静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ ボブ・ロバーツとのお喋り ≫  Is Covid-19 over ?

2022-08-30 08:12:20 | ボブ・ロバーツとのお喋り
(ボブ) ハイ、シャオ・リー、What's up in Tokyo ? 元気かい?
(小李) ハイ、ボブ。東京に何も目新しいことは無いな。岸田首相はモタツイテる・・俺は何とかやってるが、声に元気がないな、大丈夫かい? 
(ボブ) 声に元気が無い? そうかい、ふむ。。。暑さに負けたかな。毎年、夏がクレイジーになるのは慣れた筈なんだがね。
(小李) Covid-19 そちらじゃ、どう?日本は相変わらず、スローアクションで、ユニークといえばユニークな国だ。

(小李) スローといえば、ボブ。ジョー・バイデン、あの男は大丈夫かい? 感染したあと、体は悪くないのかな?
(ボブ) 年齢相応に老いてるが、特にどこが悪いという話は聞こえないがね。 何故だい? 何が気になるんだ?
(小李) ウクライナのWar もそうだし、中国への向き合い方も、腰が入ってない、ガッツが見えない、そんな印象なんだがね。
(ボブ) うん、ガッツは今になってじゃなく、昔からない。敢えていえば、オバマが大統領だった頃に似てる。Too gentle といえば良いかな?
(小李) そうだね。オバマが大統領だった当時、ロシアも中国も今ほどに力を蓄えてはいなかったから、何とかなったんだろうね。
(ボブ) やはり去年のアフガンからの撤退。あれは無論バイデンだけの責任じゃなく、歴代大統領の拙い判断の清算をしただけなんだが、弱い男に見られた。
(小李) うん、それは間違いない、当たっているよ。それに加えて、早々とウクライナに介入しないなんて口を滑らせた、あれも拙かったね。
(ボブ) Invasion に慌てたのか、台湾は見捨てない、軍事介入すると言って見せたが、どうだかな。彼にそのガッツは有るか? 疑問だな。

(小李) 平たく言えば、ジョーは舐められている。そのことに気づいてるのか? アメリカ人が外地で死なないなら、外国の戦乱は他人事だ。そう映るぜ。
(ボブ) 問題は、アメリカ市民にとりウクライナはどうでもよいが、台湾や日本はどの程度大事なのか?そこだろ?
(小李) そこだよ。単にAlliance への信頼なんて抽象的な話ではなく、台湾を獲られたら西太平洋はおろか、アジア全体で影響力を失う点だ。
(ボブ) ヨーロッパはNATO があるし、ロシアは相当消耗してるが、中国にはNATO もない。日本と韓国だけで、インドもあてにはならない。
(小李) Exactly you are right. 習近平も国内が怪しいから、人気取りにと、やるかもしれない、リスキーなことは判りつつ。
(ボブ) シャオ・リー、言ってみれば俺たち、世界中が国際政治を覆うCovid-19 から抜け出せてないようなものじゃないか?
(小李) 国際政治を覆うCovid-19、か。うまい事言うね。 うん、未だ未だ世界はこのままだろうな。 じゃ、またな、有難う!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 政治家という名の≪恥知らずたち≫が集う荒野   若者はシラケ もう寄り付かない 

2022-08-29 13:25:24 | 時評
△▲ 毎日【理の眼】 恥 を か き 捨 て 走 る 保 身=青木 理 全文転載
・<聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥>。そんな格言の意味をいまさら解説の要はないでしょう。
  知らないことを聞くのは恥。でも、知らぬまま放っておくのはもっと恥。まことにその通り。つまり、いずれにしても無知は恥。
   とはいえ世の中は知らないことだらけ。だから誰もが日々学び、聞き、知ろうと努めるのですが、昨今の政界には無知を恥と捉えないご仁が大量増殖中の様子。
  いや、もっと正確に記せば、「無知の恥」と「保身」をバランスにかけ、文字通りに恥も外聞もなく後者を優先させている、ということなのでしょう。

・そう、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との怪しい関係を次々指摘された政治家たちは、そろいもそろって「旧統一教会やその関連団体とは知らなかった」とか
 「指摘を受けて調べて初めてわかった」などと「無知」全開。でも、長年政界を遊泳してきたベテラン政治家が旧統一教会やその関係団体を把握していなかったとか、
 果ては旧統一教会がどういう団体か知らなかったなんて、誰がどう考えたってうそ、控えめに評しても詭弁(きべん)。

 逆にそれが本当なら、政治家としての基本的資質すら問われかねないのに、無知の恥をかき捨てているのは、「知っていた」となればさらに突っ込まれ、では教団と
 どういう関係だったのか、具体的にどんな利害があったのか、さらには反社会的な教団と親密だったことの責任を問われてしまいかねないから。だから平然とうそや詭弁で
 言い逃れ、とりあえずはこの嵐をやり過ごしてしまおうという浅ましき算段。でも、こうした態度が政治と社会に果たしてどんな影響をもたらすか。

★ 恐るべきことですが、もはや無知は恥ではないのです。だから知らず、聞かず、聞かれたらトボければよし。その場を乗り切れるなら、幼稚なうそや詭弁もお構いなし。
  それでもいよいよ追い詰められたら、責任を「痛感」はしても「取る」ことはなし。まさにこれが現下日本政治の風景。← こんな政治風土にしたのはあの故人?


そうやって政治への最低限の信頼もモラルも溶解し、眼前に広がるのは恥知らずたちの荒野
反社会的団体と政治の怪しい蜜月ももちろん深刻な問題ですが、こちらの方が政治と社会に与えるダメージはより広く、より深いようにも思うのですが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに『恥知らずたちの荒野』をうろつく政治家は、自分たちが「若年世代の政治離れ、低い投票率」を増殖していることに気づかず、胸も痛まないのだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 <大相撲に典型的な日本式美学の遵守>の功罪 VS 伝統に閉じこもる日本の停滞

2022-08-28 09:32:16 | 時評
💛 今朝の読者レヴュー記録で以下のテーマが目に留まった。日本人が直面し、増え続ける異文化との遭遇・摩擦を日頃考える私には、7年も前の記述だが、古くて新しい話題。

【再掲】2015-01-30 | トーク・ネットTalk Net◆ 大鵬夫人 “審判批判問題”・・「なんとなく残念」~外国人力士には日本美学が踏み絵か?
  大鵬さんは1969年春場所に連勝が45でストップ。その際、ビデオで見ると相手の足が先に出ていたことを伝えられたが、「横綱がそういう相撲を取ったのが悪い」と言ったとされる。
  現役時代の夫について芳子夫人は「自分(の相撲)が悪いと思われても仕方ない」との理由で勝負判定に不満を述べることなどは皆無だったことを明かした。  
  ・・・・・見事に麗しい完璧主義であり≪横綱精神の鑑≫ということだろう。  潔い、惚れ惚れしますね。← これを「品格」と呼びたいのでしょう。
  この日、白鵬は午前中に宮城野部屋に姿を現したものの無言を貫いて夕方に帰宅。審判部批判という“品格なき”騒動を収めるには自ら反省の意を示すしかない状況だが、一向に口を開こうとする様子はない。

  * 前の投稿でも触れたが、本件は象徴的な文化摩擦である。大鵬夫人の言葉は北の湖理事長や横審委員長氏と同じく、純日本的価値観/美学に則るもの。この方々から発せられる言葉/批評として極めて自然だ。
  * 問題は、白鵬の沈黙だ。・・・謝罪をする気がなさそうなところを類推すると、その沈黙が「勝てばいいんだろう、勝てば文句は無いんだろう」式の単細胞頭からでないことは読めるので、
    彼が納得しがたい文化摩擦を看過し<興行ビジネスとしての大相撲>観を捨てられるか? の葛藤だろう。 大鵬夫人の言葉は云われる前からわかっていたのだ。

  凡そ、アマチュアだけでなくプロスポーツでも、日本人は自己犠牲を忍ぶ「~道」が伴わねば好きでない。理屈ではなく、気持ち好くない。 金銭のために体を張る賤業意識の残渣が付きまとう
  「うしろめたさ」を否定したい反動ゆえの高邁な価値観/美学が、今も棄てられない文化集団なのだ。 それは外国人の思う<フェアネス>や<Profession = 職業観>とは相いれない。  
  とりわけ、神道がかった祭祀に由来することを誇りの源にする<すもう>讃美派には、非日本文化的価値観を受容する余地は一切ない。

  相撲の故事や歴史をよく勉強したと褒められる白鵬。日本人と結婚し、ゆくゆくは帰化も期待される人だが、この日本的美学を納得して身につけられるか??

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
故大鵬の父はウクライナ系ロシア人、母が日本人で南樺太敷香町(現サハリン州ポロナイスク)で戦前の1940年に生まれ、戦後北海道に引き揚げた。いわゆる両親揃っての
純日本人ではないが、敗戦を機に離婚した母との貧しい生活では幼い頃から、今では差別用語となった『アイの子』苛めも味わっただろう。中卒が大勢の当時、定時制高校に
通わせてもらったのは、ハンディキャップを背負った我が子を助けたい母の切なる想いだったに違いない。
 そういう大鵬が勝負審判の判定に異議を唱えない日本式美学を通したのは、それに心酔していたからではなく、混血の自分には、それが生きる上で逆らえない掟なのを
熟知していたからだ。それは、母親が日本人であり、引き上げ後の親戚からも学校生活からも否応なく身に付いたシキタリである。白鵬や他の外国人力士に求めてもドダイ
無理なのだ。・・これを踏まえると、当時の大鵬夫人が口にしたという『なんとなく残念』は自然であり、優しく寛容でもあった。

さて、引退した白鵬。親方に残るため帰化してからは相撲協会やNHKの求めに素直に応じ、日本人に近づこうと懸命に努力している。現役時代と変わり、目に見えて謙虚な言動になった。自分の部屋を持ち、大力士を育てたいとの夢を抱いているだろう。そのためには、生きてゆく知恵・スキルとして、弟子に日本式美学を教えてゆくだろう。
先に部屋を持ち弟子を育てている元琴欧州に、頭を下げて学びにゆくかもしれない。

スポーツや芸道・趣味の世界で、此の純日本式伝統や美学を遵守することは何ら損失も人権侵害も与えるものではないが、生きる上での価値観や利害関係が関係する生活領域。
ここに、笑って見逃せる文化摩擦は無い。個人として、社会集団としての異文化摩擦は、もはや美学や伝統賛美から離れる。それは「善悪・嗜好」とは無縁の闘いなのだ。

これは国際政治・国際経済で日々我々の実感することであり、「勝ち負け」が「好き・嫌い」を超越する現実である。
  ところが、どうも未だに、ここをはき違えている日本人が多い。30年余にわたる日本の停滞の一因は、ここにもあるのではないか??
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆ 日本に鉄道が生まれて150周年  ~ 思うこと ~♬  

2022-08-26 21:58:25 | トーク・ネットTalk Net
・ JR/緑の窓口で行列20分。私同様にジパング倶楽部手帳を手にする老人がヨチヨチ並ぶ。ふと見るに、カウンターの奥に、垂れ幕というか、縦長のバナーに【鉄道150周年】と大書。

  1872年(明治5年)日本の土の上に初めてレールが置かれ、小さな蒸気機関車が短い距離を結んだ。以来、戦前の”弾丸列車”構想が、戦後の「新幹線」に具体化され、技術的信頼性と安全面では
  未だに他国の追随を許さない。これは、日本人の自尊心を今も保たせる好材料の一つだが、生身の日本人社会における「ファジー・曖昧嗜好」とは真逆の「緻密さ・論理追求」故の成果である。
    アレから150年! 人口減少は利用者の減少を招き、もはや国有ではない鉄道事業は衰退の一途をたどるしかない。悲しいことに、周遊券や回数券まで、経営悪化で姿を消した。

・ 思えば、此の150年とは「ファジー・曖昧嗜好」とは真逆の「緻密さ・論理追求」が並立し得た不思議な社会の150年でもあった。此の並立・共存は他国ではみられないが、日本では何故か続く。
  数学的思考或は科学全般が前提とする論理一貫性は、科学技術や哲学にとどまらず、人々の行動・思考・人生をも支配するのがエジプト・ギリシャに始まる西洋文明であり、恐らくインダス文明も
  同じだろう。 そこに「ファジー・曖昧嗜好」社会が共存することはできない。あり得ないのだ。其のあり得ない筈の現実が存在する日本をみて他国の人は首をひねるが、当の日本人は気づかない。

・ 日本の芸術・とくに美術に惚れ込む外国人は19世紀以来多いが、彼らが魅力を感じる源泉は、自然界のみならずナマ身社会の心情をも「ファジー・曖昧嗜好」で捉える日本人の独特な感性である。
  グレコ・ローマン世界と違い、克服すべき対象として自然を捉えないのはインドから東の非西洋世界に共通するが、熱帯ではない温帯にある大きな島国ニッポンの風土が此の独特な感性を育てた。
  これはアジア大陸に生きる諸民族(漢・モンゴル・朝鮮)には持ちえない感性なので、西洋世界からみた日本文化・日本人の差別化はここに極まる。容貌では見分けがつかない日本人だし、
  言語も西洋人には区別が難しいが、唯一、美術工芸作品をみて、彼らは日本が中国の一部だとは思わなくなる。

★ 日本人はこれをもって、日本文化の優位性だと己惚れているが、他国人には飽くまでも珍しい&ユニークである(=特異である)が故の文化面での希少価値に過ぎない。そこへ製造技術での優秀さが乗っかり
 「不思議だが、侮れない存在」となった。それは80年代からの40年。150年の内の40年だが、外国人がいざ住もうと思えば、此の社会に満ちる「ファジー・曖昧嗜好」を誰もが受け入れられない。
  留学生の大半は日本での就職・定住に失望し帰国する。母国へ帰れない移住者は必死で馴染もうと努めるが、容易ではない。 悲劇は生まれているのに、日本人は冷たい。

☆ 日本に住みたい外国人に、どうして冷たいのか? 答えは簡単:厳しい品質管理を追い求める姿とは対照的で矛盾する「ファジー・曖昧嗜好」姿勢を捨てられないからだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ≪安倍元首相国葬の強行≫に正当性を与える 三条件    岸田首相 今からでも遅くはないよ!  逃げちゃいけない

2022-08-25 07:16:40 | 時評
特集/安倍晋三元首相銃撃:井上寿一の近代史の扉  💛 安倍元首相の国葬 吉田茂の例が示唆するもの  要旨転載
 おそらく国民世論は、9月27日が近づくにつれて、賛成が漸増すると予測する。安倍元首相の功績に賛否があっても、首相経験者で現職の国会議員の選挙期間中における不慮の死を弔う気持ちは
 別だからである。・・・しかしそれには条件がつく。

★ 第一は岸田首相の丁寧な説明である。
 国葬には法的な根拠がないから、むしろ閣議決定だけで決めることに手続き上の瑕疵(かし)はない。とはいえ、国葬には不釣り合いな軽い決定の仕方である。吉田の国葬の際のように、
 三権の合意の必要性が検討された形跡もない。国葬を執り行うことで民主主義を守り抜くとの岸田首相の趣旨説明は、事件の真相が明らかになるにつれて、そぐわないものになっている。
 なぜ国葬でなければならないのか、岸田首相の強い思いを知りたい。

☆ 第二は野党の説得である。
 吉田の国葬の際には説得のかいがあった。野党の代表の参列で、国葬の体裁を保てた。国会の閉会中審査などをとおして、政府・自民党は野党を説得してもらいたい。野党も安倍元首相を弔う
 気持ちはあるだろう。国葬に法的な根拠がなく、吉田の国葬は前例と言いがたいのだから、野党側としても容認できる国葬の具体的な条件を出して、歩み寄るべきだろう。

◆ 第三は国会の不作為の責任を果たすである。
 吉田の国葬後、国会で国葬とは何かを議論するはずだった。ところがそれから55年間先送りされて不作為が続き、現在に至る。今回を直接のきっかけとして、国葬の制度整備を進めねばならない。

 心配なのは、これからの約1カ月間に議論が深まるのではなく、やり過ごされることである。そうなれば、安倍政治は功罪共に忘却のかなたに押しやられる。
 残ったのは国民の分断になりかねない。
 9月27日をどう迎えるか、私たち一人一人も問われている。  【学習院大教授】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 最後の下線を施した部分。これは、私が事あるごとに繰り返し指摘する「安倍氏以来のごまかし・逃げ」と、それを見逃す国民の『曖昧受け流し』がセットで招く<国民の分断>という結果だ。

≪ 私たち一人一人も問われている(井上教授)≫とは、このセットを止めるにはどうすればよいのか? 分断という危険な結果を避けるためには具体的にどう考えるのか?という問いだ。
 行動とは? そう、それは有権者がもつ唯一の権利・投票行動で表すしかない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする