幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

小天狗亀吉、三井卯吉惨殺時の天気 安政四年一月四日(西暦1857年1月29日) その1

2014-11-03 21:30:45 | Weblog
リクエスト頂きました。
安政4年一月四日、甲府の天気を調べて見ました。
「当日は、甲府で勢力をもっていた博徒頭・三井卯吉(猿屋勘助)が甲府の山田町の妾宅で殺されました。下手人は市川大門の無宿小天狗亀吉と総勢11名。卯吉の遺体は妾(”しも”という名)と共に五体バラバラに切断され、言い伝えでは、亀吉は門松に隠して卯吉の首を持ちかえったとのことです。」(与左衛門様より御教示頂きました)

とにかく、大変陰惨な殺戮だったようです。
絵金の屏風を思い起こさせる光景ですね。www.muian.com/muian04/04ekin.htm

ともあれ、当日の天気を予想して見たいと思います。

安政四年の元旦(西暦1857年1月26日)の天気図をみますと (天気図が小さくて、すみません。)

となっていて、全国的に穏やかな天気でした。

水戸の大高氏記録によりますと、「朝より至極快晴ニ而寒気殊之外つよし辰巳之方ニ薄横雲すこしあり、終日穏にて、九ツ過より少暖気風なり、夜ニ入くもる」とありまして、朝は放射冷却があり、気温が下がったようですが、おだやかな年明けとなった模様です。


安政四年一月二日は、



となっていて雨や雪、雷の印が日本の南岸に散らばっています。
正午ちかくの天気図ですが、天気の動きが分かりにくいので、各地の降水を追っていきますと、

鹿児島県 肝属郡高山では「霰天」
熊本県阿蘇郡南阿蘇村では「雪降風吹寒強シ」
山口県美祢市では「天気寒シ、雪降出」
京都では「晴、申半刻(夕方4~5時頃)ヨリ雨」
愛知県岡崎では「快晴、夕方より曇ル、夜入雪」
東京では「晴、、、同夜半より雪大分降」
八王子では「曇、此夜雪六七寸程ふる」

とありますように、本州の南岸を通過する、俗に言う「南岸低気圧」の影響で、九州で日中の降水が、段々東へ移動し、関東では二日夜半から三日暁にかけて、にかけて30センチ弱の雪が降った模様です。
この降雪が甲府では、どうだったのかが気になる所ですが、曇、晴【甲府付近の天候表】とあるだけで、史料が十分でなく、はっきりしません。

安政四年一月三日の天気図をみますと

となっていまして、低気圧通過後東日本は天気が回復したのですが、近畿、九州、四国地方には強い寒気の流入があったようで、雪や曇りとなっています。関東地方では寒気の流入を感じさせる、強い西風が吹いています。

いよいよ、安政四年一月四日の天気となりますが、大分長くなって来ましたので、すこし御休みをいただきます。






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2 コメント

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四日の分が待ち遠しいです (与左衛門)
2014-11-11 18:47:23
三日の夜、八王子では雪が降っていましたか!
ということは甲府辺りにも残雪くらいはあったかもしれませんね。(もっとも笹子トンネルを越えると天気は激変しますが…)
余談ながら、卯吉の死亡時期は長年不明とされいて、子母澤寛は弘化4年をそれに当てており、講談では安政六年とする、などとばらつきがありました。一昨年山梨県の博物館の研究で安政4年正月までが明らかにされたのですが、もう少し史料を見てみますと、極めて些細な記述ですが「巳年、正月四日夜」の箇所が見つかるんです。

一月四日の記事は待ち遠しいですが、どうぞ御都合に合わせてごゆっくり上げてください。今回は本当に有難うございました。
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Unknown (与左衛門)
2014-11-11 18:49:57
そう、「絵金」という方の絵ははじめてしりましたが、検索してみると、素晴らしいですね。まさにこの事件にぴったりの絵師だと思います。
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