ふろむ播州山麓

京都山麓から、ブログ名を播州山麓に変更しました。本文はほとんど更新もせず、タイトルだけをたびたび変えていますが……

ミャンマー維新 (2)

2016-03-10 | Weblog
 本日3月10日のマスコミ報道で、NLDの新大統領候補が決定したとのニュースがありました。やはりアウンサンスーチーの擁立は困難で、スーチーの側近で慈善団体幹部のティンチョーが来週の選挙で選出されることが確定したそうです。明日からのマスコミ報道が楽しみです。さて以下は既述分の続報です。


1月12日 スーチーは「かつて全民族が協力して我が国の独立を成し遂げました。全土和平にはすべての勢力の参加が欠かせません」と述べた。
この日、彼女は停戦協定に署名した8武装勢力との政治対話に参加し、テインセイン政権が失敗した和平の実現に意欲を示した。停戦協定に署名しなかったほかの武装10勢力は、新政権の正式発足を待って署名するだろうとみられている。そのとき、主要な少数民族の武装勢力すべてが和解することになる。ただ彼らの武装解除は困難であろう。あくまで停戦の実現とみるべきだ。国軍は武装維持をどう判断するか、予断は許されそうにない。

 スーチーが少数民族問題の解決に心血を注ぐのは、単なる政治的な打算からだけではない。1947年2月、英国の植民地からの独立闘争のさなかに、ビルマ族主体の暫定政府とシャン族やチン族など主要少数民族の指導者は、シャン州パンロンで会談した。その結果、ビルマ(ミャンマー)が独立する際は、各民族に平等な権利を与える連邦制を創設することで合意した。この「パンロン協定」の締結を主導したのが、スーチーの実父で暫定政府の指導者のアウンサン将軍だった。いまなお将軍は「建国の父」として、ミャンマー国民の尊敬を集めている。
 少数民族は将軍の誠実な姿勢を信頼し、後の暫定政府を支持したことが、独立成功を大きく後押しした。NLDは2015年11月の選挙公約に「パンロン協定の履行」を盛りこんだ。少数民族に根強い将軍への尊敬に訴える思惑だけでなく、スーチー自身が「ロールモデル」と位置付ける亡き父の宿題を片付けようという決意表明ともいえる。アウンサン将軍は独立直前の47年に政敵により暗殺されて、パンロン協定は果たされずに残った。スーチーの取り組みは、約70年の時を経て、かつて父が独立運動の同志と交わした約束を果たすことでもある。(日経新聞2月15日/ヤンゴン・松井基一記)

1月25日 ミンアウンフライン国軍総司令官とスーチーの総選挙後2度目の会談。
国軍総司令官は絶大な権限を有している。また憲法で議席を保障されている上下両院の4分の1を占める軍人議員も総司令官が指名する。円滑な国政運営には、国軍最高顧問のタンシュエと、国軍総司令官ミンアウンフラインの理解と協力が不可欠である。
 また閣僚の選定だが、国軍は憲法の規定によって三大臣を指名する。国防、内務(警察)、国境相である。大統領はただ単に三人を追認し任命するだけである。
 国防治安評議会も大統領を縛る憲法の規定である。評議会のメンバーは11人だが、過半数の6議席は軍が握っており、憲法では「国家非常事態においては、大統領は国軍の最高司令官に国権の行使を委譲しなければならない」。有事には大統領は評議会の決定に従わなければならない。国家の非常事態とは「国民に対する危険が発生した場合や、連邦が分裂し国民の結束が崩壊した場合」などと定義されている。
<2016年3月10日>
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