色彩は、それが記憶や連想に結びつくことが多い人と、そうでもない人に分かれるようだ。はて、自分はどちらだろうかと振返ると、どうやら結びつきやすいタイプではなさそうである、と思っていた。
幼い頃の黄色に結びついたものを想い起こすなら、まずは春の訪れを告げる菜の花、照りつける太陽とセットの向日葵、あの童謡と固くひもづいたカナリヤ。他に浮かぶのは、誕生日しか食べさせてもらえなかったバナナくらいだが、思えばこの黄色自体に際立ったイメージはくっついていなかったような気がする。(オレンジやレモン、グレープフルーツが輸入自由化され、多彩な黄色が広く食卓を彩るようになる以前のはなしである)。
このイエローに関し、アメリカに住み始めて最初に驚いたことのひとつが、芝生を配した庭や玄関周りにタンポポが育つのを激しく嫌い、除草剤を買い込んでは駆逐に努める近所の住人の熱心さだった。芝生一面の穏やかな緑に鮮やかな黄色の出現は、他の雑草よりも確かに目立つ。場合によっては強烈なアクセントになる。
だが、どうしてああまで強く嫌うのか?念のため駐在員仲間に聞くと、タンポポだけを目の仇にし駆除する執念を感じとったのは私だけの錯覚ではなかったが、誰もその理由が長らくわからなかった。
後に日系駐在員の身分から現地採用の立場で転職した某地場企業で働くようになったある日のこと(その会社で東洋人は私ひとりだった)、日系の顧客から注文を取れなかった悔しさからか、営業責任者のある白人が会議の場で「あのイエローフェローが云々・・・」と口にし、私の存在に気づくと慌てて話題を変えたことがあった。氷りついた雰囲気が溶けたあと、その男は私の傍に寄ってきて謝ったのだが、この時、タンポポ嫌いと彼の人種意識とが私の中で急に結びつき、不思議の念は氷解したのである。
緑一色に整然と広がるべき庭がタンポポで”汚される ”のを嫌う心情と「黄色人蔑視」「黄禍論」は、
白人において同根であるまいか。以来、私のこの直感的連想は確信とも呼ぶべきものになった。
幼い頃の黄色に結びついたものを想い起こすなら、まずは春の訪れを告げる菜の花、照りつける太陽とセットの向日葵、あの童謡と固くひもづいたカナリヤ。他に浮かぶのは、誕生日しか食べさせてもらえなかったバナナくらいだが、思えばこの黄色自体に際立ったイメージはくっついていなかったような気がする。(オレンジやレモン、グレープフルーツが輸入自由化され、多彩な黄色が広く食卓を彩るようになる以前のはなしである)。
このイエローに関し、アメリカに住み始めて最初に驚いたことのひとつが、芝生を配した庭や玄関周りにタンポポが育つのを激しく嫌い、除草剤を買い込んでは駆逐に努める近所の住人の熱心さだった。芝生一面の穏やかな緑に鮮やかな黄色の出現は、他の雑草よりも確かに目立つ。場合によっては強烈なアクセントになる。
だが、どうしてああまで強く嫌うのか?念のため駐在員仲間に聞くと、タンポポだけを目の仇にし駆除する執念を感じとったのは私だけの錯覚ではなかったが、誰もその理由が長らくわからなかった。
後に日系駐在員の身分から現地採用の立場で転職した某地場企業で働くようになったある日のこと(その会社で東洋人は私ひとりだった)、日系の顧客から注文を取れなかった悔しさからか、営業責任者のある白人が会議の場で「あのイエローフェローが云々・・・」と口にし、私の存在に気づくと慌てて話題を変えたことがあった。氷りついた雰囲気が溶けたあと、その男は私の傍に寄ってきて謝ったのだが、この時、タンポポ嫌いと彼の人種意識とが私の中で急に結びつき、不思議の念は氷解したのである。
緑一色に整然と広がるべき庭がタンポポで”汚される ”のを嫌う心情と「黄色人蔑視」「黄禍論」は、
白人において同根であるまいか。以来、私のこの直感的連想は確信とも呼ぶべきものになった。
ひまわりやターメリック、バラなど黄色は何でも嫌われものですか?
が、私の当時の直観で残るのは、「ひまわり」はゴッホの強烈且つ偏執的イメージを持つ人が多かった記憶、「ターメリック」はインド人とカレーの匂いゆえ賃貸アパート入居を断るといきまいたオヤジの記憶がありますが、「黄色いバラ」についてはこのふたつ及びタンポポのように直接体験した記憶となるシチュエイションがありません。
ひとこと、俗語ぽい印象でYellow とアメリカ人が口を歪めて言う時、好ましいサウンドでないことは確かです。