癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO1064・テナーリ・ラーマクリシュナ9,

2023-08-25 | カレシュワール・スワミ

 ある日、知識に富んだひとりの男が王国にやって来ました。「私にどんな質問をしても良いし、どんな言葉を紙に書かせてもよい。もし私が勝てば、この王国を譲ってもらおう。私がこの挑戦に負ければ、私の頭を切り落とすがよい」と王の下で働くすべてのパンディット(博識の人や学識者)に挑戦しました。

 

 インドではこのような事は普通にある事でした。沢山の人々がそんな大きな挑戦をして命を落としました。本当です。たくさんの、沢山の王たちがペヌコンダにやって来ました。当時、世界で一番裕福な王がクリシュナデーヴァラーヤでした。大変なお金持ちでした。残念ながら、その後、王の敵たちがインドからすべての物を奪いました。

 

 今もペヌコンダに存在する。開放的な大公会堂に王国中の人々がやって来ました。テナーリラーマクリシュナも村人たちと一緒に普通の人のように座っていました。王の側近たちはその知識に秀でた男にヴェーダーについての質問をし、その男は次々答えていきました。

 曇り空の中で犬の散歩中に私は葛藤の中で草取りです。草取りは普通のように思われますが、草にも神の魂が宿っています。草も生きているすべての物質は神が創造したものです。人間から見れば雑草は邪魔になるものですが、神は何かの意味があって創ったのでしょう。その神の創造した物を人間の都合で取り去って良いものかと葛藤するのです。生命を摘むと言うことはカルマではないか?と葛藤するのです。

 

 日本では食事の前に「頂きます」という言葉を発します。この頂きますとは、どういう意味でしょうか?を考えると少しは理解できるのですが、頂きますとは、あなたの尊い命を頂きますと言う意味で、食べる物に許しを得る言葉になります。その頂きますの後に続く言葉は、あなたの命を頂くことによって、私は神の喜ぶことが出来ますので、どうかお許しくださいになります。神の為、即ち自分の為ではなく、神が喜ぶ行為をする事。・・・・・それは、信仰と人を許し愛することであり、自分中心ではなく、自分の周りの人を幸にすることが一番で自分は二番という事になります。

 

 例えば肉体労働で人々の為に働く建設作業員は、肉体を動かすことが必要ですので、その原動力となるたんぱく質が必要でしょう。橋の建設をするのに栄養失調状態では危険です。この橋は自分の為ではなく、人々のための物でありますので、神は多少の肉や魚を食する事は許してくれるでしょうが?自分の肉体を喜ばせるために食べればカルマになるでしょう。ゆえに食べるとは、一つの生命を摘むわけですから、その見返りとして、その生命が何倍も喜ぶ行為をしなければなりません。

 

 私の草取りは、あなた方の命を頂きますが、その代わり癒し犬を育て、何時の日にか、生きとし全ての生命を大事にする魂の宿る人々に導きたいと思っています。どうかお許しください。になります。草の中で育てても良いのですが、塚原地区はマダニが多い事で有名で、マダニは草の裏に住み着きますので、野焼きをするか、草を刈る以外にないのです。どうかご理解ください。と思いながら草取りをしています。許されるかどうかは、・・・・・神のみ知るです。


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