ふろむ播州山麓

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ブータンの幸福 6 民族衣装・どてら風<ゴ>

2011-12-08 | Weblog
 ブータンの民族文化を形成したのは、ふたつの文化である。ひとつはチベット文化、もうひとつは照葉樹林文化。そしてインド文化はほとんど影響していないと中尾佐助氏は記しています。
 たとえば衣裳をみると、女性は「キラ」とよばれる1枚布を体に巻きつけたもので、ネパールとブータンの中間に位置するシッキム地方でもみられる。これは東ヒマラヤにつながるもので、照葉樹林文化につらなる。この文化圏はヒマラヤから雲南、中国南部そして西日本へと続く照葉樹林帯の文化圏である。
 一方、男性の衣裳の「ゴ」は「ゴー」とも記すが、日本の丹前・ドテラに一見似ている。しかしこれは明らかにチベットの着物の変形であるとされる。ゴは日本とは直接の関係はない。
 ブータンではこのように、男と女でふたつの文化、チベット文化と照葉樹林文化を着分けている、と中尾氏は述べている。

 桑原武夫編『ブータン横断紀行』から、「ブータン人の服装」を引用します。
 ブータン人は、顔や体格が日本人とそっくりである。道で出会うとどの顔をみても、みな日本でみた顔のような気がする。そのうえ、男は日本の丹前や厚子(あつし)のようなものを来ている。これを「ゴー」(ゴ)という。子供から大人まで、田舎の百姓から王様までみなが着ている。チベット人の着ものとよく似ているが、ブータンのゴーのほうが袖は短かく、手首に近いほど細くなっている点が異なる。そしてその袖口に内着の袖の白い折り返しがある。この点を別にすると、ひろげた形は丹前と同じであった。
 だが着付のしかたはちがう。まずゴーを着る場合、その前にティゴという白い内着を着る。内着といってもえりと背中と袖、前の合わせだけがある簡単なものだ。えりと袖を外に出すためだけにあるもののようであり、内着というよりはむしろカラーやカフスの役目をもったものといったほうが適切かもしれない。このティゴの上にゴ―を着る。あわせ方は和服と同じ左前である。ゴ―は長いのできちんと合わせるとくるぶしまである。それを腹部分でたくしあげ、すそが膝あたりに来るようにまでひきあげる。そしてポゲケラという帯で肋骨をしめあげるように胸高にきつく結ぶ。すると当然ふところがふくらむ結果になる。
 このゆったりしたふところには、し好品のドーマ(キンマの葉・強烈な口中清涼剤)や手拭い、竹で編んだ弁当箱や湯飲み茶わんはよいとしても、時にはペットの子犬まで入っていて、びっくりした。さらに刃渡りが四、五〇センチもあるドゾムという短剣まで入れている。その柄や鞘の装飾はみごとで、木を切る以外に料理その他多くの用をたす。もちろん護身用にもなり、子供でも肌身離さず携行している。とにかく風呂敷や鞄のようなものを持つ習慣のないかれらにとって、この懐は巨大なポケットの用をなしている。

 平安女子短期大学の中井長子助教授(当時)は、日本に持ち帰られたゴをみて、これはカフタンとよばれる長着の形式であって、トルキスタン・ロシアを中心にして発生し、チベット・アフガン・パンジャブ・バルチスタンに広まった形式であると説明した。
 またブータン人のゴの着付は、タイ高地民族との類似点が多い。チベット文化の影響とされるゴだが、タイ高地人との共通性、関係はどのように考えるべきなのか?
 女性のキラはタイ高地などと共通するはずである。男性のゴも同様にチベットと、雲南やタイ高地あたり、両系統の衣裳と着かたを混交したものではなかろうか?
 いずれにしろ、日本の丹前とはまったく系統の異なった衣服であることは確かである。

○参考書
『中尾佐助著作集 第5巻 景観と花文化』「ブータンの花」 北海道大学図書刊行会 2005年
『ブータン横断紀行』桑原武夫編著 谷泰・松尾稔・栗田靖之・吉野煕道共著 講談社 1978年
<2011年12月8日 今回も引用ばかりになってしまいました>

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