサロンだけでなく、オペラ座での演奏会における過密な混雑による酸欠で発生したものだと当時の新聞では報じている。 
デマや伝説ではないところが面白いし、長身で美男、礼節に一分の隙もなかったというリストに有閑夫人たちがのぼせたのは実話のようだ。

 さて、オーケストラを従える協奏曲はバッハ・ヘンデル・モーツァルトの時代からチェンバロ用に作曲されたが、基本的には「弦楽合奏の伴奏や、狭い部屋の中で独奏するにすぎなかった楽器」を、単独で大勢の聴衆に広いホールで聴かせるスタイル、即ち、ピアノリサイタル&ピアノコンサート形式を始めたのがリストだった。それを支えたのは19世紀前半急速に発達した<ピアノフォルテ>の発明と改良であり、19世紀後半に出現するグランドピアノの発明であった。 このピアノの巨大化は、ベートヴェンに始まる音楽の大衆化に加え、工業化の進展がもたらした金属加工技術が大ホールでの演奏に耐え得る楽器製造を可能にした結果だが、そこには音楽がビジネスとして成り立つ規模にまで成長した時代背景も忘れてはならないと著者は言う。他の楽器と違い、ピアノ制作は工房で職人が手作りするモノではなくなり、大量生産ビジネスになったのだ。

 ベートーベンのピアノ協奏曲『皇帝』も<ピアノフォルテ>しか存在せぬ時期の作品であり、いま我々が耳にする音量/音質ではなかったと想像していただくと、百人近いオーケストラと対等に渡り合える改良型ピアノで欧州各地をコンサートツアーしたリストの偉業と超人ぶりは驚嘆するしかない。遅れてパリに出てきたショパンが(サロンでの演奏は除き)公衆を前に開いた演奏会は僅か十数回なのに、作曲に専念するためドイツのワイマールに移り、ピアニストを辞める36歳までの約25年間にリストはなんと8千回も開いているのだ! 単純計算でも毎日1回はどこかの都市でコンサートを行っていたことになり、著者が指摘するように、現代でさえこのような回数をこなすピアニストは居まい。

 演奏スタイルや公演回数の比較に留まらず、ショパンの生き方との対比に目を向けると何が見えてくるのか? 著者が本書を書こうと思い立つ動機もそこにあったと前書きで述べており、音楽学者でも演奏家/批評家でもない同氏だからこそ着眼した切り口で本書の後半が展開する。                           < つづく >
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