幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

寒暖計の日

2010-12-05 18:06:46 | Weblog
柴田方庵と云う人がいます。
常陸の人で「柴田方庵日録」を書いています
ちなみに種痘で有名です。

お天気デ-タを取り込んでおりましたら「寒暖昇降」(寒暖計)
製作の記事がありました。

記事を抜書きしてみますと、
 江戸で
 天保十年二月二十九日 徳川斉昭卿に「御通懸ケ御目見へ」
     三月二日   御用人 鵜殿平七殿より急な呼び出しがあり、
            「種痘法、晴雨昇降、寒暖昇降」について訊かれる。

小石川の水戸邸で徳川斉昭から御用人を通して晴雨昇降(気圧計)、寒暖昇降(気温計)
について訊かれたことが書かれています。
すでに、晴雨昇降(気圧計)、寒暖昇降(気温計)の作成を志していたのでしょうか。

ついで、弘化二年六月廿七日、「晴、酷暑、寒熱昇降九十度(摂氏32.2度)ニイタル」
とあります。

舶来か自分で作成したのかは分かりませんが、方庵は寒暖昇降を持っています。

嘉永元年十二月十四日 「七ツ頃拝診之節、寒暖昇降造作之義被仰付、早速玉屋江管可申付事」
       十五日 「十四日被仰付候寒暖昇降管、鑑屋町玉屋江十本申付候、四五日之内製作
            可差上約定」
       十九日 「寒暖昇降十五本出来」

嘉永二年正月六日 「明七日、午後より寒暖昇降製作之為、罷出候様、和仁氏より書状
          四?拵?付置候昇降器十五本今日差上候」
      七日 「九ツ半頃より寒暖昇降製造之為、御上江罷出日暮頃帰宅」
      八日 「九ツ半頃より寒暖昇降製造ニ御、御上江罷出、六ツ過頃帰宅」
    二月三日 「八ツ頃より御上江出、寒暖昇降製作、日暮頃帰宅、右昇降器四本御預り帰る」
    二月十六日「昇降器製作、初中点六拾度ヲ定ム」
    二月廿四日「寒暖昇降製成就」

とあります。
この記事は長崎での記事で、拝診したのは 長崎奉行 井戸対馬守様ですので、長崎奉行の井戸様
の依頼で寒暖昇降を製作したことがわかります。

 先ず、命令を受けて、玉屋に五日で、昇降管を作らせています。
玉屋はビ-ドロ屋だったのでしょうか。
ともあれ、次の年の一月七日から、長崎奉行所に行き作製に取り掛かっていますが、
能率が悪かったのでしょうか、二月三日からは、自宅で製作にあたっています。

試行錯誤があったのでしょう、約一ヶ月半後に「寒暖昇降製成就」しています。

柴田方庵はこの他に、兵糧としてのビスケットの製法を水戸藩に書き送っています。
この日を「ビスケット」の日と定めているようです。

としますと、

二月二十四日は「寒暖計の日」と致しましょう。     




何気なく、ぶら下がっている寒暖計に感謝したします。

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3 コメント

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寒暖計 (ぽんた)
2010-12-07 23:10:20
「常陸」「徳川斉昭」と、聞き慣れた言葉が嬉しいですv

江戸時代は気温が低めだと聞いた事がありましたが、「32.2度ニイタル」とは驚く程の暑さだったのでしょうね。
それを考えると、最近の夏の暑さは異常ですよね・・。時々、不安を感じました。

それから、読み違えたらすみません。
(気温計)は「晴雨昇降」で良いですか?


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ご指摘ありがとうございます。 (いろは丸)
2010-12-08 15:47:34
ご指摘ありがとうございます。
気圧計と気温計をごちゃごちゃにして
しまいました。
早速、直させていただきました。
元来の粗忽者です。
間違いが多いので、またよろしく
御願いします。
返信する
こちらこそ (ぽんた)
2010-12-11 00:44:59
お返事ありがとうございますv

私もよく間違います(笑)
こちらこそ、よろしくお願い致します。
返信する

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