◎ 「いつまでモリカケ」論?は正しいか 「もっと大切な議論」この政権にできる? https://mainichi.jp/articles/20180531/dde/012/010/004000c?fm=mnm
<森友問題で言えば、記録文書があるのに、財務省の前理財局長が『記録はない』とウソをついて記録を廃棄し、さらに国会提出資料は改ざんされた。加計学園問題も、経緯を巡る
首相秘書官(当時)の説明は真実から遠く、首相の説明を覆すような文書までも出てきた。『政治家や役人は国民にウソをついてはならない』という民主国家の大原則をも壊しかねない
のに、野党やメディアに責任転嫁。本末転倒だ」>
← 自民党の村上誠一郎元行政改革担当相がテーブルにつくなり、語気を強めて言うのだ。「『たかがモリカケでいつまで騒ぐんだ』論をどう思うかって? 話にならないね。
今起きていることは民主主義の危機なんだ」・・・自民党にこういうことを言い続ける人が本当に居るとは! だが、こういう人は自民党の中では昔から主流になれない。
⇒ 「『たかがモリカケ』と言う人は『政治家や官僚は常に正しい。ゆえに国民は彼ら(自分たち)に従っていればよい』という価値観があるのではないか」と疑うのは、弁護士の
伊藤真さん。
<「民主国家では国政の最終意思決定権者は国民です。政治家や役人は、国民の代表として一時的に意思決定を代行しているに過ぎません。人間は誤りを犯す。決定が正しいかどうか、
その時点では判断できません。だからこそ、後で判断する材料として、決定過程の記録を残すことが必要なんです。これで国民が為政者を交代させるかどうか判断し、選挙権を行使する。
これが国民主権、民主主義の要です」> ”政治家や役人は、国民の代表として一時的に意思決定を代行しているに過ぎません。 ← 一時的な代行。 そう、代議制の核心はこれだ。
※ 「国民の判断材料となる記録の扱いに注意を払わなくなり、記録の改ざんや隠蔽(いんぺい)、廃棄が平然と行われる。モリカケ問題の本質を軽視する人は、実は国民を主人とは考えて
いないのではないか、とすら思えます。 この国の主権者はだれか、という『国のかたち』の根本が問われているのです」
じゃ、『国のかたち』の根本について有権者自身は どこまで深く考えているだろう?
★ 政治家なんて”世にあまたある職業”のひとつに過ぎず、”生きて行くうえでのナリワイ”として彼らは議員になったのか?(← 世襲議員だけではない) 人々の為に、ひいては
「クニ」という集団に有益な事を真摯に追い求める志から彼らは議員になったのか? いま、村上誠一郎元行政改革担当相のような気概を持つ人は何人いるのだろうか?
しつこいようだが繰り返す。 もう此の国の仕組みは小手先の対症療法で良くなる段階ではない。様子見では収まらなくなっている。 ・・・そう、あなたも思いませんか?
<森友問題で言えば、記録文書があるのに、財務省の前理財局長が『記録はない』とウソをついて記録を廃棄し、さらに国会提出資料は改ざんされた。加計学園問題も、経緯を巡る
首相秘書官(当時)の説明は真実から遠く、首相の説明を覆すような文書までも出てきた。『政治家や役人は国民にウソをついてはならない』という民主国家の大原則をも壊しかねない
のに、野党やメディアに責任転嫁。本末転倒だ」>
← 自民党の村上誠一郎元行政改革担当相がテーブルにつくなり、語気を強めて言うのだ。「『たかがモリカケでいつまで騒ぐんだ』論をどう思うかって? 話にならないね。
今起きていることは民主主義の危機なんだ」・・・自民党にこういうことを言い続ける人が本当に居るとは! だが、こういう人は自民党の中では昔から主流になれない。
⇒ 「『たかがモリカケ』と言う人は『政治家や官僚は常に正しい。ゆえに国民は彼ら(自分たち)に従っていればよい』という価値観があるのではないか」と疑うのは、弁護士の
伊藤真さん。
<「民主国家では国政の最終意思決定権者は国民です。政治家や役人は、国民の代表として一時的に意思決定を代行しているに過ぎません。人間は誤りを犯す。決定が正しいかどうか、
その時点では判断できません。だからこそ、後で判断する材料として、決定過程の記録を残すことが必要なんです。これで国民が為政者を交代させるかどうか判断し、選挙権を行使する。
これが国民主権、民主主義の要です」> ”政治家や役人は、国民の代表として一時的に意思決定を代行しているに過ぎません。 ← 一時的な代行。 そう、代議制の核心はこれだ。
※ 「国民の判断材料となる記録の扱いに注意を払わなくなり、記録の改ざんや隠蔽(いんぺい)、廃棄が平然と行われる。モリカケ問題の本質を軽視する人は、実は国民を主人とは考えて
いないのではないか、とすら思えます。 この国の主権者はだれか、という『国のかたち』の根本が問われているのです」
じゃ、『国のかたち』の根本について有権者自身は どこまで深く考えているだろう?
★ 政治家なんて”世にあまたある職業”のひとつに過ぎず、”生きて行くうえでのナリワイ”として彼らは議員になったのか?(← 世襲議員だけではない) 人々の為に、ひいては
「クニ」という集団に有益な事を真摯に追い求める志から彼らは議員になったのか? いま、村上誠一郎元行政改革担当相のような気概を持つ人は何人いるのだろうか?
しつこいようだが繰り返す。 もう此の国の仕組みは小手先の対症療法で良くなる段階ではない。様子見では収まらなくなっている。 ・・・そう、あなたも思いませんか?