https://mainichi.jp/articles/20210428/k00/00m/040/270000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210429
◆ 1%に満たない難民認定率や上限のない収容期間、非人道的な外国人への処遇……。日本の入管行政に対しては国内外からさまざまな批判の声が上がっているが、改正案はこれら課題の
解消につながるものなのだろうか。元入管職員の木下洋一さん(56)は大学卒業後の1989年、公安調査庁に入庁。2001年に同じ法務省外局の入国管理局(現・出入国在留管理庁)に異動し、
以降は入管職員として19年3月まで働いた。退職する直前の2年間は在職しながら神奈川大大学院にも通い、自らの仕事である入管行政について研究。修士号を取得した
入管には「治安を守る」という目的の下、外国人の出入国に関わるありとあらゆる権限が集まっている。そこで働く職員は、外国人をどんな視線で見ているのか。木下さんは「今だから言えますが」
と切り出した。「外国人は悪いことをするかもしれない、危険な人になり得るかもしれないという意識がありました。性善説ではいけないと」
「僕は審判部門に06年から3年間いて、09年に別の部署へ異動します。その後16年から再び審判部門に配属されることになりますが、審査の厳格さが明らかに変わっていたのです。例えば日本人と
結婚していて、オーバーステイ以外には特段問題がない人ですね。以前なら比較的柔軟に許可を出していたのに、(16年に)戻ってからは出さなくなっていました」
なぜこんなことが起きたのか。背景にはある施策の実施と、その終わりがあった。04年から08年にかけて行われた「不法滞在者5年半減計画」。その名の通り、非正規滞在の外国人を半分に減らす
ための取り組みである。計画中は平均年約1万件あった許可数は、木下さんが審判部門に戻った16年以降、毎年1000件台と極めて低い水準で推移している。「同じような状況の人に、ある時期は
許可を与え、別の時期には与えない。 <本来そうしたことはあってはならないはずですが、入管の考えは違いました。
◎ 『その時々で判断が変わるのは当然だ』と」在留特別許可が急速に減っていった背景には、東京オリンピック・パラリンピックの影もちらつく。法務省が16年4月7日付で地方入管局長らに出した
文書はオリ・パラに触れながら、こう記す。「我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除に、具体的かつ積極的に取り組んでいくこと」
「自分たちの裁量、さじ加減一つで全てが決まる。外部のチェック機能も働かない。こんなブラックボックスのようなやり方は健全なのか、公正なのか」(木下さん)
★ 政府が今国会に提出した入管法改正案についても、国連人権理事会の特別報告者らが「国際的な人権基準を満たさないように見える」とする見解を示している。改正案は送還の促進に重きを置いた
内容だ。ただでさえ難民の保護に後ろ向きな日本の姿勢がさらに露骨になっているとして、大いに問題視されているのだ。
「指摘されているのは入管の判断プロセスに司法が関わらないことであって、『後から裁判を起こせるから問題ない』と言われて一体誰が納得するでしょうか」
また、訴訟を起こしても、原告の外国人が勝訴する望みは限りなく薄い。「裁判所は入管の処分に法的な瑕疵(かし)がないかを確認するだけなので、それ以上の踏み込んだ判断をしません。
つまり、司法が救済手段になり得ていないのです。政府の説明は、そうした現状を全く無視しています」
木下さんは、「繰り返される難民申請が入管にとって頭の痛い問題であるのは確かで、何とかしないといけないというのは分からないでもありません」と入管側の主張にも一定の理解を示す。
「ただし、今の段階での申請回数の制限は明らかに時期尚早、あまりにイージーな選択です。19年の日本の難民認定率はたったの0・4%で、本来難民として扱われるべき人をきちんと保護する
システムに現状はなっていません。難民認定については『参与員』と呼ばれる外部有識者が意見を言う制度がありますが、人選するのは入管です。選ばれた人が難民問題に精通しているとも
限らないので、参与員の判断が正しいのか疑わしいという指摘もあります。
▼ 「入管法をどう考えるかは、この国が外国人とどう向き合おうとしているのかの縮図だと僕は思っています。これまで入管は一貫して『悪いのは入管の決定に従わない外国人で、入管には問題がない。
だから管理を徹底すべきだ』という姿勢で来ました。それは今回の改正案にも見て取れます。本当にこれでいいのか、ここは立ち止まって考えるべきではないでしょうか」(木下さん)
◆ 1%に満たない難民認定率や上限のない収容期間、非人道的な外国人への処遇……。日本の入管行政に対しては国内外からさまざまな批判の声が上がっているが、改正案はこれら課題の
解消につながるものなのだろうか。元入管職員の木下洋一さん(56)は大学卒業後の1989年、公安調査庁に入庁。2001年に同じ法務省外局の入国管理局(現・出入国在留管理庁)に異動し、
以降は入管職員として19年3月まで働いた。退職する直前の2年間は在職しながら神奈川大大学院にも通い、自らの仕事である入管行政について研究。修士号を取得した
入管には「治安を守る」という目的の下、外国人の出入国に関わるありとあらゆる権限が集まっている。そこで働く職員は、外国人をどんな視線で見ているのか。木下さんは「今だから言えますが」
と切り出した。「外国人は悪いことをするかもしれない、危険な人になり得るかもしれないという意識がありました。性善説ではいけないと」
「僕は審判部門に06年から3年間いて、09年に別の部署へ異動します。その後16年から再び審判部門に配属されることになりますが、審査の厳格さが明らかに変わっていたのです。例えば日本人と
結婚していて、オーバーステイ以外には特段問題がない人ですね。以前なら比較的柔軟に許可を出していたのに、(16年に)戻ってからは出さなくなっていました」
なぜこんなことが起きたのか。背景にはある施策の実施と、その終わりがあった。04年から08年にかけて行われた「不法滞在者5年半減計画」。その名の通り、非正規滞在の外国人を半分に減らす
ための取り組みである。計画中は平均年約1万件あった許可数は、木下さんが審判部門に戻った16年以降、毎年1000件台と極めて低い水準で推移している。「同じような状況の人に、ある時期は
許可を与え、別の時期には与えない。 <本来そうしたことはあってはならないはずですが、入管の考えは違いました。
◎ 『その時々で判断が変わるのは当然だ』と」在留特別許可が急速に減っていった背景には、東京オリンピック・パラリンピックの影もちらつく。法務省が16年4月7日付で地方入管局長らに出した
文書はオリ・パラに触れながら、こう記す。「我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除に、具体的かつ積極的に取り組んでいくこと」
「自分たちの裁量、さじ加減一つで全てが決まる。外部のチェック機能も働かない。こんなブラックボックスのようなやり方は健全なのか、公正なのか」(木下さん)
★ 政府が今国会に提出した入管法改正案についても、国連人権理事会の特別報告者らが「国際的な人権基準を満たさないように見える」とする見解を示している。改正案は送還の促進に重きを置いた
内容だ。ただでさえ難民の保護に後ろ向きな日本の姿勢がさらに露骨になっているとして、大いに問題視されているのだ。
「指摘されているのは入管の判断プロセスに司法が関わらないことであって、『後から裁判を起こせるから問題ない』と言われて一体誰が納得するでしょうか」
また、訴訟を起こしても、原告の外国人が勝訴する望みは限りなく薄い。「裁判所は入管の処分に法的な瑕疵(かし)がないかを確認するだけなので、それ以上の踏み込んだ判断をしません。
つまり、司法が救済手段になり得ていないのです。政府の説明は、そうした現状を全く無視しています」
木下さんは、「繰り返される難民申請が入管にとって頭の痛い問題であるのは確かで、何とかしないといけないというのは分からないでもありません」と入管側の主張にも一定の理解を示す。
「ただし、今の段階での申請回数の制限は明らかに時期尚早、あまりにイージーな選択です。19年の日本の難民認定率はたったの0・4%で、本来難民として扱われるべき人をきちんと保護する
システムに現状はなっていません。難民認定については『参与員』と呼ばれる外部有識者が意見を言う制度がありますが、人選するのは入管です。選ばれた人が難民問題に精通しているとも
限らないので、参与員の判断が正しいのか疑わしいという指摘もあります。
▼ 「入管法をどう考えるかは、この国が外国人とどう向き合おうとしているのかの縮図だと僕は思っています。これまで入管は一貫して『悪いのは入管の決定に従わない外国人で、入管には問題がない。
だから管理を徹底すべきだ』という姿勢で来ました。それは今回の改正案にも見て取れます。本当にこれでいいのか、ここは立ち止まって考えるべきではないでしょうか」(木下さん)