永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(799)

2010年08月03日 | Weblog
2010.8/3  799回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(18)

「いみじきことも、見る目の前にて、おぼつかなからぬこそ常のことなれ、おぼつかなさそひて、おぼし歎くこと道理なり。しばしにても、後れ奉りて、世にあるべきものと、おぼしならはぬ御心地どもにて、いかでかは、後れじ、と泣き沈み給へど、限りある道なりければ、何のかひなし」
――悲しい死別といっても、目の前で心残りなくお別れするのが普通ですのに、このようなお別れでは気持ちの整理もおできになれず、お嘆きになるのも無理からぬものです。父宮に先立たれましては、しばらくも生きていられようとは思ってもいないお二人ではあっても、これが宿世であってみれば、どうにもならないことなのでした――

 「阿闇梨、年頃契り置き給ひけるままに、後の御事もよろづに仕うまつる」
――阿闇梨は、八の宮が年来お頼みして置かれたとおりに、ご逝去の後のお作法も万事滞りなくなさいます――

 大君が、

「亡き人になり給へらむ御様、容貌をだに、今いちど見奉らむ」
――亡き人になられた父上のお顔、お姿だけでもせめてもう一度拝したいのですが――

 とお願い申し上げますが、阿闇梨は、

「今更に、なでふ然ることか侍るべき。日頃も、またあひ見給ふまじきことを聞こえ知らせつれば、今はまして、かたみに御心とどめ給ふまじき御心づかひを、ならひ給ふべきなり」
――どうして今更にそのような事をいたしましょうか。かねても再び姫君方にお逢いしてはならぬことを、宮に申し上げておいたのですが、亡くなられた今はまして、お互いに執着心が残られぬようなご配慮をお持ちにならねばなりませぬ――

 とのみ仰るのでした。姫君たちは、

「おはしましける御有様を聞き給ふにも、阿闇梨のあまりさかしき聖心を、憎くつらしとなむ思しける」
――父宮が山に御参籠中のご様子をお聞きになるにつけても、阿闇梨のあまりにも悟りすました道心を、憎くも辛いとも思うのでした――

◆写真:三室戸寺(みむろとじ)         
京都府宇治市菟道滋賀谷
 八の宮は師事する阿闍梨(あじゃり)の山寺にこもって他界します。この山寺は、三室戸寺がモデルと考えられています。

では8/5に。