永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(807)

2010年08月19日 | Weblog
2010.8/19  807

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(26)

「ひきとどめなどすべき程にもあらねば、飽かずあはれにおぼゆ」
――このような折にはお引きとどめすべきではないとお思いになるものの、薫はやはり物足りなくてなりません――

「老い人ぞ、こよなき御かはりに出で来て、昔今をかき集め、悲しき御物語りどもきこゆる。有難くあさましき事どもをも見たる人なりければ、かうあやしく衰へたる人ともおぼし棄てられず、いとなつかしうかたらひ給ふ」
――老い人(弁の君)が、とんでもない代理として出てきて、昔から今までの悲しい出来事を薫に申し上げます。世にも稀な驚くべき事実を見てきた人なので、今はこうも
やつれ衰えた姿であっても、薫は思い棄てることもできず、しんみりと語り合っていらっしゃるのでした――

 薫は、

「いはけなかりし程に、故院に後れ奉りて、いみじう悲しきものは世なりけりと、思ひ知りにしかば、人となりゆく齢にそへて、官位、世の中のにほひも、何とも覚えずなむ」
――わたしが幼少の頃に六条院(源氏)に先立たれ申して、たいそう悲しいものは現世であると、つくづく思い知ったわけですが、成人していく年齢につれて、一層栄達の官位やこの世の栄華に興味が無くなってしまったのです――

「ただかう静やかなる御すまひなどの、心にかなひ給へりしを、かくはかなく見なし奉りつるに、いよいよいみじく、かりそめの世の思ひ知らるる心ももよほされにたれど、心苦しうてとまり給へる御事どもの、ほだしなど聞こえむは、かけかけしきやうなれど、ながらへても、かの御言あやまたず、聞こえうけたまはらまほしさになむ」
――ただこう宇治の静かなお住いなどが気に入っていたものを、こうして宮のご逝去を拝しましては、いよいよこの世が儚く、無常の世が思い知られる心もさらに湧いてきたのですが、お気の毒な有様で後に残された姫君達に、宮との約束めいたことなどを申しては、懸想めいているようですし。私は生き長らえているうちは、宮の御遺言に背かず、ご相談相手になりたくてね――

「さるは、おぼえなき御古物語聞きしより、いとど世の中の跡とめむとも覚えずなりにたりや」
――とは言え、思いがけないあなたの昔話を聞いてからは、なおのこと、この世を生き延びようとも思えなくなってしまいましたよ――

 と、お泣きになりながら、しみじみおっしゃいますので、弁の君も激しく泣いて、お返事申し上げることもできません。

「御けはひなどのただそれかと覚え給ふに、年頃うち忘れたりつるいにしへの御事をさへ取り重ねて、聞こえやらむ方もなく、おぼほれ居たり」
――(薫の)お姿、物越しが全く亡き柏木かと思うほど似ていらっしゃるので、弁の君は、久しく忘れていた昔のことまでも新たに思い出されて、何と申し上げてよいものやら、涙にくれてぼおっとしているのでした――

◆悲しき御物語りども=柏木と女三宮の秘密のこと。

◆ほだし=絆=手かせ、足かせ。自由を束縛するもの。

◆かけかけしき=懸け懸けしき=(多くは男女に関することに)好色めいた気持ちを抱く。

では8/21に。