静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

人権は後回しの日本社会 ” 個人の人権擁護は全体の協調を壊す ”との誤った価値観を保守派は捨てよ

2024-06-28 08:25:00 | 時評
【毎日】2021 東京五輪の「辞任ドミノ」、日本社会の根本変化につながらず<聞き手・黒川晋史>   要旨転載
 国際NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の日本代表で、人権関連の組織委ワーキンググループで委員を務めた土井香苗さん(48)。東京五輪を経て日本社会は変わったのか、見解を尋ねた。
―東京大会はどうだったのでしょうか。
・ 良い影響があったと思います。五輪憲章は性的指向による差別を禁じていますが、国内法が憲章の水準に至っておらず、大会前から「開催までに法律を作りたい」というムーブメントが起きました。
  その結果、23年6月に性的少数者への理解を広げるLGBT理解増進法が成立しました。差別禁止規定はなく、物足りない内容ではあります。成立は大会に間に合いませんでしたが、五輪が前進の
  きっかけにha
なりました。

・ もう一つはビジネス分野への影響です。国連は「ビジネスと人権に関する指導原則」を定め、サプライチェーン(供給網)の中で人権侵害に加担しないことなどを求めています。
  東京大会は、指導原則に従って開催すると宣言した初の大会でした。原則はビジネス界に浸透し始めていて、源流の一つは東京五輪と捉えています。

―東京大会では、組織委の人権労働・参加協働ワーキンググループ(WG)の委員でしたね。
・ 実は、人権のWGは脱炭素など他のWGと比べるとスタートが遅かった。東京大会には「持続可能性への配慮」という運営方針がありました。その中に人権尊重というテーマも含まれていることへの
  意識が、組織委内で希薄だったのではないでしょうか。「人権は二の次なんだな」という印象で、人権意識に関する日本社会の現状を映していたように思います。

―実際、組織委会長や開会式スタッフの「辞任ドミノ」なども起きました。
・ 今までの日本社会では受け入れられていた言説が、国際基準をクリアしていないということに皆が気づき、立ち止まって考える機会になったと感じています。しかし、辞任などを通じて個別に
  スキャンダルを解決するだけで終わってしまい、社会の根本的な変化にはつながりませんでした。
  欧州など諸外国には人権問題について調査し、政府に政策提言をする専門の国家機関があります。さまざまな差別を包括的に禁止する法律がある国も多い。いずれも日本にはありません。
  国内で「人権の主流化」を実現するには、そうした仕組みを作る必要があるのに、制度面で空白が続く状況は変わっていません

―パリ五輪で何に関心を寄せるべきでしょうか。
・ フランス議会では今年に入り、AI(人工知能)を搭載した監視カメラの街頭設置を認める法案が提出されました。EU(欧州連合)史上初で、プライバシーや集会・結社の自由などを侵害する恐れが
  あるとして、欧州などの38市民団体は法案否決を求める共同書簡を公開しましたが、可決されました。テロ対策を理由に特定のグループを弾圧する手法は世界的に見られ、人権の側面から議論を
  しないと対策が行き過ぎる恐れがあります。大イベントは人権侵害にも結びつくし、人権を前進させるための起爆剤にもなります。こうした側面からもパリ五輪を見てほしいと思います。
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 土井氏の言葉を日本のスポーツ関連団体のリーダーはもちろん、政治家こそ噛みしめて欲しい。本来ならこのような反省と振り返りは主催者たる政府が行うべきことだが、いっさい振り返りを行わない。
此のような為政者を戴く国民一人ひとりは、単にスポーツの場を個人の夢追及や生き甲斐成就物語、ニッポン万歳に終わらせず、人間は何をするにも<人権・平等・自由を守る>ことから無関係ではいられない、ということを頭に入れておかないと、日本人は個人を抑圧する社会から出られない。 森元首相はじめ関係者の辞任は、またもや<トカゲの尻尾切り>に過ぎず、本質は何もかわっていない。

 これは何も五輪憲章がどうのこうの、国連人権委員会に言われるから云々ではなく、我々自身の社会がこのままでは良くないと思うか思わないか?・・の自問自答である。
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女性管理職比率の公表義務化で何が進む?     ビスマルクの格言の正しい解釈

2024-06-27 09:20:34 | トーク・ネットTalk Net
★ 厚生労働省:女性の管理職比率、企業に公表義務 従業員301人以上
 ・ 素朴な疑問をひとつ: 
    管理職の比率以前に、女性従業員比率の向上があるのでは? 同時に改めるべき男女格差とは、人数差だけでなく賃金の格差である。つまり採用時の人数&賃金格差の解消が本丸では?
    とすれば、最近はやりの『ジョブ型雇用』で十分なのか? それは男女格差の無い採用・雇用・評価体系と連動しているか? 明確な雇用契約書になっているか? 
    そもそも「正規雇用 vs 非正規雇用」の法制度を今のままにしておいて、人数&賃金格差の解消は可能か?

 『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』 ビスマルク

 日本で流布するのは上に掲げた言い回しだが、典拠が不明との説もある。今に伝わるドイツ語原文は以下。
   Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.
 これを英訳すると次のようになる。
  Only an idiot thinks he can learn from his own experiences. I prefer to learn from the experiences of others in order to avoid making my own mistakes in the first place.
    直訳【自分の経験から学べると考えるのは愚か者だけだ。私はまず自分の過ちを避けるために他人の経験から学ぶことを優先する】

◎ お気づきのように、短縮して流布している表現で最も誤解を生みやすい翻訳部分は「賢者は歴史に学ぶ」の部分。何故なら「歴史に学ぶ」だと過去の先人しか意味しないので原文とは異なる
  先人ばかり追いかけ、自分と同時代に生きる人の経験には学ばないのでは本末転倒だろう。この違いは故意に訳されたものなのか? 今となってはわからないが、ここから考えさせられる。

  かつて、山本七平『日本はなぜ敗れるのか──敗因21カ条』小松真一『 虜人日記 』などが明らかにした事は、事前の戦力研究分析がありながら精神論で無視した愚昧を描いた。
 ところが、いま日本人の反省すべきは、家電・半導体産業、自動車産業において、日本は80~90年代までの栄光に胡坐をかき、新興国に研究しつくされながら対応を怠った失敗である。
 私は此の失敗に、旧日本軍が象徴する精神論で無視した愚昧
の再現を感じる。つまり、同じ日本人である旧軍部の冒した過ちから現代の企業経営者は学ばなかった。
  そこに慢心、成功体験への過信などは無かった、とは誰も言い切れまい? 多くの人が言う通り、停滞する30年の原因は、この変わらぬ愚かさである。

 上に挙げた例は「歴史に学ばなかった」との解釈だけでなく、日本人は同時代の他人=他国に学ばなかった例でもあると捉えれば、ビスマルクの格言どおりになる。
   要するに(温故知新)だけでは不十分であり、同時代の他者からも謙虚に学び続けなければ敗れる、そういうことだ。
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≪ 今朝のつぶやき ≫   外国人襲撃は中国庶民の鬱屈流れ出しか?    文法誤りの言い回しが消えない理由は?

2024-06-26 10:51:52 | トーク・ネットTalk Net
◇ 24日、江蘇省蘇州で日本人学校のスクールバスを待っていた日本人母子がナイフで襲われる事件が発生した。その前には大連で米国人4人が同様の襲撃に遭遇した。
  かねてからSNS経由で世界に拡散している中国人の粗暴な振る舞いと合わせ観ると、襲撃は単なる国民性の違いというより<長年抱いてきた中華意識の尊大さと西洋憎しの発露>そのものだ。
  これは香港返還後、予想通り自由と民主を消し去ったやり口が拡大した国民監視の重圧に加え、経済停滞・人口減少・失業率増加などが醸し出す閉塞感がじわじわ庶民レベルに及びだした証左だろう

  読売新聞によると「中国湖南省出身で日本国籍を持つ現代中国文学者・劉燕子(リウイェンズー) さん(58)(大阪市在住)が民主化運動が武力弾圧された1989年の天安門事件から35年に
  合わせて日本で著書を出版した後、中国に住む家族が中国当局から脅迫的な圧力を受けていたことがわかった」という。私の知る在日中国人も親族への迫害を恐れ、国籍取得に踏み切れず悶々とする。
   彼の場合は母国の公安当局からにらまれる活動はしていないが、内々の打ち解けた場では日本人の前でも習近平批判を猛烈に展開する。此の落差に私はいつも複雑な憐憫を覚えた。
 流行りの『コスパ』論でいうなら、既に中国への投資・生産活動はリスクがリターンを上回る危険ゾーンに入った。日本の経営者は『転ばぬ先の杖』に徹し、自分と社員を守って欲しいものだ。

 日刊ゲンダイ【ビジネスマナー常識チェック】(金森たかこ/マナー講師)

  最近定着したかにみえるビジネス場面での(可笑しな敬語)については、本コラムで何度も言ってきたが、おさらいがてら、講師が挙げている典型的な例を掲げてみよう。
   1)なぜか過去形:×「こちらの席でよろしかったでしょうか」 〇「こちらの席でよろしいでしょうか」・・今現在のことを聞いているのですから、過去形にする必要はありません。
   2)「ほう」は必要なときに:×「コートのほう、お預かりします」〇「コートをお預かりします」・・ぼかす必要がないときや、比べるものがない場合「ほう」は使いません。
   3) どんな形?: ×「ただ今、30分ほどお待ちいただく形になっております」〇「ただ今、30分ほどお待ちいただいております」・・「形」はどこにもありません。
   4)「~になる」は変化を表す:×「こちら、ランチセットになります」〇「こちら、ランチセットでございます」・・「~になります」は、「変化する」というニュアンスが含まれ、
     変化しないものには「です」「ます」「ございます」で締めくくるとスッキリします。 
   5) レジ前で:×「5000円からお預かりします」〇「5000円お預かりします」・・「から」は不要です。
         ×「1200円ちょうど、お預かりします」〇「1200円、頂きます(頂戴いたします)」・・「ちょうど」というからにはお釣りは出ないはず。
          この場合は、「お預かりします」ではなく「頂きます」「頂戴いたします」が適切です。
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さて、ここでWhy ? が必要になる。。。 このような表現は、言うまでもなくビジネス場面に限定されず、若者の日常会話に溢れているが、何故?

 若い人たちは何故このような言い方をやめようとしないのか? 文法の誤りが理解できる国語知識を高校で身に着けた者でさえ、やめない。それは『タイパ』が最も大きい理由かと類推できる。
 然し、余分な言葉:よろし<かった><~のほう><~から>の追加は『タイパ』にならない。<~になります>は変化ではないと気づきながら?敢えて使っているフシがある。 
 若い人たちの間で「此の表現はやっぱり変だよね」といった声が少しでもあるのか無いのか・・・・寡聞にして、私は知らない。 親を含め、周囲の年長者は指摘しているのか?

 やはり、やめない理由は、かねて私が推測してきたように【断言・断定表現の忌避/恐れ】だろうか?言い切る自信を持てるほど考えちゃいない、との自己防衛からか? 放っておいて良い?
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映画:『 90歳、何がめでたい! 』 佐藤愛子 原作   前田 哲 監督

2024-06-26 07:36:50 | 文芸批評
 昨日、妻と久しぶりに映画館へ足を運んだ。映画産業の衰退が叫ばれたのはいつのことだったか? と首を傾げるほど、映画館は平日の昼なのに予想以上の客足。
私は原作も読まぬまま妻の誘いに乗ったのだが、案の定、客席の9割が老人で埋まり、その8割以上は女性だった。言うまでもなく、中年以下の世代は殆ど居ない。
他のスクリーンへは若い世代の観客が大勢たむろしていたので、やはりというべきか、この作品への客層はハッキリしている。

 映画は、典型的な小説家生活をなぞりながら展開する。雑誌編集者・吉川(唐沢寿明)が主人公・佐藤愛子(草笛光子)にエッセイ連載を迫り続け、ついに口説き落とすところから始まる。
コメデイータッチに乗せながらも、シナリオは<人生100年時代スローガン>に戸惑い、毒づく老人が吐く言葉を縦軸に、編集者の” 典型的昭和男子像 ”のペーソス が横軸に編まれている。
客席に座る老人たちには【長生きへの戸惑い・世間への怒り】【昭和男と歩んだ身近な記憶】のどちらも『あるある感』そのもので、蘇っただろう。だが、不思議に笑いは聞こえてこなかった。
 ここを深堀してとことん生真面目に描けば(死生観)と(昭和時代の家庭像)に行きつき、もっと重く暗い作品となっただろうが、原作者・監督ともに、それは深入りせず避けている。

 さりながら「いまの50代以下の人では、どこまで此の二つの軸に共感をもてるだろうか?」と私は思った。此の作が問うテーマと時代、50以下の世代は子供だったので、どちらの軸も共有できまい。
原作者の佐藤愛子さんは昨年100歳を迎えたとエンディングに映し出されたので、著作は10年前?世に出たらしい。映画化されるまで10年を要した背景には世相の変化も与かったに違いない。
 今年90歳を迎えた草笛光子が健在で、題名と主役にピッタリだったという事情もあろう。往年の美形はさすがに丸く失われたが、眼ヂカラと声の張りは変わらず、まさに適役の演技だった。
唐沢寿明も還暦を過ぎ、味を出せる俳優となった。  最後に、ひとこと。昔と変わらず映画館の映写時、あんな大音量は不要と思うが実に五月蠅い! 老いてくると音に疲れ、堪える。
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公立学校で男女共学を選ばない埼玉県の突出した姿  その教育面での影響評価はどうなってる?

2024-06-24 20:51:33 | 時評
★【産経新聞】「別学は埼玉の特色」県立高校の共学化問題
・ 12校の男女別学校がある埼玉の県立高校。男女が同じ教育環境で学ぶことに「賛成」「反対」する立場、それぞれが理由とする中身・ホンネは何なのか? 要約すれば次のようだ。

* 共学化賛成の意見には「異性とともに学ぶことが異なる価値観を理解し、自己表現を発揮できる人材育成につながる」などがあった。
  一方、共学化反対では「生徒と保護者から多数の支持がある別学を廃止することは、多様性を尊重する現代において矛盾する行為」などとなった。
 ⇒ <多数の支持がある別学>の支持理由の中身は何かといえば:「別学教育は埼玉の特色。共学化に断固反対」(無所属県民会議議員)、「特色のある学校の存在が大切」(民主フォーラム)
   或いは「歴史的背景、ジェンダー平等の進展から別学を望む者もいる。急ぐことなく共学化を進めるべきだ」などとしており、早急な共学化に県議会共産党は疑問を残した。
    おい、まてよ「歴史的背景とは何?ジェンダー平等の進展から別学を望む者もいるとは?」 だからジェンダー平等に必ずしも共学は必須ではないという意味か? 
   別学でもジェンダー平等は進展するというのか? それをどう論証する?

〇 お気づきの通り、賛成派は「異性は異なる価値観を持つことを知り・理解する」ことに共学の価値を置いているのに対し、反対派の所論に価値判断は皆無で現状肯定しかない。
  共学反対派は「伝統だから、これが特色だから、皆が支持しているから」だけが論拠であり、<学びの場における価値観の違い・多様性を学ぶ>については反論もせず何も触れない。

   これは日本人社会における論理的討論回避の好例であり『嗚呼、またしてもこれか!』と私は辟易した。悲しいけれども、私が同朋に絶望・落胆するところだ。

★ 私立学校には男女別学で運営している学校もあるではないか?此の設問は本件においてナンセンスだ。何故なら、所得格差論とは別に、税金を拠出して運営される公立教育機関では
  憲法に始まる基本精神にそぐわない理念を肯定するのかどうか?が問われるからだ。 男女平等を学び、男尊女卑の差別を否定する教育が果たして非共学校でどこまで担保できるのか?
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