![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a4/04edff26fb7d325d335d569ceaa5f2fd.jpg)
柴田方庵と云う人がいます。
常陸の人で「柴田方庵日録」を書いています
。
ちなみに種痘で有名です。
お天気デ-タを取り込んでおりましたら「寒暖昇降」(寒暖計)
製作の記事がありました。
記事を抜書きしてみますと、
江戸で
天保十年二月二十九日 徳川斉昭卿に「御通懸ケ御目見へ」![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ikari.gif)
三月二日 御用人 鵜殿平七殿より急な呼び出しがあり、
「種痘法、晴雨昇降、寒暖昇降」について訊かれる。
小石川の水戸邸で徳川斉昭から御用人を通して晴雨昇降(気圧計)、寒暖昇降(気温計)
について訊かれたことが書かれています。
すでに、晴雨昇降(気圧計)
、寒暖昇降(気温計)の作成を志していたのでしょうか。
ついで、弘化二年六月廿七日、「晴、酷暑、寒熱昇降九十度(摂氏32.2度)ニイタル」![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/s2_sum_suika.gif)
とあります。
舶来か自分で作成したのかは分かりませんが、方庵は寒暖昇降を持っています。
嘉永元年十二月十四日 「七ツ頃拝診之節、寒暖昇降造作之義被仰付、早速玉屋江管可申付事」
十五日 「十四日被仰付候寒暖昇降管、鑑屋町玉屋江十本申付候、四五日之内製作
可差上約定」
十九日 「寒暖昇降十五本出来」
嘉永二年正月六日 「明七日、午後より寒暖昇降製作之為、罷出候様、和仁氏より書状
四?拵?付置候昇降器十五本今日差上候」
七日 「九ツ半頃より寒暖昇降製造之為、御上江罷出日暮頃帰宅」
八日 「九ツ半頃より寒暖昇降製造ニ御、御上江罷出、六ツ過頃帰宅」
二月三日 「八ツ頃より御上江出、寒暖昇降製作、日暮頃帰宅、右昇降器四本御預り帰る」
二月十六日「昇降器製作、初中点六拾度ヲ定ム」
二月廿四日「寒暖昇降製成就」
とあります。
この記事は長崎での記事で、拝診したのは 長崎奉行 井戸対馬守様ですので、長崎奉行の井戸様
の依頼で寒暖昇降を製作したことがわかります。
先ず、命令を受けて、玉屋に五日で、昇降管を作らせています。
玉屋はビ-ドロ屋だったのでしょうか。
ともあれ、次の年の
一月七日から、長崎奉行所に行き作製に取り掛かっていますが、
能率が悪かったのでしょうか、二月三日からは、自宅で製作にあたっています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/udon.gif)
試行錯誤があったのでしょう、約一ヶ月半後に「寒暖昇降製成就」しています。
柴田方庵はこの他に、兵糧としてのビスケットの製法を水戸藩に書き送っています。
この日を「ビスケット」の日と定めているようです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/etc_fire.gif)
としますと、
二月二十四日は「寒暖計の日」と致しましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a4/04edff26fb7d325d335d569ceaa5f2fd.jpg)
何気なく、ぶら下がっている寒暖計に感謝したします。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fine_face.gif)
常陸の人で「柴田方庵日録」を書いています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0169.gif)
ちなみに種痘で有名です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0172.gif)
製作の記事がありました。
記事を抜書きしてみますと、
江戸で
天保十年二月二十九日 徳川斉昭卿に「御通懸ケ御目見へ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ikari.gif)
三月二日 御用人 鵜殿平七殿より急な呼び出しがあり、
「種痘法、晴雨昇降、寒暖昇降」について訊かれる。
小石川の水戸邸で徳川斉昭から御用人を通して晴雨昇降(気圧計)、寒暖昇降(気温計)
について訊かれたことが書かれています。
すでに、晴雨昇降(気圧計)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
ついで、弘化二年六月廿七日、「晴、酷暑、寒熱昇降九十度(摂氏32.2度)ニイタル」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/s2_sum_suika.gif)
とあります。
舶来か自分で作成したのかは分かりませんが、方庵は寒暖昇降を持っています。
嘉永元年十二月十四日 「七ツ頃拝診之節、寒暖昇降造作之義被仰付、早速玉屋江管可申付事」
十五日 「十四日被仰付候寒暖昇降管、鑑屋町玉屋江十本申付候、四五日之内製作
可差上約定」
十九日 「寒暖昇降十五本出来」
嘉永二年正月六日 「明七日、午後より寒暖昇降製作之為、罷出候様、和仁氏より書状
四?拵?付置候昇降器十五本今日差上候」
七日 「九ツ半頃より寒暖昇降製造之為、御上江罷出日暮頃帰宅」
八日 「九ツ半頃より寒暖昇降製造ニ御、御上江罷出、六ツ過頃帰宅」
二月三日 「八ツ頃より御上江出、寒暖昇降製作、日暮頃帰宅、右昇降器四本御預り帰る」
二月十六日「昇降器製作、初中点六拾度ヲ定ム」
二月廿四日「寒暖昇降製成就」
とあります。
この記事は長崎での記事で、拝診したのは 長崎奉行 井戸対馬守様ですので、長崎奉行の井戸様
の依頼で寒暖昇降を製作したことがわかります。
先ず、命令を受けて、玉屋に五日で、昇降管を作らせています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/s2_sum_furin.gif)
ともあれ、次の年の
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kagamimochi.gif)
能率が悪かったのでしょうか、二月三日からは、自宅で製作にあたっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/udon.gif)
試行錯誤があったのでしょう、約一ヶ月半後に「寒暖昇降製成就」しています。
柴田方庵はこの他に、兵糧としてのビスケットの製法を水戸藩に書き送っています。
この日を「ビスケット」の日と定めているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/etc_fire.gif)
としますと、
二月二十四日は「寒暖計の日」と致しましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_hatsuhinode.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a4/04edff26fb7d325d335d569ceaa5f2fd.jpg)
何気なく、ぶら下がっている寒暖計に感謝したします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fine_face.gif)
江戸時代は気温が低めだと聞いた事がありましたが、「32.2度ニイタル」とは驚く程の暑さだったのでしょうね。
それを考えると、最近の夏の暑さは異常ですよね・・。時々、不安を感じました。
それから、読み違えたらすみません。
(気温計)は「晴雨昇降」で良いですか?
気圧計と気温計をごちゃごちゃにして
しまいました。
早速、直させていただきました。
元来の粗忽者です。
間違いが多いので、またよろしく
御願いします。
私もよく間違います(笑)
こちらこそ、よろしくお願い致します。