静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

北海道の味 ;   < 港街の海鮮 >      釧 路 vs 小 樽

2014-09-10 09:19:08 | 時評
 今回の旅は、羅臼と小樽に3泊づづ、釧路から札幌への夜行バスで車中泊、そして釧路に1泊の計8泊9日。その釧路の夜、私は釧路港に近い馴染みの場所で夕食を楽しんだ。それはFisherman's Wharf Woo と名付けられた、土産物屋とレストランの集まったビルである。この名前、どこから引っ張ってきたのか、知恵者は居るものだ。
 馴染みが深いというのは、昨年⒑月初め、シンガポール駐在時代の部下だった二人(華僑系)が日本へ遊びに来たおり、謝恩の意を込め全行程をフルアテンドした際、3人で炭焼き海鮮を満喫した思い出の店なのだ。波止場に大きなテントを張り、「岸壁炉ばた」とテントに大書してある。漁船のエンジン音を運ぶ潮風が吹き抜けるので、いっそう興趣が増すというものだ。
 事前に千円ひと綴りのチケットを購入し、食材や飲み物を注文するたび切符を渡す方式である。使い残しの切符は返金なし。釧路港に直結した市場から仕入れた食材だから新鮮さは無論、単価も驚くばかりに低い。東京のざっと2分の1、ものによっては3分の1くらいか。観光客に人気が高いらしく、日本人だけでなく去年も今回も外国人の姿を見かけた。想い出に酔い、嬉しさのあまり私はチケットを3,000円買ってしまったが、ついに食べきれず。最後は飲みたくもないビールで切符を無理やり使いきる破目に。  それでも、楽しさ一杯の釧路の夜だった。


 小樽は、明治から大正にかけて栄えた海運の街。同じ港町でも、かつて軍港でもあり今は大きな漁港である釧路とは全く趣が違う。注意して観れば栄華の残照が街路のあちらこちらに散在している。橋や運河、古びた造りの家屋や石造りの建造物、路地を外れた細い家並みには、昭和を飛越し、もっと昔の匂いがする。運河沿いの郷土資料館では、華やかに賑わった当時の小樽の写真を見ることができる。セピア色は、いつでも哀愁を誘う。
 海運と共に忘れてはいけないのがニシンだ。小樽の浜は明治から昭和30年くらいまでニシンが寄り集まる海で、巨万の富をもたらした。小樽から路線バスで約35分西へ走ると小高い高台の上に<ニシン御殿>がそびえ立つ。私が行った日はあいにく暴風雨が吹き荒れ、傘がさせないので濡れネズミになりながら御殿への小径を駆け上った。巨木を贅沢に使い尽くした2階だて・建坪350坪?の建物と展示品からは、何百人もの漁夫を抱えた大網元の豪気な暮らしぶりが偲ばれる。

 今では目にするのも少ない古道具屋をみかけたので覗いたあと、「さて小樽ならでは、を楽しめる味は?」と思いめぐらせたが、若者が群がる"ご当地ラーメン"じゃあるまい、しがないロシア料理店が1軒あったものの、いまひとつ・・・・となれば運河倉庫を改造した海鮮料理店しかない。旧運河倉庫には赤い文字で<小樽運河食堂>の看板が。ふらっと入った店で頼んだ中で旨かったのが(海老餃子、海老おにぎり、蟹汁)。    写真から想像力を働かせていただけたなら、幸いである。
コメント
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