癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
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NO1413・聖者も同じ人間3

2024-07-13 | カレシュワーラ、スワミ

 どうして私たちは神にすべてを委ねなければならないのでしょうか?「神」というのは私たちが「ああ、ジーザスよ、聖母マリアよ、神聖な光よ」よと言う対象のことです。「神聖な光」と私たちは言いますが、神聖な光と言うのは光であり、エネルギーです。

 

 そのエネルギーを吸収した人々は、ある段階では非常におかしくなり、狂ったようになります。ところが私たちは彼らを崇拝し、完全に彼らが神であるように感じています。この奥底に隠れている真理とは、いったい何なのでしょうか?神聖な存在、聖者達、神聖な魂たちが世の中を騙しているのでしょうか?

 

 アヴァターであれば苦しまないで済むのでしょうか?もし苦しむのなら、彼らは神なのでしょうか?それとも人間なのでしょうか?もし彼らが人間なら、どうして私たちは彼らに祈りを捧げなければならないのでしょうか?

 

 シルディ・ババ、ラーマクリシュナ、パラマハンサ、そしてすべての聖者たちは人々を騙しているのでしょうか?いったいどこに大きな転換点がsるのでしょう?いったいどの時点で、人々は彼らのエネルギーを引き付けられるようになるのでしょうか?

 

 それは彼らの愛なのでしょうか?力なのでしょうか?瞑想力なのでしょうか?ヒーリングの能力なのでしょうか?彼らはあなたの苦しみを吸い出すことが出来るほど莫大なエネルギーを持っています。その奥深くにある仕組みとは一体何なのでしょうか?

 雨の合間にブルーベリーを初収穫し冷凍しました。梅雨が明けますと、毎日熟しますので、2~3週間毎朝収穫と草むしりになります。保存用の冷凍庫を税込み19,800円で買いました。

 

・悪霊の実態23

 この世は50:50の比率で進化と向上と維持が計られていることは何度も書いたが、人間の将来、過去もこの50:50の比率の中で行われている。そして人間は、人になる間と書きます。人つまり霊止(ひと)になる間の修行期間と言う事になります。ゆえに人間は金儲けや楽をするために生まれて来たのではなく、宇宙の進化と向上と維持を行う人になるために生まれて来たと言う事になります。つまり霊止になった人々が宇宙の秩序を行っていることになります。その比率が壊れたらどうなるでしょうか?つまり悪霊が多くなり、善なる魂の人が少なくなったらどうなるでしょうか?今になるのです。天地異変の世界になるのです。

 ではこの原因は何故おこるのでしょうか?物質を求めた結果でしょう?お金があれば自分が欲しいものを買う事が出来る。贅沢な生活が出来る。海外旅行にも行く事が出来る。人を支配する事が出来、王様のような生活が出来るなどでしょう。これらは全て思いの世界ですから、思いは永遠と続きます。100万円手に入ったら1000万円欲しくなります。キリが無いのです。キリがない希望を求めるから永遠に手に入らないから、そこに苦しみが発生します。それがストレスを生み、不幸な人生や病気で悩むことになるのです。

 それから脱出するためには、どの道を選ぶかによって変わる事になります。イバラな道を選ぶのか?足るを知って、人を恨むこともなく、悪口を言う事もなく、将来に不安もなく、毎日が楽しい人生とは、どうすれば可能になるのでしょうか?その為には光のエネルギーを吸収できるようにならなければなりません。そうなのです。この世の全ては光によって成り立っているのです。光を連想して下さい。温かい・まぶしい・輝き・包み込む・作物が育つ・気分が良くなる・陽気・溌剌・南国などいろいろ思い付くと思います。このように常に思えるようになると善なる神と同化しやすくなるのです。それが癖になると、自分には厳しく他人には慈悲深くなる性格が形成されます。

 反対はどうでしょうか?どこかの政治家のように、自分には甘く他人には厳しい性格になって行くでしょう。これが普通と思うようになると危険であります。類は友を呼ぶで、そのような人たちと同調するようになります。その仲間たちは・・・恨みが強く、妬みも強くなります。そのような心が強くなりますと、本能が強くなりますので、本能で生きている動物と同調しやすくなります。動物の世界は食うか食われるかで、他の事など考えず、自分が絶対なのです。自分がお腹を空かしている時に、自分は我慢して、より困っている仲間に分けようとはしません。

 これが続きますと動物霊が憑きやすくなるのです。それが肉体に現れて病気として現れます。この恨みと妬みの無い人はいるでしょうか?程度の差はあれ人間に生まれた者は全て持っているでしょう。私にはないと言う人はいるでしょうか?もしいれば、その人は来世は神になれる菩薩の人です。強いか弱いなのかなのです。そして、それを持ち越すかどうかなのです。今日非難され歯がゆい思いをしても、それを翌日に持ち越さないことが重要なのです。しつこい性格の人は、夜寝る前に強く思い歯を食いしばり、眠りに付きます。これが潜在意識に刻まれる仕組みなのです。そしてその思いが、同調するエネルギーを引き寄せることになるのです。思いは三千と言って何処にでも届くのです。 良い思いは善(神)に繋がります。悪い思いは悪(地獄霊)に繋がります。それは次元を超えて行くエネルギーなのです。

 とういう事は、相手にも伝えることが出来るわけですから、相手の霊に思いやりを持つことが大事になります。これが祈りであり、崇拝する目的と言えるでしょう。反対に悪霊に対しては、悪霊も神の子であったわけですから、憑依は益々自分を滅ぼす事を教える必要があると言う事になるでしょう。会話をするのではなく、教える必要があると言う事になります。普通の人はいったい何の話だろうかと思うでしょうが?一人でぶつぶつと言っている人に遭遇したことは無いですか?そこまで行かない内に切り替えが出来ているのが、普通の人なのです。順調に行っている時は切り替えは出来ますが、それが自分にとっては全ての物が失われた時、それが出来ますか?自分の物と思っていた恋人が去って行ったら、切り替えが出来ますか?その恋人が他のパートナと浮気していたら、切り替えが出来ますか?信頼していた人に裏切られたら切り替えができますか?一晩中考え不眠が続くのではないでしょうか?ゆえに過剰な執着を捨てない限り、誰にも起こる事なのです。

 

 


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