ふろむ播州山麓

京都山麓から、ブログ名を播州山麓に変更しました。本文はほとんど更新もせず、タイトルだけをたびたび変えていますが……

竹林ちくりん公園

2007-10-16 | Weblog
 京の西は洛西。西京区北福西町の丘に、竹林公園があります。知るひとぞ知る。地元でも知るひと、行ったことのあるひとの少ない、風情あふれるかわいい庭園です。洛西一帯は、筍の名産地。大枝(おおえ)のタケノコは京いちばんの名物です。
 公園は名の通り、植えられている竹の種類がすごい。まず太い孟宗竹、京にはじめて移植されたのは、伊藤若冲の没年である西暦1800年、わずか208年前のことです。つぎは淡竹はちく、パソコンではつい破竹と書いてしまう、勢いの強い竹です。そして矢竹、竹の矢は現代では死語。竹の種類をこれくらいは知っていますが以下、珍しい竹を列挙してみましょう。黄金竹、緑竹りょうちく、幹・稈の模様が甲羅のような龜甲竹きこうちく、布袋竹、寒竹かんちく、鳳翔ほうしょう竹、業平なりひら竹、皮白かしろ竹、陰陽いんよう竹、大福竹、蘇枋すほう竹、蓬莱ほうらい竹、銀明ぎんめい竹、白夾はっきょう竹・・・・・・。
 開園時間は、9時~17時(入園は16時まで)入園無料。水曜日がお休み。北福西町2丁目の小高い丘のうえ。
 小さな即売コーナーで竹細工品を売っていますが、おすすめは竹筆。竹の先を細かく切り込みたたき、筆にしたもの。太筆3400円、中太筆2200円、細筆1200円。いずれも税込み。これまで何人かの書道や画をたしなむ方にプレゼントしたり、頼まれて買いに行ったりしました。硬(剛?)筆(ごうひつ)という固くて癖のある筆ですが、みなさんに好評です。書画に達者な作家・水上勉先生も、ここの竹筆三本を愛用されました。
 ところでこの筆は、あまりに値が高いので、理由を聞きました。「穂先をつくるとき、竹を立てて上からそっと小刀で何回も細かく割るわけですが、パンと節が割れてしまって、失敗することが多いからです。材料費は安いのですが、一本をつくるために細心の注意と、かなりの時間が必要です。また日本には、もう竹筆を作る職人がほとんどいません」。なるほど、納得がいきました。一本、じぶんで作ってみましょう。
 それから、竹や笹を楽しむだけでなく、この公園には織田信長の遺跡・石像物が多いのがユニークです。彼が永禄12年(1569)に将軍足利義昭のために建てた旧二条城、別名二条御所。場所はいまの二条城とは離れ、丸太町烏丸の西北、御所のすぐ西隣にありました。その遺構が地下鉄建設の折に発掘された。石仏、供養塔、五輪塔、墓石などがぞろぞろ出てきたのです。それらが約百石、この竹林公園に移されたのです。信長はこれらを二条城の石垣に使った。神仏石像に日夜石垣で囲まれた住人の足利義昭にとって、さぞや寝心地の悪い城だったろうと思います。
 当時、信長と親交のあったキリスト教イエズス会の神父・フロイスは『日本史』に記しています。
「信長は多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場に引かしめた。都の住民はこれらの偶像を畏怖していたので、それは彼らに驚嘆と恐怖を生じしめた。」
 信長の神仏を恐れぬ合理主義はすさまじい。近江の安土城の天主に向かう石段にも、いくつもの石の仏像が、石ころのごとくにいまも横たわっています。後の江戸時代、キリシタン禁制のときに踏絵がありました。信長の時代、たくさんのひとが、階段に転ぶ石の仏を踏み登り、単なる石材としてそれらを扱わされたのです。常識や固定観念を超越した天才革命児・信長の思考と精神には驚嘆するしかありません。それらは、単なる加工された石にしか過ぎないのです。
<2007年10月16日>









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