2010.8/13 804
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(23)
匂宮はまだ朝霧の深い頃に、急ぎお起きになって、宇治へお便りをお書きになります。
「(歌)『朝霧に友まどはせる師かの音を大かたにやはあはれとも聞く』諸声はおとるまじくこそ」
――(歌)「朝霧の中に友とはぐれた鹿の声を、いい加減な思いで聞くでしょうか」父君に先立たれた貴女方には十分にご同情申しておりますよ――
と、御文にありましたが、大君のお心の内では、
「あまり情けだたむもうるさし、一ところの御かげにかくろへたるを頼み所にてこそ、何事も心やすくて過ぐしつれ、心より外にながらへて、思はずなる事のまぎれ、つゆにてもあらば、うしろめたげにのみおぼしおくめりし、亡き御魂にさへ疵やつけ奉らむ、と、なべていとつつましうおそろしうて、きこえ給はず」
――あまり情を頼みと解して振る舞うのも後々面倒になりそうですし、今までは父君お一人の庇護のもとにあるのを唯一の頼みとして、何事にも安心して過ごして来ましたが、望みもせぬのに生き長らえて、思いがけぬ何かの過まちが少しでも起こっては、あれほど気懸りにばかり思いおかれたらしい亡き父君の御魂にまで、疵をおつけすることになるでしょう。と、何事にも慎ましく、恐ろしくて、お返事を差し上げられないのでした――
「この宮などをば、かろらかにおしなべてのさまにも思ひきこえ給はず。なげの走り書い給へる御筆づかい言の葉も、をかしきさまになまめき給へる御けはひを、あまたは見知り給はねど、これこそはめでたきなめれ、と見給ひながら、そのゆゑゆゑしく情けある方に言をまぜきこえむも、つきなき身の有様どもなれば、何か、ただかかる山伏だちて過ぐしてむ、とおぼす」
――(かといって)この匂宮を世間並みの軽々しい御方とはお思いになっているわけではありません。このような懸想めいた御文などほとんどご存知ないのですが、ちょっとした走り書きの御手蹟や文面にも趣深さが感じられて、これこそはたいそうご立派なものだとはご覧になるものの、その深みも情もある御文にお応え申し上げるには、あまりに不似合いなご自分たちの境遇であってみれば、いっそこの山里に、ただ行者か何かのように引き籠もって、世を終えようとお思いになるのでした――
「中納言殿の御返りばかりは、かれよりもまめやかなるさまに聞こえ給へは、これよりもいと気疎げにはあらず、きこえ通ひ給ふ」
――中納言殿(薫中納言)へのお返事だけは、そちらからも真面目なご様子でお便り申されますので、こちらも、そう素っ気なくはせず、御文のやりとりをなさっております――
では8/15に。
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(23)
匂宮はまだ朝霧の深い頃に、急ぎお起きになって、宇治へお便りをお書きになります。
「(歌)『朝霧に友まどはせる師かの音を大かたにやはあはれとも聞く』諸声はおとるまじくこそ」
――(歌)「朝霧の中に友とはぐれた鹿の声を、いい加減な思いで聞くでしょうか」父君に先立たれた貴女方には十分にご同情申しておりますよ――
と、御文にありましたが、大君のお心の内では、
「あまり情けだたむもうるさし、一ところの御かげにかくろへたるを頼み所にてこそ、何事も心やすくて過ぐしつれ、心より外にながらへて、思はずなる事のまぎれ、つゆにてもあらば、うしろめたげにのみおぼしおくめりし、亡き御魂にさへ疵やつけ奉らむ、と、なべていとつつましうおそろしうて、きこえ給はず」
――あまり情を頼みと解して振る舞うのも後々面倒になりそうですし、今までは父君お一人の庇護のもとにあるのを唯一の頼みとして、何事にも安心して過ごして来ましたが、望みもせぬのに生き長らえて、思いがけぬ何かの過まちが少しでも起こっては、あれほど気懸りにばかり思いおかれたらしい亡き父君の御魂にまで、疵をおつけすることになるでしょう。と、何事にも慎ましく、恐ろしくて、お返事を差し上げられないのでした――
「この宮などをば、かろらかにおしなべてのさまにも思ひきこえ給はず。なげの走り書い給へる御筆づかい言の葉も、をかしきさまになまめき給へる御けはひを、あまたは見知り給はねど、これこそはめでたきなめれ、と見給ひながら、そのゆゑゆゑしく情けある方に言をまぜきこえむも、つきなき身の有様どもなれば、何か、ただかかる山伏だちて過ぐしてむ、とおぼす」
――(かといって)この匂宮を世間並みの軽々しい御方とはお思いになっているわけではありません。このような懸想めいた御文などほとんどご存知ないのですが、ちょっとした走り書きの御手蹟や文面にも趣深さが感じられて、これこそはたいそうご立派なものだとはご覧になるものの、その深みも情もある御文にお応え申し上げるには、あまりに不似合いなご自分たちの境遇であってみれば、いっそこの山里に、ただ行者か何かのように引き籠もって、世を終えようとお思いになるのでした――
「中納言殿の御返りばかりは、かれよりもまめやかなるさまに聞こえ給へは、これよりもいと気疎げにはあらず、きこえ通ひ給ふ」
――中納言殿(薫中納言)へのお返事だけは、そちらからも真面目なご様子でお便り申されますので、こちらも、そう素っ気なくはせず、御文のやりとりをなさっております――
では8/15に。