1988年1月8日、天皇制元号が昭和から平成に変えられた。来る2019年4月30日、予定通り天皇譲位で平成元号が終了した場合、30年と113日に亘る。
これは昭和の(64年)、明治の(45年)、応永の(35年)に次ぐ第4位の長さとなる。第5位は延暦の25年。 因みに「応永」は西暦1394~1428年、
「延暦」は782~806年。
ご承知のとおり、明治以前の江戸時代まで元号は<一世一元>ではなく、様々な理由づけで天皇の意思により変えられた事を思うと、明治以後の『皇室典範』で<一世一元>を定めた
意図は明白に政治的である。伊藤博文が明治憲法制定にあたり、欧州世界のキリスト教における「神=God」を持たぬヤマトにおける【絶対者】の存在として天皇を措定したのと呼応する。
天変地異や色々な縁起担ぎなどでコロコロ元号が変えられた時代を生きた者に、恐らく明治以降の<元号=自分にとってもひと時代>という意識づけなどまるで無かったろう。
同じ天皇のもと、呼び名が不意に変えられるだけの事なので、個人個人の一生と結びつける動機は希薄だ。だからこそ、幕末を生きた尊王派にとり、来るべき天皇制国家では
国民の人生が時代意識で天皇と直結せねば天皇を頂く革命(=倒幕による明治維新)の意味は失せる。明治維新で天皇を担いだ意義づけもそこに見出したに違いない。
これが<一世一元>の編み出された背景だと思う。
その<一世一元>の仕組みで昭和天皇は在位したが敗戦で明治型国家の終焉を迎え、明治憲法の廃止で現行憲法における象徴天皇となる。若いうちに激しい環境変化に晒されたわけで、
恐らく昭和天皇自身は混乱/失意に苛まれ、新しい役割をどう演じたらよいのか苦悩したことだろう。それは察するに難くない。それを皇位継承者として注視していたのが平成天皇だ。
平成天皇が編み出した戦跡慰霊の旅や被災地慰問の繰り返しは、父親であった昭和天皇のような国家主義下の君主ではなくなった「国民統合の象徴」の実体を必死に模索したものであり、
国民もそれに気づき、高く評価するようになった。これが天皇制からみる平成30年間であった。
では、平成天皇自らが明治憲法精神の否定/払拭に努めた30年間、国民自身はどこまで軍国主義を招いた明治型国家主義に決別したはずの戦後を創り上げただろう?
此の点で私は実に恥ずかしい。平成天皇夫婦に申し訳ないと感じているのだ。 平成天皇ほど国家主義の過去に学び、象徴天皇の意義追求で憲法精神の実践に努力した人はいまい。
奇しくも高度成長/バブル経済に浮かれた後にやってきた時期は平成に替わった後でもあり、此の間、日本人は立ち止まって過去に学ぶどころか、右往左往しては成功体験を呼び戻そうと
あがいただけだった。経済優位の喪失が自信喪失になり、頭をもたげた銭ゲバ体質は理想や価値の追及を(ダサいこと)に貶めた。<成功体験よ、もう一度>がプライド回復と結びつけられ、「愛国」「クールジャパン」「取り戻せニッポン」といったスローガンが踊っている。明治型天皇制国家に戻れば失地回復でき、再び世界に雄飛できるニッポンになれるのでは?
などと夢見る集団心理が醸成されつつある。東京五輪/大阪万博などは単に景気浮揚以外に、こういう成功体験再起をも狙っており、滑稽ではすまない、危険な妄動だと私は感じている。
皆さんはこのように感じないか? 過去から学ばない国民と政治家が<人権と民主という普遍の価値観>を羅針盤とせず、混迷する世界をキョロキョロ日和見的に泳ぐ毎日を良しとするか?
これは昭和の(64年)、明治の(45年)、応永の(35年)に次ぐ第4位の長さとなる。第5位は延暦の25年。 因みに「応永」は西暦1394~1428年、
「延暦」は782~806年。
ご承知のとおり、明治以前の江戸時代まで元号は<一世一元>ではなく、様々な理由づけで天皇の意思により変えられた事を思うと、明治以後の『皇室典範』で<一世一元>を定めた
意図は明白に政治的である。伊藤博文が明治憲法制定にあたり、欧州世界のキリスト教における「神=God」を持たぬヤマトにおける【絶対者】の存在として天皇を措定したのと呼応する。
天変地異や色々な縁起担ぎなどでコロコロ元号が変えられた時代を生きた者に、恐らく明治以降の<元号=自分にとってもひと時代>という意識づけなどまるで無かったろう。
同じ天皇のもと、呼び名が不意に変えられるだけの事なので、個人個人の一生と結びつける動機は希薄だ。だからこそ、幕末を生きた尊王派にとり、来るべき天皇制国家では
国民の人生が時代意識で天皇と直結せねば天皇を頂く革命(=倒幕による明治維新)の意味は失せる。明治維新で天皇を担いだ意義づけもそこに見出したに違いない。
これが<一世一元>の編み出された背景だと思う。
その<一世一元>の仕組みで昭和天皇は在位したが敗戦で明治型国家の終焉を迎え、明治憲法の廃止で現行憲法における象徴天皇となる。若いうちに激しい環境変化に晒されたわけで、
恐らく昭和天皇自身は混乱/失意に苛まれ、新しい役割をどう演じたらよいのか苦悩したことだろう。それは察するに難くない。それを皇位継承者として注視していたのが平成天皇だ。
平成天皇が編み出した戦跡慰霊の旅や被災地慰問の繰り返しは、父親であった昭和天皇のような国家主義下の君主ではなくなった「国民統合の象徴」の実体を必死に模索したものであり、
国民もそれに気づき、高く評価するようになった。これが天皇制からみる平成30年間であった。
では、平成天皇自らが明治憲法精神の否定/払拭に努めた30年間、国民自身はどこまで軍国主義を招いた明治型国家主義に決別したはずの戦後を創り上げただろう?
此の点で私は実に恥ずかしい。平成天皇夫婦に申し訳ないと感じているのだ。 平成天皇ほど国家主義の過去に学び、象徴天皇の意義追求で憲法精神の実践に努力した人はいまい。
奇しくも高度成長/バブル経済に浮かれた後にやってきた時期は平成に替わった後でもあり、此の間、日本人は立ち止まって過去に学ぶどころか、右往左往しては成功体験を呼び戻そうと
あがいただけだった。経済優位の喪失が自信喪失になり、頭をもたげた銭ゲバ体質は理想や価値の追及を(ダサいこと)に貶めた。<成功体験よ、もう一度>がプライド回復と結びつけられ、「愛国」「クールジャパン」「取り戻せニッポン」といったスローガンが踊っている。明治型天皇制国家に戻れば失地回復でき、再び世界に雄飛できるニッポンになれるのでは?
などと夢見る集団心理が醸成されつつある。東京五輪/大阪万博などは単に景気浮揚以外に、こういう成功体験再起をも狙っており、滑稽ではすまない、危険な妄動だと私は感じている。
皆さんはこのように感じないか? 過去から学ばない国民と政治家が<人権と民主という普遍の価値観>を羅針盤とせず、混迷する世界をキョロキョロ日和見的に泳ぐ毎日を良しとするか?