ふろむ播州山麓

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津波の歴史 20 「若狭の人魚」

2011-06-10 | Weblog
天正13年11月29日、1586年の大地震は畿内、東海、東山、北陸さらには四国阿波などにも被害を及ぼしました。400年以上も前のことですが、白川断層と伊勢湾の断層が、ともに動いたと考えられています。さらには福井県若狭湾、現在の原発地帯ですが、湾沖の活断層も連動したと思われます。
 このことは「津波の歴史18 若狭と福島」で書きました。『兼見卿記』とイエズス会のフロイスの記述に、若狭の地震と津波が記されています。

 江戸時代に書かれた『諸国里人談』の地震話を紹介します。現代語に意訳しています。
 若狭国大飯郡浅嶽は魔の場所である。山の八分目より上にはだれも登らない。御浅明神に仕えているのは、人魚であると昔から言い伝えられている。宝永年中、乙見村の猟師が漁に出かけた。岩の上に座っている者を見ると、頭は人間で首周りに鶏冠のような、ひらひらと赤いものをまとっている。また首より下は魚である。男は何心もなく持っていた櫂(かい)を当てると人魚は即死してしまった。死体を海に投げ入れて帰ったが、それより大風が起こって海鳴は七日の間止まなかった。そして三十日ばかりたつと大地震が起こり、御浅嶽の麓から海辺まで地が避け、乙見村一郷は陥没してしまった。これは明神の祟(たたり)と伝えられている。

 「八百比丘尼」(やおびくに・はっぴゃくびくに)の伝承も興味深い。
 若狭国のとある漁村の長者の家で、人魚の肉が村民に振舞われた。村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることを知っていたが、やはり不気味なためこっそり話し合い、食べた振りをして懐に入れ、帰りに捨ててしまった。だがひとりだけ話を聞いていなかった者がいた。それが八百比丘尼の父だった。
 父が隠していた人魚の肉を、娘は知らずに盗み食いしてしまう。娘はそのまま、十六か十七歳の美しさを保ち八百歳まで生きた。
 八百比丘尼の伝承は能登半島に多いが、日本各地に広がっている。京都府綾部市と福井県大飯郡おおい町の県境には、八百比丘尼がこの峠を越えて福井県小浜市に至ったという伝承のある尼来峠という峠がある。(「八百比丘尼」は、ウィキペディアと民俗学辞典を参考にしました)

 ともに若狭の人魚が登場する。八百比丘尼には地震津波の話しがないが、人魚はアンデルセンの人魚姫のような半人半魚の肢体ではなく、またジュゴンのような赤子を抱いて立ち泳ぎする水棲哺乳類でもない。
 伝承に登場する人魚は、<人間の言語を話す>霊魚すなわち「ヨナタマ」「ヨナイタマ」海霊であろう。人間と神とを具現具有した境界の象徴であると、わたしは思っている。海神の眷族分身である「物言う魚」である。

参考書
○山本節「人魚と海嘯の伝承―沖縄県宮古島の話例を中心にー」
 『世界の洪水神話―海に浮かぶ文明』所収 2005年 勉誠出版
<2011年6月10日 南浦邦仁>
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