永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(811)

2010年08月27日 | Weblog
2010.8/27  811

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(30)

「雪霰降りしく頃は、いづくもかくこそはある風の音なれど、今始めて思ひ入りたらむ山住みのここちし給ふ。女ばらなど、『あはれ、年はかはりなむとす。心細く悲しき事を。あらたまるべき春待ち出でてしがな』と、心を消たず言ふもあり。難き事かな、と聞き給ふ」
――雪や霰(あられ)が吹きすさぶ頃は、どこもこのような荒ぶる風の音がするものですが、姫君たちには今はじめて分け入った山住みのように感じられて、侘びしさもひとしおです。侍女たちが、「ああ、今年も暮れてしまうのですね。心細く悲しい事は今年までにして。めでたいことの廻ってくる春が来てほしいものね」と、望みを捨てずに言う者も居ます。姫君たちは「難しいこと」とお思いになります――

「むかひの山にも、時々の御念仏に籠り給ひしゆゑこそ、人も参りかよひしか、阿闇梨も、いかがと、大方にまれにおとづれ聞こゆれど、今は何しにかはほのめき参らむ。いとど人目の絶えはつるも、然るべき事と思ひながら、いと悲しくなむ」
――向こうの山寺でも、時々御念仏にお籠りなさった亡き八の宮のご縁があってこそ、使いの者がこの山荘に出入りしましたものを、阿闇梨も「いかがお暮らしですか」と、ほんの時々は一通りのご挨拶くださいますが、父君の亡くなられた今は、何の必要があってお出でになりましょうか。日増しに人目が絶えてゆくのも尤もとは思いますものの、やはり悲しくてならないのでした――

「何とも見ざりし山賎も、おはしまさで後、たまさかにさしのぞき参るは、めづらしく思ほえ給ふ。この頃の事とて、たきぎ木実拾ひて参る山人どもあり」
――父君がいらした頃には何とも感じませんでした山人に対しても、亡くなられて後、稀にご機嫌伺いに参上したりしますと、めずらしく嬉しくお思いになります。この頃のこととて、薪や木の実を拾ってお見舞いに参る山人もおります――

「阿闇梨の室より、炭などやうの物奉るとて、『年頃にならひ侍りにける宮仕への、今とて絶え侍らむが、心細さになむ』と聞こえたり。必ず、冬ごもる山風防ぎつべき綿衣などつかはししを、思し出でて遣り給ふ。法師ばら。童などの登りゆくも、見えみ見えずみ、いと雪深きを、泣く泣く立ち出でて見送り給ふ」
――阿闇梨の庵室からは、炭などを贈ってきて、「長年の間ご用を賜っておりましたのに、今を限りに絶えますのが心細さに」と申してきました。父君が生前必ず毎年、冬籠りの僧たちの山風を凌ぐ料として、綿入れなどを遣わせていましたのを思い出して、こちらからも持たせておやりになります。阿闇梨の使いの法師や童たちが、深い雪の中を見え隠れしつつ登って行くのを、姫君たちは端近にお立ち出でになって泣く泣くお見送りなさるのでした――

◆写真:冬のお山、三室戸寺

では8/29に。