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【初音(はつね)】の巻】 その(6)
しかしながら、末摘花も空蝉も、つれない源氏のお心をどうして今さらお咎めできましょうか。辛い憂き世に漂わずに、暮らしの心細さなどないことの安心さに、この上もなく有り難く思うのでした。
空蝉の尼君は仏の道に励み、末摘花は仮名文字の草子の学問に心を入れて暮らせるという、ご当人方の望みを叶えてのお住いを、源氏はさせておいでなのでした。
源氏は、騒がしい新年の日々をお過ごしになってから、こちらの二条院の東の院にお出でになります。
末摘花の御方には、身分が身分ゆえ、投げやりなお扱いはお気の毒と思い、人前ではたいそう丁寧に取り扱って差し上げますが、この頃の末摘花の様子をご覧になって、
「いにしへ盛りと見えし御若髪も、年ごろ衰へゆき、まして瀧の淀みはづかしげなる御かたはらめなどを、いとほしと思せば、まほにも向ひ給はず。柳は、げにこそすさまじかりけれと見ゆるも、着なし給へる人柄なるべし。」
――昔はご立派だった若々しい髪も、すっかりこの頃は衰えてきて、滝の水も負けそうな白髪混じりの横顔が、源氏はお気の毒なので、まともにも向かい合われません。源氏から贈られた柳の御衣装は、やはり思ってのとおり不似合いでしたが、それも結局は着る人の人柄によるのであろう。――
光沢もない黒い掻練のかさかさに張った一襲に、中着もなく、例の柳の袿をじかに着ていて寒そうに、いかにもみずぼらしい。
「かさねの袿などは、いかにしなしたるにかあらむ。御鼻の色ばかり、霞にも紛るまじくはなやかなるに、御心にもあらずうち歎かれ給ひて、ことさら御几帳引き繕ひ隔て給ふ。」
――何枚も重ねて着る袿などは、どうなさったのであろう。赤い鼻の色ばかりは霞に紛れようもなくはっきりしていますので、源氏は思わず溜息をおつきになり、わざと几帳を引きよせて隔てをお作りになります。――
末摘花は、このようなことにもさして恥ずかしがりもせず、ただただ源氏を頼みに思われているご様子で、ご容貌だけでなく生活面でも人並みでないご境遇に、せめて自分だけでも面倒をみてやらねば、と源氏はお思いになるのでした。
源氏は向かいの院の御蔵を開けさせて、絹や綾織物などお渡しになります。
源氏は、独り言のように、(歌)
「ふるさとの春の木末にたづね来て世のつねならぬ花をみるかな」
――昔馴染みの春の木末を訪ね来て、世にまたとない花(赤鼻)を見ることよ――
末摘花はお気づきにならなかったようです。
ではまた。
【初音(はつね)】の巻】 その(6)
しかしながら、末摘花も空蝉も、つれない源氏のお心をどうして今さらお咎めできましょうか。辛い憂き世に漂わずに、暮らしの心細さなどないことの安心さに、この上もなく有り難く思うのでした。
空蝉の尼君は仏の道に励み、末摘花は仮名文字の草子の学問に心を入れて暮らせるという、ご当人方の望みを叶えてのお住いを、源氏はさせておいでなのでした。
源氏は、騒がしい新年の日々をお過ごしになってから、こちらの二条院の東の院にお出でになります。
末摘花の御方には、身分が身分ゆえ、投げやりなお扱いはお気の毒と思い、人前ではたいそう丁寧に取り扱って差し上げますが、この頃の末摘花の様子をご覧になって、
「いにしへ盛りと見えし御若髪も、年ごろ衰へゆき、まして瀧の淀みはづかしげなる御かたはらめなどを、いとほしと思せば、まほにも向ひ給はず。柳は、げにこそすさまじかりけれと見ゆるも、着なし給へる人柄なるべし。」
――昔はご立派だった若々しい髪も、すっかりこの頃は衰えてきて、滝の水も負けそうな白髪混じりの横顔が、源氏はお気の毒なので、まともにも向かい合われません。源氏から贈られた柳の御衣装は、やはり思ってのとおり不似合いでしたが、それも結局は着る人の人柄によるのであろう。――
光沢もない黒い掻練のかさかさに張った一襲に、中着もなく、例の柳の袿をじかに着ていて寒そうに、いかにもみずぼらしい。
「かさねの袿などは、いかにしなしたるにかあらむ。御鼻の色ばかり、霞にも紛るまじくはなやかなるに、御心にもあらずうち歎かれ給ひて、ことさら御几帳引き繕ひ隔て給ふ。」
――何枚も重ねて着る袿などは、どうなさったのであろう。赤い鼻の色ばかりは霞に紛れようもなくはっきりしていますので、源氏は思わず溜息をおつきになり、わざと几帳を引きよせて隔てをお作りになります。――
末摘花は、このようなことにもさして恥ずかしがりもせず、ただただ源氏を頼みに思われているご様子で、ご容貌だけでなく生活面でも人並みでないご境遇に、せめて自分だけでも面倒をみてやらねば、と源氏はお思いになるのでした。
源氏は向かいの院の御蔵を開けさせて、絹や綾織物などお渡しになります。
源氏は、独り言のように、(歌)
「ふるさとの春の木末にたづね来て世のつねならぬ花をみるかな」
――昔馴染みの春の木末を訪ね来て、世にまたとない花(赤鼻)を見ることよ――
末摘花はお気づきにならなかったようです。
ではまた。