永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(810)

2010年08月25日 | Weblog
2010.8/25  810

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(29)

「兵部卿の宮に対面し給ふ時は、まづこの君達の御事をあつかひぐせにし給ふ。今はさりとも心やすきを、と思して、宮はねんごろに聞こえ給ひけり」
――(薫が)匂宮に対面なさる時は、先ずこの姫君たちのことを話題になさるのでした。その匂宮は、八の宮亡き今となっては、今までと違って気楽なお気持で、せっせと宇治へお手紙を通わされています――

 が、姫君達は、ほんの少しのお返事も申し上げにくく、内気に過ごしておいでになります。

「世にいといたう好き給へる御名のひろごりて、このましくえんに思さるべかめるも、かういと埋もれたる葎の下よりさし出でたらむ手つきも、いかにうひうひしく、古めきたらむ」
――(大君のお心のうちでは)匂宮は世間にひどく好色でいらっしゃるとの評判が広がっていて、自分たちに好奇心がおありなのか、懸想めいたご様子を示されますものの、こう草深い田舎からお手紙などを差し上げましたなら、その手蹟もどんなに世なれず時代遅れなものでしょう――

 とお思いになってはお気持も沈んでいくのでした。

「さても、あさましうて明け暮らさるるは月日なりけり。かく頼み難かりける御世を、昨日今日とは思はで、ただおほかた定めなきはかなさばかりを、あけくれのことに聞き見しかど、われも人も後れさきだつ程しもやは経む、などうち思ひけるよ」
――それにしても、不思議にも呆れるほど知らない間に過ぎて行くのは月日というものです。こうも当てにならなかった父君のお命でありましたものを、よもや昨日今日とは思わず、無常の世の中ということも明け暮れ他事のように見聞きもし、自分も人も、残るも先立つのも、その間というものは長い年月の事でもあるまいと思っていたことでした――

「来し方を思ひつづくるも、何のたのもしげなる世にもあらざりけれど、ただいつとなくのどかにながめ過ぐし、もの恐ろしくつつましき事もなくて経つるものを、風の音も荒らかに、例見ぬ人影も、うち連れ、声づくれば、まづ胸つぶれて、ものおそろしくわびしう覚ゆる事さへ添ひにたるが、いみじう堪へ難きこと、と、二ところうちかたらひつつ、ほす世もなくて過ぐし給ふに、年も暮れにけり」
――今日までのことを思い起こしてみましても、格別何の良いことがある世でもありませんでしたが、(父君とご一緒の時は)ただいつとは限らずのどやかに暮らし、恐ろしい目にも恥ずかしい目にも遭わずに過ごしてきたものでした。それが、風の音も荒らかに、今まで見たことも無い人たちがうち連れて来て案内を乞うたりされますと、その途端に胸もつぶれ、もの恐ろしくただでさえ心細い上に心細さを重ねるようになりましたことは、侘びしく堪え難いこと、と、お二人で語り合いながら、涙で袖の乾くときもない有様でお過ごしになっているうちに、その年も暮れてしまおうとしています――

では8/27に。