毎日の15日社説から。<読書は知識を蓄え、感覚を磨き、考える力を養うだけでなく、視野を広げ、想像力を鍛える。「読書離れ」がいわれて久しいが、今こそ、書物の効用を見直し、特に若者が本に向かうように呼びかけたい>。 全く同感、異議なしだ。
統計では図書館の館数も貸し出し書籍数も増えているというし、小中学校の平均読書量は微増を維持している。ところが問題なのは、高校生・大学生となるにつれ読書量が落ち込んでいることである。同社説では<高校や大学での読書指導も不十分なのではないか。この傾向が20代以降にもつながっていると思われる>と分析するが、そもそも高校生以降の年齢で読書指導が果たして有効かどうか、大いに疑問がある。さりながら諦めず、教師が指導するかどうかは別にして、若い年齢にある人間にとっての望ましい読書とはどういうことなのか、それは親なり周囲の先輩・上司なりが教えるしかないのではないだろうか。
語弊を承知でいうと、飽くまでも一般的傾向として(社説筆者が挙げる諸効用にならうと)本を読まない/読書を嫌う人が考え深いか? 視野が広く想像力も豊かか? というと、必ずしも肯定できない場合が多い。そこへもってきて、世の中が技術進歩にあわせ忙しくなる一方なので、老いも若きも落ち着いて振り返ったり思慮を巡らす心の余裕を失いがちだ。忙しいことがデキル人間の証であり勲章でもあるかの風潮が蔓延して久しい。
だからこそ、端末電子機器を持ち歩きながらの「ながら読書」ではなく、騒音の無い部屋で机に座り落ち着いた精神状態で紙の本を開き、ページをめくったり時には戻って言葉を噛み締めたりする時間が自分に何をもたらしてくれるか、本を伏せて暫し考えを反芻したりするひとときを味わって欲しい。それは味わったあとでしかわからないゆえ、その誘い水を身近な大人が与えることが大事だと思う。情報社会というフレーズが未来ヴィジョンではなく通信技術の進歩で具現して20年余り、知識の検索・収集と情報分析を得さえすれば半分は考えたつもりに錯覚してしまう現代であり、その陥穽に若い時ほど気づきにくいものだ。
孫引きで恐縮だが、次の警句を掲げたい ≪ 旅、読書、よき友人、人生を豊かにしてくれるのは、この3つだ ≫
統計では図書館の館数も貸し出し書籍数も増えているというし、小中学校の平均読書量は微増を維持している。ところが問題なのは、高校生・大学生となるにつれ読書量が落ち込んでいることである。同社説では<高校や大学での読書指導も不十分なのではないか。この傾向が20代以降にもつながっていると思われる>と分析するが、そもそも高校生以降の年齢で読書指導が果たして有効かどうか、大いに疑問がある。さりながら諦めず、教師が指導するかどうかは別にして、若い年齢にある人間にとっての望ましい読書とはどういうことなのか、それは親なり周囲の先輩・上司なりが教えるしかないのではないだろうか。
語弊を承知でいうと、飽くまでも一般的傾向として(社説筆者が挙げる諸効用にならうと)本を読まない/読書を嫌う人が考え深いか? 視野が広く想像力も豊かか? というと、必ずしも肯定できない場合が多い。そこへもってきて、世の中が技術進歩にあわせ忙しくなる一方なので、老いも若きも落ち着いて振り返ったり思慮を巡らす心の余裕を失いがちだ。忙しいことがデキル人間の証であり勲章でもあるかの風潮が蔓延して久しい。
だからこそ、端末電子機器を持ち歩きながらの「ながら読書」ではなく、騒音の無い部屋で机に座り落ち着いた精神状態で紙の本を開き、ページをめくったり時には戻って言葉を噛み締めたりする時間が自分に何をもたらしてくれるか、本を伏せて暫し考えを反芻したりするひとときを味わって欲しい。それは味わったあとでしかわからないゆえ、その誘い水を身近な大人が与えることが大事だと思う。情報社会というフレーズが未来ヴィジョンではなく通信技術の進歩で具現して20年余り、知識の検索・収集と情報分析を得さえすれば半分は考えたつもりに錯覚してしまう現代であり、その陥穽に若い時ほど気づきにくいものだ。
孫引きで恐縮だが、次の警句を掲げたい ≪ 旅、読書、よき友人、人生を豊かにしてくれるのは、この3つだ ≫