ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

津波の歴史 22 「浦島太郎」と「インドのマヌ」と津波

2011-06-14 | Weblog
♪昔々 浦島は 助けた亀に連れられて
 竜宮城へ来てみれば 絵にもかけない美しさ
♪乙姫様のご馳走に 鯛や比目魚の舞踊り
 ただ珍しく面白く 月日のたつのも夢のうち

 幼いころ絵本で親しみ、学芸会では紙で作った魚面を額にかけて舞い踊ったものです。わたしも魚の一尾を演じたのですね。なおこの歌詞は明治44年制定、尋常小学校「文部省唱歌」です。
 浦島太郎はいじめられている亀を助ける。これまで見てきた靈魚ヨナタマも、救ってくれた恩人に津波の到来を教える。グリムの魚は、海にもどしてくれた馬鹿のハンスに超能力を与える。

 太郎も同じく引き潮のときに助けたカメ、魚ではないが水棲の靈からこう言われたのではないか。
 「太郎さん、わたしの背に乗ってください。間もなく大津波がやって来ます。村は壊滅してしまいます。申し訳ないですが、ご両親を救う時間的余裕はありません。さあ早く。これから海神の宮に避難しましょう」
 そしていくらかの時間が過ぎて村に帰ってみると、見知ったひとはだれもいない。村はなくなってしまった。住んでいるのは、他村から移住して来たあたらしい住人ばかりであった。

 浦島太郎は本来「浦島子」と記され、「うらしまし」あるいは「うらしまのこ」「うらのしまこ」と読む。太郎とよばれるのは、どうも15世紀以降のこと。
 1300年ほども前の『日本書紀』に載り、『丹後国風土記』では与謝郡日置筒川村の人という。『万葉集』9巻1740にもある。日本人が千年以上にわたって親しんだ物語である。
 なお浦島子の読みですが、わたしは「浦の嶼子」、「うらのしまこ」に違いないと確信しています。さらには「玉手箱」、魂靈の「たま箱」、匣・筥・篋と記されています魂靈箱の秘密についても、いつか考え続編を書きたいと思っています。
 
 ところで世界最古の津波「霊魚」の神話を記しておきます。インド神話に「津波と靈魚」の物語があります。この神話の成立は、数千年あるいは一万年ほどの昔と考えられます。上村勝彦訳。
 ある日の朝、人間の祖先であるマヌが水を使っていると、一匹の魚が彼の手の中に入った。その魚は、洪水(海進)が起こって生類を全滅させるであろうと予言し、その時にマヌを助けるから自分を飼ってくれと頼んだ。マヌは言われた通りにして魚を飼った。その魚は大きくなり、マヌはそれを海に放った。その際、魚は洪水が起こる年を告げ、その時には用意した船に乗って自分から離れずに来るようにと言い残した。
 果たせるかな、魚が予告した年に洪水が起こった。マヌが船に乗ると、魚が近づいて来たので、マヌはその角(つの)に船をつないだ。魚は北方の山、ヒマラヤでマヌを下ろした。マヌは魚に言われたように、水が引くに従って少しずつ下に降りた。その場所は「マヌの降りた所」と呼ばれている。洪水はすべての生類を滅ぼし、この地上にマヌだけが残った。

 しかしその後、ひとりの女性(マヌの娘)が現れ、ふたりは人類の子孫の祖となる。マヌの物語について、訳者の上村勝彦は「この洪水伝説は旧約聖書の箱舟を連想させる。それはまた、バビロニア、更にはシュメールの洪水伝説にさかのぼる。洪水伝説はギリシアや北アメリカ大陸にもあり、その他、チベットやネパールなど世界各地の神話に見出されている」
 ところで霊魚だが、グリム「ハンスの馬鹿」原作にも旧約「ノアの方舟」にも出てこない。太古の物語祖型では、助けられた「魚」ときには亀などが人語を話したのであろう。そのように考えると、洪水神話と「魚類から与えられた大いなる幸運」は実にわかりよい。

参考書
○『浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生』 三浦佑之著 1989年 五柳書院
○『インド神話 マハーバーラタの神々』 上村勝彦訳 2003年 ちくま学芸文庫
<2011年6月14日 南浦邦仁 記>
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