静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ ノンシャランと正論から逃げまくる政権 ≫ ”たかがモリカケ”と言う擁護論客まで動員して  此の内閣に”モリカケ以上の大事な事”に取り組む資格はあるか?

2018-05-31 22:13:11 | 時評
◎ 「いつまでモリカケ」論?は正しいか 「もっと大切な議論」この政権にできる? https://mainichi.jp/articles/20180531/dde/012/010/004000c?fm=mnm

  <森友問題で言えば、記録文書があるのに、財務省の前理財局長が『記録はない』とウソをついて記録を廃棄し、さらに国会提出資料は改ざんされた。加計学園問題も、経緯を巡る
  首相秘書官(当時)の説明は真実から遠く、首相の説明を覆すような文書までも出てきた。『政治家や役人は国民にウソをついてはならない』という民主国家の大原則をも壊しかねない
  のに、野党やメディアに責任転嫁。本末転倒だ」>
    ← 自民党の村上誠一郎元行政改革担当相がテーブルにつくなり、語気を強めて言うのだ。「『たかがモリカケでいつまで騒ぐんだ』論をどう思うかって? 話にならないね。
     今起きていることは民主主義の危機なんだ」・・・自民党にこういうことを言い続ける人が本当に居るとは!  だが、こういう人は自民党の中では昔から主流になれない。
 ⇒ 「『たかがモリカケ』と言う人は『政治家や官僚は常に正しい。ゆえに国民は彼ら(自分たち)に従っていればよい』という価値観があるのではないか」と疑うのは、弁護士の
   伊藤真さん。
<「民主国家では国政の最終意思決定権者は国民です。政治家や役人は、国民の代表として一時的に意思決定を代行しているに過ぎません。人間は誤りを犯す。決定が正しいかどうか、
その時点では判断できません。だからこそ、後で判断する材料として、決定過程の記録を残すことが必要なんです。これで国民が為政者を交代させるかどうか判断し、選挙権を行使する。
これが国民主権、民主主義の要です」>  ”政治家や役人は、国民の代表として一時的に意思決定を代行しているに過ぎません。  ← 一時的な代行。 そう、代議制の核心はこれだ。

※ 「国民の判断材料となる記録の扱いに注意を払わなくなり、記録の改ざんや隠蔽(いんぺい)、廃棄が平然と行われる。モリカケ問題の本質を軽視する人は、実は国民を主人とは考えて
  いないのではないか、とすら思えます。  この国の主権者はだれか、という『国のかたち』の根本が問われているのです」 
       じゃ、『国のかたち』の根本について有権者自身は どこまで深く考えているだろう? 
 
★ 政治家なんて”世にあまたある職業”のひとつに過ぎず、”生きて行くうえでのナリワイ”として彼らは議員になったのか?(← 世襲議員だけではない) 人々の為に、ひいては
  「クニ」という集団に有益な事を真摯に追い求める志から彼らは議員になったのか?  いま、村上誠一郎元行政改革担当相のような気概を持つ人は何人いるのだろうか?

 しつこいようだが繰り返す。 もう此の国の仕組みは小手先の対症療法で良くなる段階ではない。様子見では収まらなくなっている。  ・・・そう、あなたも思いませんか?
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≪ 尊厳ある死に方は 誰が決める事か? ≫  個人+社会の両面からみた ”延命治療のプラス vs マイナス”  日本人は なぜ尊厳死法制化を躊躇するのか?

2018-05-31 08:54:38 | トーク・ネットTalk Net
▼ 救急拠点:延命中止7割 終末期の患者 毎日新聞全国調査 https://mainichi.jp/articles/20180531/ddm/001/040/173000c?fm=mnm
△ 延命治療中止 医師葛藤 過酷な判断 https://mainichi.jp/articles/20180531/ddm/003/040/025000c?fm=mnm

 此のテーマは、回数を思い出せないくらい何度も触れて来た。引用した記事2本で浮かび上がる論点は、ここ何年も変わりない。それは、論点が人の生死に関わる本質と結びつくのだから当たり前だが、そこには日本社会固有の問題が相変わらず見える。問題とは「延命治療を望むか否かについての本人意思の確認」を、老いた当人ばかりか周囲の家族も含め、老いる前に真剣に話し合うことを嫌う/避ける精神風土が大きく変わらないことだ。
 上の記事は<「じいちゃんは『延命を望まない』と言っていた。治療はやめてください」。近年は患者の回復が見込める場合でも、こんな申し出をする家族も少なくないという>と言う。だが、この書き方からわかるように、『延命を望まない』意思表示が最近増えて来た、のであって決して主流にはなっていない。

 以前、私は台湾とシンガポールにおける尊厳死希望者登録制の法制化実例を具体的に示し、日本との対比を行った。日本にも尊厳死協会はあるし、法制化を主張する議員連盟も存在するが、ここ何十年、実現の兆しすらない。此の違いはいったい何だろう? 文化論や死生観論にもならぬモヤモヤ感、日本人自身が定義できない曖昧さ。これが法制化に進まぬ源ではないか?

日本では何故、寝たきりになる前、或は病状が悲観的になる前に、当人も家族も此の話題を避ける傾向が続くのか? 医療当事者自身、苦しんでいるのに何故、法制化の原動力になろうとしないのか? 当人の苦悩以外に、物心両面で実被害は家族に及ぶうえ、社会的ロス(時間+費用)も無視できる段階は超えているのに、どうして目を背け続けられるのか?

 天変地異、事故、病い、その他人生には不可知な出来事が幾つも待ち構えている。謂わば生きて行く上でのリスクだが、長生きするほど其のリスクは減るどころか増えるのだ。
 老いればリスク対応能力は落ちる。言うならば、人生におけるリスクマネジメントは生き延びるにつれ難しくなるので、事前の準備をサボることは周囲への迷惑を増やすことだ。
 愛しい家族に迷惑をかけながら死んでゆくことを当然だと思う者など、居ても稀な筈。だから、此の事前準備の中に尊厳死希望の意思表示は含まれるべきものと私は主張してきた。
  私自身は尊厳死協会に夫婦で入り、子供たちにも意思説明は正月に顔を合わせるたび毎年繰り返している。 だが、こういう準備を個人レベルに留めることを是とし続ける限り、
 此の日本社会は ”言葉にならない曖昧さを人間の生死にまで許す いい加減な社会” のまま続くのだ。 「それもユルサよ」とヘラヘラ笑う、それでいいのか?
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≪ ”少数派に不寛容の社会”とは 人権を擁護しない社会だ ≫  自分と違うことが許せない人間を造るな  全体主義が待っている

2018-05-30 09:27:00 | 時評
★ 毎日<水説>「ありのまま」で=中村秀明 https://mainichi.jp/articles/20180530/ddm/003/070/141000c?fm=mnm
・ 中村氏は、まもなく公開されるイタリア映画「最初で最後のキス」の題材が、アメリカで10年前に起きた中学での銃による同級生殺人事件の背景を巡る若者たちの討論であると
  紹介。経緯は、殺害した中学生男子がゲイである同級生から「好きだ」と告白され、ナチス思想に凝り固まった父親の歪んだ教えからか、告白相手に教室で発砲したもの。  
 ⇒ 周知のように、ナチス思想は「ドイツ民族の優秀さ」「ドイツ民族の純血」「ユダヤ民族の殲滅」などの民族主義をテコに超国家主義体制を作り上げるうえで柱となった。
  即ち、そこには自分以外の他者をいっさい排除する姿勢がある。自分と違う存在が地上に在る事を許さず、滅ぼそうとする態度だ。 ≪許さない=寛容的でない≫ということ。
  この不寛容な姿勢に<平等意識、基本的人権の尊重>という価値観はいっさい無い。無いどころか、暗黙であれ、実のところは逆に否定しているわけだ。ここを見誤ってはいけない。

さて現在、此の不寛容のターゲットにされる対象で最も分かりやすいのが(男女問わぬ)「同性愛志向者」だ。だが考えてみれば「自分と違うから存在を許さない/嫌う」対象は同性愛だけではない。少数民族へのヘイトスピーチや差別待遇、政治的亡命であっても移民を拒む異人種の忌避。これらは見え方こそ異なるが、”自分と違う存在そのものを許さない、滅ぼそうとする態度”である点では同じである。  ← これは何処の話だ?  ・・そう、私は日本のことを言っている。よその事ではない。

連日書いているとおり、議席多数を恃んだ政府要人の傲岸不遜でデモクラシーの根幹を揺るがす言動には、私が指摘する<基本的人権の尊重>が欠如しているというしかない。
安倍首相自身の不誠実で恥を知らぬ態度、性差別/セクハラ/子育てなどを巡る(麻生・荻生田・加藤などの妄言、暴言)にも<基本的人権の尊重>の欠如が共通する。 それは賢明な読者が既にお気づきの筈だ。

 これら現象に見え隠れする危険な兆候を舐めてはいけない。全体主義を再生させたい思想の波が忍び寄っていると認識せねば、ズルズル流されるばかりだ。
歌の文句なら可愛気はあるが、こういう根本問題で「時の流れに身をまかせ」ては 絶対にならない。
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≪ 心無い妄言の荻生田氏よ:父子家庭の苦労が想像できないか? ≫   ≪ 高齢者の運転規制を本気で ≫ 事故で失われる若者のトータル社会ロスを考えよ

2018-05-29 13:23:47 | トーク・ネットTalk Net
★ 荻生田氏発言:父子家庭への配慮欠如 https://mainichi.jp/articles/20180529/k00/00m/040/097000c?fm=mnm
・ 昨日、<摩り替え/強弁/逃げ>コラムの中で同氏の「父親の子育ては子供に迷惑」なる発言を引用したが、その中で私が述べたのは、<男女の役割分担論>からくる荻生田氏の立論は、
 「欲しいが子供ができない夫婦」「子供を持たない選択をした夫婦」どちらへの配慮も欠けている>だけであり、上の今日の毎日朝刊記事が指摘する『父子家庭への配慮欠如』には
 想いが及ばなかった。其の不明を先ずは恥じる。
・ もうひとつの無知は、夫が死亡した家族には(遺族年金)が支給されるのに対し、現在の法律では、逆に妻の死亡で子供を抱えた父は支給対象にされていないという事だった。
 ≪宮城県東松島市の運転手、阿部英敏さん(58)は11年3月、東日本大震災の津波で共働きの妻を亡くし、18、16、14歳だった3人の子を1人で育ててきた。遺族基礎年金は
 受け取れない。母子家庭との差を知った震災直後は「子の暮らしを考えれば、妻じゃなく俺が死ねば良かったと、うんと思った」と話す。≫ 

 ⇒ 人権無視の男尊女卑とペアになった「男女役割分担論」の非人道性がここにある。≪妻じゃなく俺が死ねば良かったと、うんと思った≫・・此の話を聞き、私は目頭が熱くなった。
  こんなことを言わせる今の政治は何だ!!  政治家とは、人間の暮らしと向き合う仕事ではなかったのか? 荻生田よ。

★ 神奈川・茅ヶ崎市「赤信号、行けると思った」90歳女を逮捕 https://mainichi.jp/articles/20180529/k00/00m/040/092000c?fm=mnm
・  嗚呼、またか。。。。どなたも、こう感じたことだろう。運転し続ける事情/背景が明らかではないので、何とも今の段階では言いようがないけれども、茅ケ崎といえば交通不便な
  郡部ではない。車でなければ用が足せない環境だったのか? 個人的趣味だった? 家族状況がこういう高齢者運転の持続には重要な要因を為すので、判断は難しいが、免許返納の
  奨励だけで、本当にいいのだろうか?
・ <同署によると、斉藤容疑者は3月に運転免許証を更新した際の認知機能検査で問題は見つからず、優良運転者免許証を持っていた。>
   ⇒ これが事実なら、認知機能検査そのものの精度と信頼性が根本から崩れているということでは? では、完璧な検査は可能なのか?

※ 都市部である私の周囲にも80歳前後或いは以上の方で今も運転を続ける男性は少なくない。子や孫が身近に住んでいないので電車での往復は億劫になる、妻が電車を嫌うので、
  といった理由付けが殆んど。高齢者の事故報道に触れるたび「ああ、自分も止めた方がいいのだろうがな・・・」と悩んでいる。
核家族化が終わった都市部と、老人だけが住む過疎集落が殆んどの郡部とでは、免許規制策は当然異なる。難しいのはよく理解できるが、何とかせねば、事故被害で失うのは貴重な若者だ。 非情なようだが、此の社会としてのトータルロスと高齢者の不便を天秤にかけ、大ナタを振るうしかないのではないか? 
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≪ 摩り替え/強弁/逃げ ≫  ゴリ押しパワーの源は議席多数  だからせめて 与野党拮抗へ戻そう!   政権交代を とは言わない

2018-05-28 09:30:40 | 時評
★ モリカケ:政府答弁は論点のすり替え? ネットで話題「ご飯論法」 https://mainichi.jp/articles/20180527/mog/00m/040/004000c?fm=mnm
・ 「ご飯食べた?」の形式を借り、<摩り替え話法の悪知恵構造>を解りやすく説いてみせた上西法大教授のツイッター投稿がネットで話題になっているというので目を通した。
  なるほど、これなら新聞紙を嫌う若者世代にもわかりやすい上手な書き方だと感心。
・ <すり替え・強弁・シラを切り通す・逃げを打ち時間が経過するのを待つ> これはモリカケ事件に限らない。財務省、防衛省、文科省と続く昨年からの理屈の通らない噴飯ものの
  誤魔化し政治を何故わたしたちは変えられないのか?   誰しもそう感じ始めているのでは?

 ⇒ 此のゴリ押しを破廉恥にも彼らがこんなに長く続けられるパワーが何から来ているかといえば、国会での議席多数、これである。全ての可笑しなことの根源はこれしかない。

◆ 自民・荻生田氏:「男が育児、子供に迷惑」 持論を展開 https://mainichi.jp/articles/20180528/k00/00m/010/075000c?fm=mnm
▽ 自民党の加藤寛治衆院議員「3人出産を」発言 「賛同、激励あった」 https://mainichi.jp/articles/20180528/k00/00m/010/008000c?fm=mnm
 女性参画を促進しよう。男尊女卑はイケないことだ。セクハラ撲滅を! こういった声が僅かながら上がる用になったかと思えば、人口減少の危機感と短絡する「産めよ増やせよ」観。
 <男女の役割分担論>からくる荻生田氏の立論は、「欲しいが子供ができない夫婦」「子供を持たない選択をした夫婦」どちらへの配慮も欠けている。此の一点をとっても、如何に愚かで
 人権意識の無い人柄であるかが暴露されている。

 こういう言葉を述べて憚らない議員たちが今の政権を構成しているのだ。自民党に投票した有権者の中には、こういった反動的で人権無視に繋がる価値観には反発する人も居るだろう。
だが「多数の支持を得たのだから、私の信念も正しい」と思いこむ単純さ。ここに「多数議席」イコール「何でもアリ」を許す代議制民主主義の制度上の欠陥が潜むこと、
それを自民支持者含め有権者はどこまで危険だと感じているか?  これに気づき、何とかせねばと思うか否か、今が日本デモクラシー形骸化への分かれ道である。

 私の読者に訴えたい。 旧民主党政権の失敗と失望のダメージが今でも有権者に強く残っているにせよ、だからといって消極的な消去法とやらで、自民党に代表される保守反動勢力にいつまでもやりたい放題させてはならない。 このままでは彼らに日本が壊されてしまう。。。。

 衆議院総選挙のタイミングすら首相が決められる制度上の欠陥をイギリスのようになくさせることも含め、次の選挙では、せめて自民党一派が好き放題できなくなるバランスまで衆議院を戻そうではありませんか!
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