静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

 ≪ 戦争を遂行した国家の加害責任 ≫ 靖国参拝に顕れる戦犯合祀のシロクロ放置 

2016-08-31 14:56:22 | つぶやき
* みんなの広場 閣僚の靖国参拝発言に怒り=無職・舛本屋悌二・68才 http://mainichi.jp/articles/20160831/ddm/005/070/020000c?fm=mnm
(A) 高市早苗総務相と丸川珠代五輪担当相は、記者団の質問に異口同音に「自国のために殉じた方々への慰霊は当然であり、外交問題になるべきものではない」と発言した。
  しかし、自国のために殉じたと単純に言い切っていいのだろうか。軍部の圧力で動員され、不帰の客になられた方々が多かったことを忘れていないだろうか。 
(B) 銃後でも、学徒動員で原爆や無差別空襲によって亡くなられた方々も多い。満蒙(まんもう)開拓団に動員され、他国の土地を略奪に等しい手段で耕作し、現地の人の反感を
  買い、戦後は守ってくれるはずの(関東)軍に放置され集団自決を強いられた方々もいる。加害責任を含め、前の戦争の実相は、単なる深い反省だけで済まされないと思うが、
  どうだろうか。

 国家の戦争責任について庶民が思うことの最大公約数的見解が、此の投書には揃っている。 然し、ここに埋もれていていいものなのか? 私が思うに・・・・
1。 まず(A)で、国家/軍部に動員・強制されるカタチで受けた人的/物的被害を「国に殉じた」といわないでくれ、との想い。喜んで/進んで戦争に加担したのではない、との気持ちである。 此の感情は理解されるが、厳しくいうなら国民として国家の暴走を止められなかった、或は付和雷同した多数の庶民の浅薄さを同時に反省し、「二度と扇動には乗るまい」と誓う行動が伴わない限り、きっと我々は同じ過ちを繰り返すに違いない。そういう民族なのだ。
2. (A)で参拝閣僚が「外交問題になるべきものではない」と語る背景には、言わずもがなだが<A級戦犯合祀>の擁護がある。此の投書者は触れていないが、<昭和天皇に替わり戦争責任を問われた政府/軍部指導者を国民/国家に対する加害者>だとする立場を否定する自公政府に我々はどう対処するのか? ここが、合祀以来、ずっと問われ続けている。 

だが、これは、何度も云って来たように、これは「東京裁判の正統性云々」で左右される問いではなく、『指導者と一般国民を合わせた戦争責任』をどう整理するか、を国民全てが考えない限り、今後も「国民は常に被害者で、悪いのは政治指導者だ」と逃げることになってしまう。 結局、付和雷同の裏返しでしかないのである。 これを肝に銘じたい。
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 ≪ 『障害者X感動』の方程式? ≫ 障害者側からの被差別観とは?

2016-08-29 17:39:26 | つぶやき
 ★ 「障害者を感動話に」方程式批判 http://mainichi.jp/articles/20160829/k00/00m/040/091000c?fm=mnm
・ 此のTV番組をご覧になった人、或はその話題、論評などに接した方もいらっしゃるだろう。 そういう方々は、一連の応酬をどう感じられたのだろうか?
  私は当該TV番組を視ていないので、批判する側の論理や怒りの核心が正直いって掴めない。 唯、新聞記事から得る印象でしか言えないことを承知のうえで言わせて
  もらうなら、「感動ポルノ」というキーフレーズで障碍者が番組や製作者をなじっている心理がピンとこないのだ。
・ 記事によれば、<障害になった後、一度は落ち込んでも衝撃を乗り越える強さ、障害にめげずに明るく日々生きる姿>などに「健常者が感動すること」自体が”差別”だ、
  と障害者はいう。 ここが私にはついてゆけない。 想像だが、「感動すること」に「上から目線」を感じ取るから”差別だ”となるのだろう。

 当たり前だが、「感動」される対象が健常者の場合、「感動すること」自体を”差別だ”という人はいない。素晴らしい、誰もが羨む天分に恵まれた人の活躍や実績を見聞きし、大多数の人は褒め乍らも嫉妬を感じ、恵まれない自分を嫌悪する。だが、才能/天分の無いことで、天分に恵まれた人から「差別されている」とも感じない。 恵まれた人にできることが自分にはできないのに、である。(ねたみ/そねみ)だってあるだろう。だが、極端な場合、能力に恵まれた人を怨み、危害を加えるケースだってある。 例えは良くないかもしれないが、今回の「感動ポルノ批判」と何処か似ていないか?

 頭脳明晰・或は体力/運動能力や美貌に恵まれ生まれること、または正直に生きる人々を称賛する、褒める「素晴らしい!」と讃えることは、相手を峻別しなきゃいけないことだろうか?   褒める側の人の出自が一定の価値観をクリアーせねば、許されないことなんだろうか???  私には納得がゆかない。
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 『 開いた口が塞がらない 』  選挙管理委員会ぐるみの不正  中国を笑えないぞ

2016-08-27 11:28:16 | つぶやき
 ★ (天声人語)6票の行方 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12530149.html?rm=150
・ 世の中には「まさか!」「ウソだろう?」と思わずスッ頓狂な声をあられもなく発してしまう、珍妙/奇天烈な出来事は尽きないもの。 身の周りの些細な事から、
  大は国内外の政治事象まで、枚挙に暇はない。 然し、である。この天声人語に引用された逸話は、いずれも選挙に関する実話なのだ。
・ 古くは、1958(昭和33)年の<津軽選挙>。優勢な相手候補を”落選”にする為、選挙長(=今の選管委員長か?)と開票立ち合い人がグルになり、投票用紙に細工し、
  無効票を大量に捏造したとのこと。   これはもう『犯罪』と呼ぶべき不正であるが、どのような刑事処分が下されたのだろうか?

 信じられないような話だが、何も昔話だけではない。つい先頃の参院選でも岐阜県本巣市で、民進党候補に投票するよう組織指示を受けて投票した組合員6名が「得票ゼロ」発表に異議を唱え、提訴したというから、今でも政治風土は何ら変わっちゃいない。  笑いごとではないのである。

 開票担当者がミスに気づき慌てて「白票の水増し」で帳尻合わせをした(2013年高松市)という事例から、<津軽選挙>とからかわれる故意の事例まで、こんなことが戦後70年経っても続く社会。 処罰がぬるすぎるのでは? これで「民主主義の国・日本」と胸を張ることなど私には恥ずかしくて出来ない。 貴方は?

 中国では、香港特別区の選挙に北京中央政府が介入し、英国からの返還時の公約など反故にする「自由選挙弾圧」を始めている。また、西部山間部の小さな郷鎮(=村)で自主的に執行された自由投票を妨害し、村長当選者と関係者を牢獄にぶち込んだ。  これらの報道に接した日本人は「それみたことか、中国では自由選挙に基づく代議制民主主義は、これからも根付くことはない」などと論評している。   だが、そんなこと エラそうに云えるのかい、我々は?
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 ≪ ポケモンGO死亡事故:既に2件 ≫ ゲーム禁止ではなく 危険運転致死罪を適用せよ!

2016-08-26 20:51:01 | つぶやき
 * ポケモンGO事故で重体のベトナム人女性が死亡 http://mainichi.jp/articles/20160826/k00/00e/040/195000c?fm=mnm
・ 事故直前までゲームしていた会社員の車にはねられる:愛知県春日井市で11日、スマートフォン向けゲーム「ポケモンGO(ゴー)」に絡む交通事故が発生し、
  重体だったベトナム国籍の女性会社員(29)が25日、死亡したことが県警への取材で分かった。ポケモンGOに絡む交通事故での死者は県内で初めて。
  23日には徳島市内で全国初の死亡事故が起きている。
 ⇒ 歩きスマホ、自転車スマホ、自動車スマホなど、これまでの「ながら携帯」と違うのは、ながら携帯電話で占拠されるのは<耳>だけなのに対し、「ながらスマホ」は<耳+眼>の両方が奪われる点だ。 これが決定的に危険度が高まる理由。 少し考えたら誰にでもわかる。 だが、それは、狂ったヒト/はまった人には通用しない。

 ゲームを楽しむ人を糾弾する権利は何人にも無い。従い、ゲームの販売や適用規制は、公的な利益の観点からの正当な理由がない限り、行うべきでない。
 だが、ゲームに嵌る余りの弊害が第三者に危害を及ぼすなら、その罪は厳しく問われなければならない。 ≪ながら~≫のもたらす過ちは、誰もがやりがちな「うっかり」「ボーツ」「ついつい」とは被害程度のマグニチュードが違うのである。 其の極地にあるのが≪ポケモンGO≫であろう。

 今回の2件の事故、断じて『危険運転致死罪』を適用すべきである。 何故なら、<眼><耳>を前方に集中できない状態になることが自覚できながら、ハンドルを握ることは、酒を飲んで運転するのと同じ。 ゲームだから、青少年や若い成人だから許してやれ、という理屈は無論成り立たない。 
「自己責任」という言葉が個人の言動への戒めではなく、とかく日本では<一応の注意は与えたから勝手にせよと、行政責任は免れる為の口実>と誤解されている。 
 だから、<未必の故意>に近い愚かな加害者へも厳罰対応できないのではないか。

 「自己責任」の正しい意味は、<自分の判断の結果であれ、何ら思考も判断もしなかった結末にせよ全ての責任は自分にあると、招いた罪の償いは問答無用で受け入れる潔さ>を指すのだと私は解釈している。  其の潔さは、個人の自立でもあるのだ。   違いますか??  ピリオド!
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 ≪ 経済統計の精度 ≫ 政治的な操作が隠すロス vs 不要不急な生産/消費が寄与するGDP

2016-08-25 16:49:39 | 時評
 * 中国経済と情報開示=福本容子(論説室) http://mainichi.jp/articles/20160825/ddm/005/070/027000c?fm=mnm
・ <(中国に)経済統計というものはある。国家統計局が公表する国内総生産(GDP)の伸び率(物価変動の影響を除いたもの)は、今年1〜3月期、前年の同じ時期に比べて
   6・7%増加した。続く4〜6月期も同じ6・7%増。今年の政府目標「6・5〜7%」のまん中に美しく収まっている。
・ なかなか信じ難い。6月末までを対象とする成長率が7月半ばには出てくる。米国より2週間、日本より1カ月も早い。成長率のかさ上げを疑う声は国外で根強い。
・ もっとも、GDPの数字自体に、過大な意味を持たせるべきではないだろう。肝心なのは、中国がどれくらい本気で経済の構造転換を進めようとしているか、だ>。

 ⇒ 福本論説員は、訪問した各地で地方政府の責任者/企業幹部が揃って、根拠も具体性もないまま抽象的で目出度い説明に終始する姿勢を紹介したあと、<こうした姿勢が中国の得にならないのは明らかだ。情報の中身より、情報を正直に出そうとしない態度の方が、世界からは問題視される。 思い出したのは、日本の苦い経験だ>として、
 <バブル崩壊後に問題となった邦銀の不良債権をめぐっては、開示された情報や当局の検査の厳格さに対し、海外から強い不信の目を向けられた。1990年代後半から2000年代初頭のことだ。「過小評価している」「まだ実態を隠している」などと海外のメディアやアナリストから疑われ、邦銀がドル資金を借りにくくなったり国債の格付けが引き下げられたりした>と日本の教訓を学べと促している。
  そして<中国経済はまだ伸びる。仮面のような厚化粧で素顔を隠すのではなく、すっぴんをさらしてみてはどうか。厳しい視線は改革の栄養となる>。  とても温かい忠告だ。

 だが私は、「統計の精度に問題があるということは、隠れた無駄・ロスコストが表面化しないだけで実在しており、それも国家の経済活動を有用な実態以上に膨らませている」ことに、どれだけ国家指導者が気づいているか、を指摘したい。銀行の負債を巡る過少評価や隠蔽は、GDPの水増し/虚栄とは次元が違う。 加えて、これらのいい加減さが創るGDP同様に、例えば日本社会にはびこる不要不急な過剰サービス、過大包装、深夜営業に深夜放送などが消費する電力/エネルギー消費もまた、中国の視えない無駄を含む虚偽報告が生み出すニセGDPと同じくらい無駄な、贅肉GDPでしかない。 
 日本は統計精度の高さを誇っているが、他方で、無くても困らない・無益な消費の為に産みだされる生産/所得も多いことを自覚しているか??
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