ふろむ播州山麓

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若冲 五百羅漢 №7 <若冲連載26>

2008-12-21 | Weblog
江戸時代の石峰寺五百羅漢(1)

『都名所圖會』再板版
 ここで石峰寺の五百羅漢が造られて以降の江戸期の記述を、時系列でみてみましょう。初出は天明六年(一七八六)に刊行された『都名所圖會』再刻版です。その六年前に発行された『都名所圖會』初版が、まず大ベストセラーになり、若干の変更を加えて後に再板再刻発行されました。
 初版刊行時には、羅漢建造は進行中でした。そのため図にも本文にも羅漢の記載はありません。ところが天明版再版では、「近年当百丈山には石像の五百羅漢を造立し霊鷲山のここにうつれ」と山上の図の余白に記され、羅漢が並んでいます。
 この記述は、意味のわかりにくい文ですが、「近年、百丈山・石峰寺に石像五百羅漢が建立された。お釈迦様がかつて仏法を説いたところの霊鷲山(りょうじゅせん)よ。インド・天竺よりここに移り来たれ」という意味でしょうか。
 このページに、石峰寺の朱印がふたつ押されている『都名所圖會』再刻版を発見しました。筆者が偶然、京都府立総合資料館でみつけた押印本『都名所圖會』再板全六卷ですが、持ち主はかつてこの本を御朱印帳として利用し、京の各寺を巡っておられた。面白い発想だと思います。全冊に押された印を調べてみましたが、寺社等の数は六十八、印判は百六十六個にのぼります。印章から推定するに、押印の時期は残念ながら江戸時代ではありません。後世それも昭和十年ころの、巡礼行脚だったようです。寺社以外にも、宇治橋の通圓茶屋、一条戻り橋の御餅屋山口五兵衛、方広寺大佛前の餅屋隅田屋の印まで押してあります。相当の甘党だったのでしょう。ところでこの本は、傷みの少ない美本です。持ち出すときには大切に扱い、自宅では仏壇に納めておられたのではないかと想像します。
 ちなみに画家・池田遥屯さんが生前に寄贈された『都名所圖會』全冊も、総合資料館でみることができます。おそらく画作の参考に、この本を利用されたのでしょう。本には直筆の栞がはさんでありました。遥屯先生の孫、画家の池田良則さんにもこのことをお知らせし、喜んでいただきました。蛇足まで。
<2008年12月21日 南浦邦仁>



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