ふろむ播州山麓

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アメリカ軍の情報収集 №1

2010-09-23 | Weblog
 第2次世界大戦末期、1945年4月13日にウィーンは陥落した。長年にわたってナチスドイツに占領されていたオーストリアは、連合軍によってやっと解放に向かう。
 その数日後、アメリカ軍将校の文化人類学者が、ウィーン大学に向かった。疎開されていた同大学の貴重資料の入手が目的である。欲しかったのは岡正雄(1898~1982年)の論文である。「古日本の文化層」Kulturschichten in Alt-Japan という博士論文は、ドイツ語で書かれた全6巻1452頁の大冊。印刷出版されておらず、タイプ打ちのこの書しか世に存在しない。
 米軍は全冊を複写するためにタイプライターチームを6組つくり、大至急で複製本を作り上げた。おそらく二部作成であろう。6組チームは6巻に対応するためである。原本は複製本の完成後、大学に返却された。

 岡は戦前、のべ10年ほどウィーンに留学し、ヨーロッパにおける日本研究・日本学そのものを大きくかえた。彼は傑出した民族学者として、ヨーロッパの学会で評価されていた。「幻の名著」とよばれた論文は、日本文化と日本人を理解するための、最高の書と当時の関係学者たちは認知していたのである。しかし本は、1500ページほどの大冊がウィーン大学に一組あるだけである。

 ところで米軍は、日本軍人の特殊さが理解できなかった。日本の特攻隊は現代イスラムの自爆テロに等しい。「天皇陛下万歳」と叫んで身命を無にする。アメリカでは大統領万歳などといって、いのちを捨てるバカな兵はひとりもいない。
 また日本兵は捕虜になることを潔しとせず、自決していく。ところが生きて虜囚となってしまうと、たくさんの軍人たちが、一転して米軍の忠実な下僕になる。仲間を売ることになる機密情報を、ペラペラと饒舌なほどにしゃべる者も少なくない。
 一体、日本の将兵あるいは日本人という異人は、何者なのか? この特殊なガイジンたちを理解し、現在継続している日米の戦闘、そして数ヵ月後に近づいている戦争の勝利終結と、占領政策に生かさねばならない。日本人の不可解さを理解するために、「古日本の文化層」は、当時いちばん重要な文献であると米軍は判断した。

 この論文は、いまでも印刷も出版もされておらず、タイプ打ちの独語原文を読むしかない。同書は目次だけが戦後、日本語で公開された。日本文化の基層を、先史時代から考察する論文の目次の一部をみると、神話、昔話、宗教、天皇。食料、生業技術、住居、衣服装飾、武器、交通、工芸。社会、相続、結社、成人式…。多岐にわたる。それらを精読した米軍は、日本人を理解した。彼らは、そう確信した。

 1958年にウィーン大学日本学科に入学した、ヨーゼフ・クライナーは記している。日本学科のスラウィック助教授は新入生を、まず民族学研究所の図書室に案内した。そして本棚から卒業論文独特の黒い表装の、読まれてボロボロになった本を手に取って言った。「君たちが日本のことを勉強するなら、この本を聖書にしなさい」。それが1933年、ウィーン大学に収蔵された論文「古日本の文化層」である。いまも同大学に保管されている。
<続く 2010年9月23日>
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