永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(252)

2008年12月15日 | Weblog
12/15   252回

【初音(はつね)】の巻】  その(7)
 
 今年は男踏歌(おとことうか)の年です。
内裏より出発してまず朱雀院へ参上し、次にこの六条院へ参ります。道中は長くとうとう夜から明け方になっております。

 月が雲ひとつない空に冴えまさり、薄く雪の積もった庭が照らされて、いいようもなく美しい夜に、歌舞の名手が、特に源氏の御前では気を使っておいでです。
女君たちにも、見においでになるようにと前もってご案内がありましたので、こぞってお席や、局、渡殿などでご覧になります。

 夜も明けましたので、女君方はそれぞれにお帰りになりました。
源氏は少しお寝みになってから、こんなことをおっしゃいます。

「中将の声は、弁の少将にをさをさ劣らざめるは。中将などをば、すくずくしき公人にしなしてむとなむ思ひおきてし。自らのあざればみたるかたくなしさを、もて離れよと思ひしかど、なほしたにはほのすきたる筋の心をこそとどむべかめれ。(……)
――夕霧の声は弁の少将に勝るとも劣らないようだな。私は夕霧を、実直な政治家に仕上げようと決めていた。私のような風流じみた愚かしさを、夕霧はならぬようにと思ったが、やはり少しは、風流めいた点を備えておくべきだろうね。(落ち着き払って真面目一方では、厄介だろうから)――

 と、お話しなさりながら、夕霧を愛おしくお思いになります。また思いつかれたように、

「人々のこなたにつどひ給へるついでに、いかでものの音こころみてしがな。私の後宴すべし」
――女の方々がこちらに集まられた機会に、何とかして女楽を催してみたいものだ。私的な後宴としようー―

と、おっしゃって、楽器を出させます。女方は楽器の塵をはらい、弛んでいる弦を調律なさったりして、ご準備をなさったようです。

◆男踏歌(おとことうか)=隔年正月十四日に行われます。四位以下の人々が催馬楽を謡いつつ貴人の邸をめぐり歩き、寿ぐ。

◆私の後宴=私的な後宴をする。後宴は踏歌の小宴のこと。宮中で二、三月頃に行われるのに対して、「私の」と言いました。

【初音(はつね)】の巻】終り。全体に六条院と二条院の女達を一通り紹介している巻きです。

ではまた。

源氏物語を読んできて(雅楽)

2008年12月15日 | Weblog
雅楽

 雅楽は、日本に律令制度(りつりょうせいど)が導入されて国家の体裁(ていさい)が整う七世紀後半以降、儀式の荘厳などを目的に大陸から輸入された音楽である。しかし、平安前期には尾張浜主(おわりのはまぬし)などの名人が出て、和風化の努力がなされ、日本固有の神楽(かぐら)をも含めて、体系化された。もともと律令では雅楽寮(ががくりょう)という役所で教習されていたが、のちに天皇に近侍する近衛の官人が舞や雅楽をもっぱら勤めるようになると、宮中に蔵人所の管轄として楽所(がくしょ)が設けられ、舞人や楽人がここに詰めて儀式や神事、饗宴などの音楽・舞に備えるようになった。

 両部制といって、すべての楽曲は対応する左右に分けられている(番舞(つがいまい))。すなわち左楽(さがく)は唐楽(からがく)といい、赤の装束を着用する。これに対して右楽(うがく)は高麗楽(こまがく)といい、緑の装束になる。唐楽と高麗楽は、それぞれ中国の音楽と朝鮮半島の音楽の意味であるが、実際は伝来した音楽の系譜をいうのではなく、日本で作曲されたものも含まれ、便宜上の感が強い。両者は、楽器編成も異なり、唐楽には笙(しょう)があるが、高麗楽には含まれない。また、唐楽の横笛は龍笛(りゅうてき)であるのに対して、高麗楽の場合は高麗笛(こまぶえ)となり、龍笛より少し小さく、音も高いのが特徴である。

 雅楽に舞が伴ったものを舞楽といい、これが本来の形式であったが、いっぽうで宮中の饗宴のために、舞のない音楽だけの形式のものが整備された。これが管絃(かんげん)である。

◆参考:風俗博物館