永子の窓

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枕草子を読んできて(113)その1

2019年03月09日 | 枕草子を読んできて
一〇〇  ねたきもの  (113) その1  2019.3.9

 ねたきもの これよりやるも、人の言ひたる返事も、書きてやりつる後に、文字一つ二つなどは思ひなほしたる。とみの物縫ふに、縫ひ果てつと思ひて、針を引き抜きたれば、はやう結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるも、いとねたし。
◆◆いまいましいもの こちらから送る手紙でも、人が言ってきてる手紙の返事でも、書いてしまった後で、文字の一つや二つなどは考えなおしているの。急ぎの物を縫うときに、縫い終わってしまったと思って、針を引き抜いたところ、もともと糸の尻を結んでおかなかったのだった。また、裏表を反対に縫っているのも、ひどくいまいましい。◆◆

■ねたきもの=してやられたとか、しくじったとか、他に対して引け目を覚えて、忌々しい、癪だと感じる気持ち。

■はやう結ばざりけり=「はやう……けり」で「もともと……だったのだ」の意。



 南の院におはします頃、西の対に殿のおはします方に、宮もおはしませば、神殿にあつまりゐて、さうざうしければ、たはぶれ遊びをし、渡殿にあつまりてゐなどしてあるに、「これただいま、とみの物なり。たれもたれもあつまりて、時かはさず縫ひてまゐらせよ」とて、平絹の御衣を給はせたる。
◆◆三条南の院に中宮様がおいであそばしたころ、西の対屋に御父君(藤原道隆)がおいであそばすそちらの方に、中宮様もおいであそばすので、女房たちは神殿に集まって座って、取り残された感じで物さびしいので、遊びふざけたり、渡殿に出て集まって座ったりなどしているところに、「これは、たった今、大急ぎの物だ。みな集まって、時を移さず縫ってさしあげよ」ということで、平絹のお召し物をお下げ渡しあそばしている。◆◆

■南の院=東三条南院。道隆邸。正暦四年(993)三月焼失、後再建、同五年十一月道隆はここに還り、長徳元年(995)四月六日出家、中宮は同日行啓、十日道隆は薨じた。この折の事の回想記といわれるが、女房の言動などのんびりしすぎているようでもある。一説、焼失以前に行啓のあった折のこととする。

■平絹(ひらぎぬ)=綾目のない平織にした絹。



 南面にあつまりゐて、御衣片身づつ、たれかとく縫ひ出づるといどみつつ、近くも向はず縫ふさまもいと物ぐるほし。命婦の乳母、いと縫ひ果ててうち置き、つづきにゆだけのかたの御身を縫ひつるがそむきざまなるを見つけず、とじ目もしあへず、まどひ置きて立ちぬるに、御背合はせむとすれば、はやうたがひにけり。笑ひののしりて、「これ縫ひなほせ」と言ふを、「たれかあしう縫ひたりと知りてかなほさむ、綾などならばこそ、縫ひたがへの人のげになほさめ、無紋の御衣なり。何をしるしにてか。なほす人たれかあらむ。ただまだ縫ひたまはざらむ人になほさせよ」とて、聞きも入れねば、「さ言ひてあらむや」とて、源少納言、新中納言などいふ、なほしたまひし顔見やちてゐたりしこそをかしかりしか。これは、よさりののぼらせたまはむとて、「とく縫ひたらむ人を、思ふと知らむ」と仰せられしか。
◆◆みなは、南面(みなみおもて)に集まって座って、お召し物を片身ずつ、誰が早く縫い上げるかと競争して、近くに向かい合いもせず縫う様子はひどく気違いじみている。命婦の乳母が、糸で身頃を縫い終えて、下に置き、続いて裄丈の御片身を縫った、それが裏表取り違えているのに気が付かず、糸の結び止めもし終えずに、大慌てにあわてて置いて立ってしまったのに、御背を合わせようとすると、はじめから違ってしまっていたのだった。大騒ぎして笑って、「これを縫い直しなさい」と言うのを、「だれが間違って縫ったのかと知って直すものですか。綾だったら縫い間違えた人が直すはずでしょうが、これは無紋のお召し物です。何を目印にしてと言うのですか。だから縫い直す人がいるはずがありません。ただ、まだお縫いにならない方に直させてください」と言って、聞き入れないので、「そんなことを言ってこのままにしておけようか」というわけで、源少納言、新中納言などという中宮付きの女房がお縫い直しになった顔を遠くから見て座っていたのこそおもしろかった。これは、夜分中宮様が参内あそばされようということで、「早く縫いあげよう人を、私を思ってくれると知ろう」と仰せられたのだ。◆◆

■命婦の乳母(みょうぶのめのと)=中宮の乳母。

■つづきにゆだけのかたの……=続いて裄丈の片身を縫ったのが裏表取り違えているのを。

■仰せられしか=…「しか」で結ぶのは不審。

*写真は女房達の仕事・縫い物。


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