ここまで≪現行憲法と象徴天皇制≫に絡む≪国家主権≫≪日米安保≫そして≪改憲のモチベイション≫について、内田氏が展開する論旨を追ってきた。
内田氏が〔歴史と語る〕と題された章で述べる事柄は、故安倍元首相が主唱したスローガン『 ”戦後レジームからの脱却”にシンボライズされる精神としての改憲 』の背景論だ。
著者は21世紀に入り顕著になった<グローバリゼイション>から語り始める。それはITの進化・浸透による”国際経済のボーダーレス化”であったが、ほどなく国際政治でも
”ボーダーレス化”が進み、19世紀以来続いてきた<国民国家>が解体するのでは?との期待を醸し始めた現象を指す。他方、一つの領土単位の中で土地に縛り付けられた経済や暮らし・防衛を前提とする統治体系を<国民国家>と規定するならば、国際経済のボーダーレス化の進化は伝統的な<国民国家>を解体しかねない。そういう不安でもある。
実際に出現したのはリーマンショックが示したボーダーレス経済のリスクであり<国境を越える国民国家の解体>は幻想と化し、世界は<ナショナリズム>へ回帰した。
安倍氏が目論んだ改憲は<国民国家解体>ムードを利用し、実は戦後の憲法体系を戦前の国家主義に回帰させる動きにすり替えようとした、これが内田氏の解釈である。
確かに”戦後レジームからの脱却”スローガンは著者が説く世界の流れと符号しており、ひとつの見識だと思うが、”国際経済のボーダーレス化”に乗れないまま30年も国際競争のレース場外で足踏みし続ける日本における<ナショナリズムへの回帰>は、国際情勢との連動よりも、戦後くすぶり続けてきた「対米自立」願望を刺激することを狙う側面が勝っているのでは?というのが私の感覚である。
米国の支配力が低下し、America First !のナショナリズムに回帰するた今だからこそ、日本は(戦えるクニ)に変身することで存在価値を高められ、親分を繋ぎ止められる。
それなら<国民国家>でなくなっても国民の自尊心は満たされ、<ナショナリズムへの回帰>への抵抗も減るのでは?との期待。これが安倍亡き今も自民党に改憲ポリシーを出させる期待値であり、エネルギーだと私は見る。
中国の覇権志向、ロシアの大ロシア復帰願望、欧米の分裂混乱、中東の混迷などが”か弱き日本”を取り巻く。ウクライナ侵略は日本人に【外圧としてのナショナリズム志向】を
考えさせる生きたレッスンとなっている。改憲はそういう大きな流れの中にある大事な決意である。国防だけに焦点があたる改憲ではなく、天皇制・人権・自由・民主の角度からの改善としての改憲。それならば大いに議論する意味はあり<ナショナリズムへの回帰>がもたらす不幸は避けられるのではないか? < 了 >
内田氏が〔歴史と語る〕と題された章で述べる事柄は、故安倍元首相が主唱したスローガン『 ”戦後レジームからの脱却”にシンボライズされる精神としての改憲 』の背景論だ。
著者は21世紀に入り顕著になった<グローバリゼイション>から語り始める。それはITの進化・浸透による”国際経済のボーダーレス化”であったが、ほどなく国際政治でも
”ボーダーレス化”が進み、19世紀以来続いてきた<国民国家>が解体するのでは?との期待を醸し始めた現象を指す。他方、一つの領土単位の中で土地に縛り付けられた経済や暮らし・防衛を前提とする統治体系を<国民国家>と規定するならば、国際経済のボーダーレス化の進化は伝統的な<国民国家>を解体しかねない。そういう不安でもある。
実際に出現したのはリーマンショックが示したボーダーレス経済のリスクであり<国境を越える国民国家の解体>は幻想と化し、世界は<ナショナリズム>へ回帰した。
安倍氏が目論んだ改憲は<国民国家解体>ムードを利用し、実は戦後の憲法体系を戦前の国家主義に回帰させる動きにすり替えようとした、これが内田氏の解釈である。
確かに”戦後レジームからの脱却”スローガンは著者が説く世界の流れと符号しており、ひとつの見識だと思うが、”国際経済のボーダーレス化”に乗れないまま30年も国際競争のレース場外で足踏みし続ける日本における<ナショナリズムへの回帰>は、国際情勢との連動よりも、戦後くすぶり続けてきた「対米自立」願望を刺激することを狙う側面が勝っているのでは?というのが私の感覚である。
米国の支配力が低下し、America First !のナショナリズムに回帰するた今だからこそ、日本は(戦えるクニ)に変身することで存在価値を高められ、親分を繋ぎ止められる。
それなら<国民国家>でなくなっても国民の自尊心は満たされ、<ナショナリズムへの回帰>への抵抗も減るのでは?との期待。これが安倍亡き今も自民党に改憲ポリシーを出させる期待値であり、エネルギーだと私は見る。
中国の覇権志向、ロシアの大ロシア復帰願望、欧米の分裂混乱、中東の混迷などが”か弱き日本”を取り巻く。ウクライナ侵略は日本人に【外圧としてのナショナリズム志向】を
考えさせる生きたレッスンとなっている。改憲はそういう大きな流れの中にある大事な決意である。国防だけに焦点があたる改憲ではなく、天皇制・人権・自由・民主の角度からの改善としての改憲。それならば大いに議論する意味はあり<ナショナリズムへの回帰>がもたらす不幸は避けられるのではないか? < 了 >