永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(798)

2010年08月01日 | Weblog
2010.8/1  798回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(17)

山寺では阿闇梨が八の宮に付き切りでご看病申し上げております。そして八の宮に、

「はかなき御なやみと見ゆれど、限りの度にもおはしますらむ。君達の御こと、何か思し歎くべき。人はみな御宿世といふもの異々なれば、御心にかかるべきにもおはしまさず」
――ほんの軽いご病気にも見えますが、あるいはこれがご最期でいらっしゃるかも知れません。姫君たちのことをどうして歎くことがありましょう。人は皆それぞれに宿世が異なっていますれば、何もご心配なさることでもございますまい――

 と、いよいよこの世を厭離なさるべきことを申し渡されて、

「今更にな出で給ひそ」
――今は決して山をお下りなさいますな――

 とお諌め申し上げるのでした。

「八月二十日の程なりけり。大方の空の気色もいとどしき頃、君達は、朝夕霧の晴るる間もなく、おぼし歎きつつながめ給ふ」
――八月二十日頃になりました。空の色もひとしお物悲しい季節に、姫君達は朝夕涙の乾くひまもなく、心配で歎き悲しんでおりました――

「有明の月のいとはなやかにさし出でて、水の面もさやかに澄みたるを、そなたの蔀あげさせて、見出し給へるに、鐘の声かすかに響きて、明けぬなり、ときこゆる程に、人々来て『この夜中ばかりになむ亡せ給ひぬる』と泣く泣く申す」
――有明の月がくっきりと冴え出でて、遣水の面も澄み渡って見えます。山寺に面した蔀戸(しとみど)を上げさせてはるかにご覧になっていますと、寺の鐘の音がかすかに響き渡って、夜が明けた様子に思える時分に、寺から使いの者が来て、「この夜中にとうとうお亡くなりになりました」と泣く泣く申し上げます――

 姫君たちはご容態はどうでしょうと、ずっとご心配になっていましたのに、ご逝去とお聞きになっては、悲しみに涙もどこかへ行ってしまわれたのでしょうか、

「ただうつぶし臥し給へり」
――ただもう、うつ臥しておしまいになっていらっしゃる――

◆蔀(しとみ)=寝殿造りで、格子組みの裏に板を張り、日光を遮ったり、風雨を防いだりした戸。釣蔀(つりじとみ)、半蔀(はじとみ)、立て蔀などの種類があり、また材料により、板蔀・竹蔀の名称がある。

では8/3に。

源氏物語を読んできて(宇治神社)

2010年08月01日 | Weblog
宇治神社        

京都府宇治市宇治山田

 ご祭神は、応神天皇の皇子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。
菟道稚郎子は、宇治の八の宮(光源氏の異母弟。大君・中の君・浮舟の父)のモデルになったとされる人物です。

源氏物語を読んできて(宇治上神社)

2010年08月01日 | Weblog
宇治上神社(うじがみじんじゃ)       

京都府宇治市宇治山田

 世界文化遺産。ご祭神は菟道稚郎子・父の応神天皇・兄の仁徳天皇。宇治の八の宮邸は、菟道稚郎子の宮居・桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)の跡と伝わる宇治神社や宇治上神社がある辺りと想定されています。
 
【世界遺産 宇治上神社】
1.離宮上社とも。式内社
2祭神 応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
3現在地は、応神天皇の皇子菟道稚郎子の離宮であった桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)の旧跡と伝える。
 明治期以前は宇治離宮明神、宇治離宮八幡などともいわれたが、明治初期に上・下二社に分かれた。
4.平安時代に建立された本殿は三棟の一間社流造をつなぐ構造をとり、現存最古の社殿といわれる。

 ※応神天皇の末の皇子、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は幼くして学を好み広く書物に通じ、明徳なるゆえに天皇より愛され皇太子として立てられたが、天皇が亡くなり、太子は義を重んじて敢えて位につかず、兄(のちの仁徳天皇)に位を譲られた。兄も「先帝の定められたことを軽々にこれを変えることは出来ぬ」と、兄弟位を譲りあうこと3年、人民惑い、天下大いに乱れた。これを憂いて弟君「久しく生きて天下を煩らわさむ」と自ら命を絶たれ、兄君を皇位に即(つ)かせられた。