静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

平和への歯止めとは、日本のあり方とは?

2014-06-30 10:31:00 | つぶやき
 今朝の毎日新聞「風知草」欄に山田孝男記者が掲題で記事を寄せている。氏の要旨を整理する。
 1. 安倍内閣が進める憲法解釈変更が平和を損なうか否か、といえばNOだ。相手あっての平和だから。

 2. 集団的自衛権行使の容認で、日本は小沢一郎氏が唱えだした「普通の国」になる。
  <引用:「普通の国」は、当初は侵略阻止や紛争調停の国際協調行動において、応分の負担を引き受けるという意味で使われた>。
  この応分の負担に、拡大される武力行使が含まれる、ということだ。
    ← 武力行使拡大に伴い犠牲者が発生するが、即ちそれで平和が崩れるとの立場に氏は与しない。

 3. 田所昌幸慶大教授が世論調査を駆使してまとめた日本人の意識分析を氏は引用し<日本人の「国を愛する気持ちへの賛否」「自国を    誇りに思う割合」は90年代このかた低いまましており、<経済的繁栄や労働のあり方への関心は薄れ、文化、芸術、環境への関心が    向上。生活の物質的側面に満足し、非物質的な価値を重視する方向へ変化が進んでいる。>
   <もう一つ、興味深い田所教授の指摘がある。世論調査で一時、半数を超えた改憲賛成が減り、2008年に反対と再逆転した。その時    期が、田母神俊雄元航空幕僚長ら復古主義者が台頭した時期と一致しているというのである。>
   従って、<複雑な論点を含む閣議決定に対し、今、もっぱら憲法論の観点から激しい批判が噴出している。それは、首相周辺の復古主    義的な雰囲気を警戒する日本人のバランス感覚の投影かもしれない>という。

 <「普通の国」が、歴史認識や領土をめぐる中韓両国との摩擦が絡み、いつの間にか日本の国家主義的な野心をカムフラージュする、いかがわしい言葉と読み替えられるようになった。安倍政権の憲法解釈変更も同じだ。国際協調行動に備える環境整備なのか、衣の下にヨロイを隠した暗い野心なのかというイメージの分裂がある>。この観察には同感だ。安倍首相の稚拙・不用意な表現、芝居がかった功名心と観られてもしかたない言動がイメージの分裂、そして近隣諸国の誤解と警戒心を招いている。しかも当人がそれに気づいてない。気づいてない愚かしさ。・・・この人で大丈夫か?と私が以前から危ぶむ理由がここにある。

 <それにしても、日本の国際的役割を問う議論が少な過ぎると私は思う。外敵の脅威を測り、自衛を探る日本は、20世紀前半のように国際社会で腕力を競うのではない。20世紀後半のようにカネもうけを競うのでもない><21世紀の日本に果たすべき役割があるとすれば、腕力とカネに飽かせた諸国の前世紀的な暴走に歯止めかけることだ。自然と一体の文化・伝統に根差した新しい豊かさを自ら示し、人類共生の未来に道筋をつけることである>
   何かと市民運動家グループから攻撃を受けることもある山田氏だが、この論評に限れば、私は極くまっとうな立論だと思う。
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国会議員をどう評価する?

2014-06-30 09:44:58 | つぶやき
 TVで視る国会審議の中継番組を最初から最後まで付き合う人は多くない、いや稀といっていいだろう。現役だろうがなかろうが、政治的活動をしていても、とても根気が要るに違いない。
 だが、議員に国政委任した国民として(自分の支持政党がどうであれ)議員歳費の多寡や、定数の妥当性論議、さらには二院制論議、国の在り方を思うたび、国会議員の活動能力が果たして期待どおりなのか、気にならざるを得ない。

 そんな人々に一つの参考として、特定非営利活動法人「万年野党」なるNPO サイトがあり、国会審議終了後に議員の質問内容を多角的に評価採点しランクづけしている。URLを挙げておくので関心のある方はどうぞ   http://blogos.com/article/88611/

 このサイトによれば、評価参加者は次のとおり。 
  1)同僚国会議員による評価
  2)関係省庁の職員・元職員(匿名の評価者を事務局にて選考)による評価
  3)政策専門家(評価者を事務局にて選考)による評価
  4)一般有権者(当会会員)による評価
 
 各評価者は、委員会傍聴、TV中継・動画視聴などの方法により質疑の模様を視聴した上で、
   1)質問するテーマの選定が適切か     2)質問技術のレベルは高いか 
 それぞれの要素ごとに、特に良い=5、良い=4、普通=3、良くない=2、特に良くない=1 の5段階で評価。

 なお、評価の詳細集計内容を観たい人は次のサイトへどうぞ。 http://yatoojp.com/2014/06/16/1075/
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英語教育を始めるべき年齢は?

2014-06-29 21:49:15 | つぶやき
 公立小学校で英会話の初歩授業を始めて幾年になるのか正確に記憶しないが、早期開始の効用を説く意見を聴いてみると、国際ビジネスで外国人と臆せず渡り合えるようにするためだ、という風に聞こえる。ネゴスキルを高めるうえでの重要な前提能力だからか。英語的発音のコツを無意識に近く身につけるうえでは、早ければ早いほどベターという。また、海外観光客の増加に備え、観光産業の受け入れ態勢を底上げするニーズを下支えする意図もあるだろう。

 江戸時代このかた、外国語の翻訳/通訳/意思疎通のプロ養成が必要な分野は警察、外交、国防、科学/医学、貿易、観光である。(文芸分野では外国語能力を必要とする人自身が外国へ出向き、自力で身に着けてくるので養成の対象にはならない)。高度成長以降は製造業が加わった。

 だが、外国と関わりのある仕事に就かない大多数の庶民にとり、外国語を操ることが趣味や教養ではなく日常生活で必須の能力になったことは一度もない。これはグローバル化が進展しても変わらないと私はみている。確かに外国とのビジネスは増えることはあっても減らないので、英語を使える人口が多いに越したことは無い。だが、Nice to Have に過ぎず、そのために小学校から他の教科を押しのけてまで取り入れないと、このニーズに応えられないか? そこまでする価値はあるだろうか?

 幼い年齢から学び始める唯一のメリットは会話能力が身につくスピードであるが、中身のあることを礼儀正しく話し伝える能力は開始年齢と無縁である。<耳・口>の練磨だけで用が済む生活会話レベルで稼いだ効用は、大人になってからの正規の対話でコンテンツ豊かなダイアローグを心がけるうえでは、有意差でなくなるからだ。

 日本語の習得では(漢字/カタカナ/ひらがな)3種もある文字と語句の読み書きに多くの時間を割かざるを得ない。そして、文法構造が印欧語と著しく異なることが理解できるまでの国語文法基礎知識がなければ、前置詞の概念はわからない。構文という概念がわからないと<S+V+O>が何を意味しており、ひいては「外国語とはこういうものか/日本語とはここが違うんだな」との自覚など生まれない。この自覚というのが異文化理解の始まりであり、単なる言語スキル習得ではない教科としての学習意義もここにある。・・・その理解能力がつくのは、恐らく小学校終了まかかるのではあるまいか?

 プロ通訳/プロ翻訳家/同時通訳者の養成が英語学習の目的ではない。本当にビジネス/仕事の現場で外国人と渡り合わねばならない人はメシがかかるから上達するだけだ。日本語の基礎知識と表現スキルが身についてさえいれば、大人になってからでも間に合うのだ。言葉のプロが爆発的に増えないと日本がダメになるわけでは断じてない。流暢であることだけが早期開始の効果指標であってはならないと思う。
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優先座席: 譲りかた 譲られ方

2014-06-28 15:57:06 | つぶやき
 今朝、某駅のホームで嫌な光景を目にした。70過ぎに見える男がホーム中央のベンチの前で若い男性に大声を上げているのだ。切れ切れに聞こえる内容から察するに、どうやら自分が座りたいのを気づいてくれなかったと怒っているようだ。無論、駅のベンチは優先席ではないが、何が気に入らなかったのか、しつこい。
  たまりかねたのか近くにいた20代らしき女性が老男に注意すると、更にわけのわからないことをガナリ始めた。と、若い男性の横に座っていた人までが立って「どうぞ」というのにまるで聞こえていない。実に老醜の極みというか、目をそむけたくなる風景のせいで朝の気分が台無しになった。似たような経験をされた方もおありだろう。・・・余談だが、若い男性は日本語を解さないことが乗車時に私はわかった。東洋系の顔だから日本人と決めてかかる老人の無知も困ったものだ。

 この優先座席というもの、調べると発生は意外に古く、1973年旧国鉄中央線・特快/快速に<シルバーシート>の名称で始まり、本格的に私鉄も導入、以後の全国的普及とある。もう40年の歴史だ。後に老人だけでなく身障者・妊婦・負傷中の人へと対象が拡大し名称も<優先席>に変化したが、問題は(譲り方/譲られ方)だ。

 初めて「席をどうぞ」と云われたショックからX?年。何の衒いもなく、礼を述べつつ譲ってもらった席に座れるようになるのは簡単なことではない。それは自分の年齢がXX歳だからとか相手との年齢差の比較ではなく、歩行障害の有無でもなく、その人の持つ様々な道徳観念<長幼の序、公衆マナー、敬老と慈愛>のないまぜになったモノが執らせる態度だと思う。平たく言えば、<思いやりの大切さを押し付けるのではなく、思いやれない相手をも思いやれるか>次第だろう。さもなくば、必ず何がしかの醜さが滲み出るものだ。

 さはさりながら、携帯電話そしてスマートフォンの普及は、視線を周囲に配る余裕を奪い、文字通り(傍に人無きが若き=傍若無人)振る舞いの異常さに気づかせなくした。階段から滑り落ちたり他人と衝突したりする我が身の危険には気づいても、席に座らせてあげたい人の存在は目の前に立っていても視界に入らない。それだけに、今朝の老男のような醜い姿も出てくるのだろう。でも、この男の僻み根性は「俺達が昭和の繁栄を背負ってきたのに、増税なんて!」と高齢化社会に天唾する老人の滑稽さと同類だ。

 やはり私は、席を譲れと迫る醜さだけは慎みたい。どんなに座りたくても、さもしい視線で優先席の前に立つことはすまい。
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食彩のパイオニア # 02

2014-06-28 08:46:42 | グルメ
 承前。 
 「ここまでは能く判った!然し、文化的差別や階級観的偏見は無いつもりだが、どうしても拭えない個人の生理的な選好が食の辺境探究の障害になる場合もある筈だ」、との御説もあろう。
 では、若しあなたが還暦以上なら、自分の親の世代では殆どの人がみたことも食べたこともないモノを自分が初めて口にした云十年前を想い出そう。例えばコカコーラ、サンキストレモン、スパゲティ、ピザ、丸パンに挟むハンバーガー、餃子、焼肉やホルモン焼き、中国・韓国・印度・マレー・トルコ・アフリカ含むエスニック料理などなど。 

 これらのどれも一度も試したことがない人は極めて少ないと思うが、このうちの幾つを、今も日常的に我が家の食卓で食べているだろうか。中高年の間でこれらが若い世代ほど定着していない現実を考えると、食の辺境開拓が、新しく登場した食材や調理法に晒される年齢に影響されることは指摘できそうだ。言い換えれば、舶来か否かを問わず何かを初めて食べるとき、貴方が既に成人ならば青少年の受容度合とは異なるし、食の記憶の長さに従い生理的選好も影響され得るのである。
   
 加えて、生理的選好意識は時の流行や文化的(または民族的)優越感にも左右されていることを忘れてはならない。流行・文化的/民族的優越感に食生活の嗜好を支配されている人は、自分が属す優越的文化では使わない食材や調理法というだけで、実際に食べてみて健康被害や純生理的な拒否が生じるかを試さない。そのような人の「生理的選好」とか「気味悪い!」との一見生理的な拒否反応は、後付けの言い訳に過ぎないのだ。・・・速い話、「あゝ美味しかったわ♪~」と綺麗に平らげた後で食材名を聞くやいなや慌てて顔をしかめ、吐き出そうとするバツの悪い仕草が何よりの証拠である。

 「何もそこまで硬いこと言わなくても!たかが食の好みの話じゃないか。好き嫌いに理由は要らないよ。大袈裟に文化だの何だの持ちださなくても・・」などと片付けるなかれ。
 酒席の座興で飛ばす与太への反応ならそれで好いが、このタイプの人が<食彩の開拓者>をゲテモノ食いなどと心中秘かな侮蔑に及ぶとしたら、それは食に留まらず、あらゆる文化的偏見の芽生えを自他ともに助長する危険を(無意識であれ)冒している。プラス、食べる自由/食べない自由の尊重も。それに私は気付いて欲しいのである。           
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